加害性に気づく 2

加害性に関して書いておかなくちゃいけないなと思ったことがある。それは私が自分の加害性を理解しておらず、いまだに人を許せていなかった話。

恥ずかしい話だがもう10年も前の高校生の時のことなのにもかかわらず私はずっとずっと許していなかった。もちろんいまだに完全に許しているのかなどと言われると困ってしまうこともあるんだけれども、私自身の加害性にも気づくことができたし、そのことに限った意味での許しは終わっているかなと言うふうに思っている。

人付き合いをする際に、私が大切にしている事の1つははきちんと謝れる人であるかどうかということ。なんでも遮二無二謝りたまえということではなくて、必要な時に逃げずに謝ることができるかと言う定義。

これってものすごく簡単で幼稚園生でもできそうなことに見えるんだけれども、現に私の通っていた中学や高校でもできていない人もいた。
つまり、シンプルなこと、簡単なことなのにわからず、落としている人が多いということ。
大人でもできていない人、できない人プライドが高すぎてそういうことをしない人の話を聞いたり実際見たりも今でも多々ある。

これから私の反省を2つエピソードとしてあげたい。
1つは、小学生の時でも、もう1つが先ほどもあげた。高校生の時のエピソードである。

1つ目、小学生の時の話は、私がラベリングした人とか関わってしまっていたことである。
私は小さい頃から体育や美術家庭科など、いわゆる技術系実技系のものがものすごく苦手で、勉強ならある程度やればできたので、勉強だけは出来る生徒だった。
私は勉強が苦手な子たちを下に見たいはしていなかったし、むしろ勉強を教えたりもしていた。反対に体育が得意な子たちが私にバスケットボールのドリブルを教えてくれたり(本当に壊滅的で1つもつくことができなかった悲惨な思い出がある。)
図工を手伝ってくれたりもした。

ただ、一方で、それは学校という社会を生き抜くための話であり、じゃあ友人付き合いとしてはどうかというと、やはりラベリングしてしまっていて、話合う子がいいなぁ、成績の良い割と良い子がいいなぁと言うふうに考えていた。

私が下に見なかったのは凸凹の話で、私はたまたま勉強ができる、彼らは運動ができる、図工ができるなどなど別にそれは凹凸というか適材適所の問題だ、というふうに仕事的に考えてしまっていて、じゃあ私的な交友関係はどうなんだと言われると
かなりラベリングして関わっていた。

実は私は仕事的にはこなしていたものの、某映画のセリフにもあった。探求より侮辱が先立つような態度を心の中ではとってしまっていたのかもしれない。

中学受験が近づくと、私も心にどんどんどんどん余裕がなくなっていた。勝手に受験しているだけなのに、遊んでられるあなたたちとは違う早く出たいのような態度を、心の中ではすごくふんぞりかえってしまっていたなと大反省している。
むしろ、この子たちは、すごく謝罪とかもしてくれる子でその意味で言うとむしろ行った中高の方ができない人もたくさんいた。

一度親にすごい叱られたことがあったんだけれども、それはラグビーの授業でもうほんとに私ラグビーできなくて、あまりにもできないので、お味噌状態になっててそれで勝手に泣いちゃった話。

まぁ、そのチームだった男の子たちは謝ってくれたわけなんですけれども、スポーツが万能な女の子(天敵)に後で、私は男子達の方がかわいそうだと思うと出会い頭にチクリと言われてしまうわけなんです。
普段から彼女の発言は別に真に受けてなかったんですけど、あの時ばかりは確かにそうだなぁという感じです。

ほんとにヒスってしまった自分を情けなく思っている。
いやまぁ今学校で滅多に泣かないんですよね、私。
普段よく泣くならまだしも、驚かれたと思うし、家帰って母親に話したら、何ヒスってるんだ、母親もその女の子と同じ意見でも周りがかわいそうでしょうと言われてしまいました。

ここでポイントとなる事は2つあると思っていて、
1つ目は場に居合わせなかった母親やスポーツ女子すらも男子達の方がかわいそうと思われる位の身勝手な状況でも、彼らは謝ってくれたこと。

2つ目はこの件に関して、私は自分が悪いとか、男子達の方がかわいそうとはその時は全然思っていなかったこと。

1つ目がポイントな理由は、先ほども書いたように向こうが悪い時すら謝らない人が中学や高校にはいたので何かその人間性みたいなものって全然そういう偏差値だ。みたいなものでは全く測れないなぁって言う間当たり前の話で。
2つ目は、私が全然自分が悪いって言う。なんか発想が全くなかったって言う。理由は今日私、先ほども書いたの良いコスパモンスターだったので、悪いこしないんですよ。
だから何が悪いのか全然わからない。
そんな発想に全く及ばないと言うイメージで、こちらの自分の加害性に関して考えようともしなかった。

私親友がいて、幼稚園から一緒なんですけど、基本的に悪く言ったりすることないながら私は悪者になりたくないよねって言う風には言われたことがあって。
本当に近くにいるから、彼女はよく見てたんだなって言うのと図星なんですよね。

2つ目は、高校の時の話です。
これはかなり10年間引っかかっていることなんですけれども、まず大前提小学校では
上記ラグビーの時みたいな。おかしい状況でも謝ってくれる優しい友達たちがいたということなんですよ。
その日々の後、って言うところも、結構個人的にはポイントになるのかなあって言うふうに思ってます。

部活動の引継ぎと言うものを行って、私たちが運営になる立場になったんですけど
その時近くで揉め事があったみたいですね。

私基本揉め事嫌いなので、
何か揉め事を起こす価値がある人と言うふうに感じないって言い方をしては、かなり言葉が悪いんですけれども。

私、最後にまっとうな喧嘩したの小学校1年生なんですよ。
その後はほんとに喧嘩をする価値があると思う人に出会えない。
いや普通おかしいというかありえないんですけども、私の中でちゃんと関わりたいなぁきちんと向き合っていきたいな正々堂々その人間と向き合いたいなと思うで喧嘩してもいいって思えるかどうかなんですね。理由が私があまりにも普段喧嘩嫌いだから。
大嫌いな事でもやりたいってまぁよほど大切な人じゃないとって言う話です。

横道にそれてしまいましたが、まぁその近くで喧嘩が起こってうっとうしいなぁ、頼むから巻き込まないでくれって思っていました。
当時部活って人間関係では無給の仕事みたいな感じなんですね。

部活これでも5年目で、まぁ結構煮詰まってもいて、大体もうみんなの性格がわかるし、その揉めている子たちも結構気が強い子達であーやると思った、あーいやだ、どっちかが真っ当な性格だったらこんなことならないぞみたいな感じだったんですよ。 

ただ、何があったのかは知りたくて、後で呼び出されてもいやなので。
私の態度が悪いみたいな話をされても困るので、先に聞いとこうと思ったんですね。
そしたら私は全然関係なかったみたいで、ほんとに単なるそのA、 Bの間の揉め事でしたと。
で、私がAに電話か何かで結構冷たく突き放したためAさん怒っちゃったんですね。
全然しばらく口とかも聞いてくれなくなっちゃってっていうことです。

部活仕事みたいなので、なんか正直あんまりもうその卒業後の人間関係、全然期待してなくて、仕事とプライベートって違うじゃないですか。
だから仕事とプライベートで一緒になっちゃって時点でなんかいまいちだなってふうにすごく思ってたんですけど、普通のただの私的な交友関係だったら、このまま不仲や疎遠でも別に問題ないんですけども、部活(ほぼ仕事)である以上は他所に迷惑かけるから、どちらかが折れないといけない。

またAさん全然譲歩しない性格なんですよ。もう彼女こそほんと謝らない。
成績とかで言ったらまぁすごく優秀なんだけれども。

だから結局私は謝って、向こうはいいよ。で終わり。
私、申し訳ないんですけど時にいいよで終わらせる人ほんとに好きじゃなくて、ほんと人間関係持続させる気に全くならないんですよ。
けれど、これは仕事だから仕方がないと。この件で決定的にその後のなんだ交友関係変わってしまっててか私が関係続ける気がなくなってしまって、今とかも全然LINEとかも来ても返信してないです。悪いけど読んでもいない。

ただ、私が反省たのは、自分の加害性について全然考えてなかった点なんですね。
私がいかに私がその中状況、つまりA、 Bの喧嘩を聞いたときに、冷たく突き放したかって言うことのその相手のAの気持ちを考えていなさを全く無視してた。
何か気が強く自己中心的なもめてるAとBのことを軽蔑し、さらに謝らないAのことをさらに軽蔑し仲良くする気なんかないよーって言うふうにしちゃってたわけなんです。
まぁ今考えたら明日私も怒りすぎだったかなというか。

なんか1番問題だと思うのはその部活動で一緒だからプライベートと仕事、要は公私が一緒になっちゃってる点だと思うんですね。
どちらかが異様に損をするみたいな。
だから言いたいことも言えないって何、高校生が仕事みたいなことそんなやる必要がある?
多少あるかもしれないけど、そこまで我慢したり苦しんだりして必要があるのでしょうっていう話なんですね。

もろもろ含めて嫌になってしまって私は卒業がもういいかなぁって言う風にも思ってたわけなんですね。

ここでポイントはまた2つあると思ってて、
1つ目は今後Aと仲良くするかどうかは関係なく、自分の加害性にはしっかり気づいて反省すべきということ。 

2つ目は、自分にとって人間関係で落とせない、って何なんだろうなと言うことを考えるということ。
私の中では、3つで1つ目が尊敬と2つ目が謝れるか、と3つ目が素直さです。
何かAさんて補足情報なんですけど、普段からちょっと偉そうだったんですよね。すごい自分の勉強とかもできるから、何か他の人を見下しているところあって、特に私には仲が良かったと思って結構上から目線だったんですね、ちょっと調子乗ってたのでね。
私そういうとこ小学校の時ものすごく気をつけていた点でもあったから、すごく目にも鼻にもつくんですよね。
その上で私は謝らないみたいなのがものすごく子供に感じて。
しつこいですけど、先ラグビーの愛私が資する、おかしい状況でも謝ってくれる子達がいた中、あれレベル高いものを求めてきたはずなのに、なんで人間レベル低いみたいな失望感みたいのがありましたね。

では、私はその中学入学前のことをもっと感謝すべきで、その辺の感覚が欠落していたから、中学や高校に関してまたその中の人間に関して異様な期待をかけてしまっていたということかなと思います。

いやほんとに偏差値70でも謝れない人っているのでね。そのそういう面の本質を落とさないようにしたいなと言う教訓であり、戒めの経験だと思ってます。
また私はほんとにこの話もラグビーの話と一緒で全然何が悪いのか全然わかってなかったので、仕事的にまぁ仕方がないかこのままずっと迷惑がかかるので噂になるのでみたいな感じで謝っただけで
プライベートとしては、公私の私としては全然許せなかったですよね。

やっと10年経ちましたけど、やっとレベルでようやく自分の加害性にも腹落ちしてきてまぁいいよだけにはなのは全然許せないというかもうほんとにそれは軽蔑するんですけど、まぁこの件で、いかに中学入学前の環境が実は恵まれていたかみたいなのを築ける良い契機だったなと思いました。

私嫌なことばっかりに執着しちゃうので、何か良い面とか見えなくなっちゃうんですね。
だから、このノートを更新してない間に、小学校の通知をすべて見直して、写真とかを見てすごく小学生の時のことを思い出したんですけど嫌なことをあってそればっか思い出しちゃってなので全然いい思い出ないなっていうふうに思ってたんですけど、実はすごい楽しかったこと、いっぱいあるじゃんと言うことに気づきまして。
友達もいないと思ってたんですけど全然いて写真とかもすごいいろんな人ととってたりして
何か中学高校より全然友達いたんじゃないかみたいな。

この小学校時代の振り返りは、ほんとに自己分析と人生整理に意味があるなっていうことを身に染みて感じて、思っていたよりもっといろんな人にお世話になったし、支え、支えられ生きてきたなぁって言うことを感じられた。
なんというか、縁というか神様に呼ばれた?と思ってしまう位。こういう振り返りをしたまえと。

就職活動の時にとある会社の間でインターンみたいので、悪い面ばっかりに目がいって良い面を忘れてしまっているよと上司に言われたみたいな社員さんの話を聞いて、今どっちもあるに決まってるだろって話を聞きながら思ったんですけど、でも自分も全然それで来てなかったな。悪いとこばっかり生着ちゃったなーってふうに思ってだから見方が偏る自分の加害性も気づけない。

だから、これからの目標は冷静に中立の立場で、本質を落とさずに判断すること。
つまり本質じゃないんですよね。私がしていたことって。
ほんと親友のおっしゃる通り悪者になりたくない一心で悪いことをしない。私の物差しでは別にこれはいいと思うのであるみたいな一方的な行いお父的な振り返りだったとだから自分の加害者に気づきもなかったし、相手がどう思うかなっていう子に関係ありません。私普段から気をつけてるんでみたいな。

いやまぁ仕方ないと思います。同じような人たち
がたくさんいる以上、減点法みたいな− 8ばってんが1番少ない人が上がっていくみたいな部分もあるので。いいコスパモンスターというか、悪者になりたくない人がたくさん出現してしまうのはほんとに仕方がないことなのかなと思う反面、やっぱり私はこうやって人生を振り返ったときに 先程の、3点、1.素直、2.尊敬 3.謝れるかどうか、この3つを大切にしたいので、世の中で言う成功云々うんぬんなどにかかわらず、この3つを落とさないような(なぜならその3つが私は本質だと思うから、)交友関係を築いていきたいと思う。

しつこいけれども、そのために自分は、やはり良いコスパモンスターではなく、
本質を落とさないように、冷静にかつ中立の立場で、自分の加害性から目を背けたりもせず、真っ当に向き合っていくことをしたいなと思う。

上記のことが、これまで私が人間関係においてすごくかけていたことだと思うし、偏った自己中心的な見方だなぁと言うふうに思った点です。



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