本質

不必要なことに頑張りすぎて疲弊し、本質を落としていたのが人間関係での失敗。
理由は人間関係は、相手がどう思うか、が本質なことが多いから。

何時から本質を気にするようになったのか考えてみたらその歴史は結構長かった。私の中できっかけとなった事は小学校5年生6年生で習っていた中学受験の塾の算数の先生との出会い、が本質を見る1番の契機になったと思う。

熱血の良い教師というより、どちらかと言うと怖い先生だった。バイネームで指摘するよりかは、みんなの足りないところなどを誰とは言わずに皆んなにいう本質グサグサ指導であった。
あの塾の思い出が楽しかったと言う人がいるのであれば、それは真面目に聞いていないか、よほどのメンタルの強さかアイアンマンとかではないかと思う。

成績の席順だったので、結構中カンニングとかも横行していたらしい。
私はどちらかと言うと劣等生の方だったが、そもそも目指してる学校も多分クラス1レベルが低かったので、自分の通っている目的はそこが本質だと思うが、それに照らし合わせれば別に問題はなかった。
その算数の怖い先生の話も、他の人よりかをきちんと聞くいたのと、私は正々堂々と何かと嘘なくやり切ったと言う自信は相応にある。

あの先生の本質の指導、きちんとついていければ全員が相応のレベルに達していたと思う。
校舎の結果、としてはあまりうまくいかなくて、やはり取り繕ってしまう人ってな多かったんだろうなぁという全体的な印象でもありその辺の予想みたいなのは当たった。

本質を一言で言うとをさらけ出す勇気だと思う。
要は勇気がない人は人外みたいな指導だったので、私の中でいつしか、勇気のない人を見ると腹立たしくなるようになってしまった。

逆に自分が人間関係を築いていくにあたって、3点、1.尊敬、2.素直、3.謝れるかどうかを上げたが、まぁそこまでその3つほど落とせないことではないが、勇気があるかどうかも、すごく大切な一部となった。

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