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ないものねだり

絵が描けたら・・

今まで何度思ったことだろう。
私は壊滅的に絵が下手くそだ。

ちょっと頭に浮かんだ形を絵にして説明することも、なんならちょっとした地図だって上手に描くことができない。
関係ないが、定規で真っ直ぐ線を引くことも不得手だ。
じゃあ、何だったら描けるんだ。と思う。

そんなんだから、子供の頃からお絵描きの時間は苦手だった。
幼稚園の遠足で動物園に行ったあと、その時のことを絵にしましょう。という時間があった。
ただでさえ、思うように描けないのだ。
子供であるから尚更である。

それを、担任の先生が見て言った。
強く書きすぎだ。と。
筆圧の話である。
猿山の岩は、ところどころにクレヨンのカスが浮くほど強くこすられていて、確かに強く描きすぎではあったと思う。

けれど、5歳やそこらの幼児の絵だぞ?
筆圧の強弱で猿山の陰影を求める必要があるか?
絵画教室でも美大の教室でもない、カトレヤ幼稚園の年長さんの教室だぞ?
褒めて伸ばせ。とまでは言わないが、ダメ出ししなくても良くはないか?
当時の私はそれなりに傷つき、ますます絵を描くことが苦手となった。

苦手。というだけで小学校6年間をやり過ごし、中学時代は、美術の課題の画用紙の隅に「かけません」とだけ記し、見事「1」の成績を頂戴した。

反抗的な生徒だったということもあるにはあるが、本当に描けないのだ。
特に、美術の教師とは折合いが悪く、下手に何か描いて「こいつにダメ出しをくらう」のだけはどうしても避けたかった。

そう。幼稚園時代のあのダメ出しは、中学生になってもトラウマとなっていたのだ。
描けば必ず悪い指摘が入ると信じていた。

そして、文字しか書けない大人になった。

するとどうだ。
今度は、文字を上手に紡げず懊悩しているではないか。

ほんとうに、何なら書けるんだ。と己の胸倉を掴んで問いただしたい気分である。


実は、絵については20歳を過ぎたあたりで、自分なりに悟りを開いた。
かんけーない。誰が見る訳でもない。好きに描いたらいいんだ。という気持ちになれたのだ。
それ以来、下手であることに変わりはないし、上手に描けるようになりたいとも思うが、絵を描くこと自体は苦痛ではなくなった。

文字については、いつになったら悟れるだろうか。

こうして、ないものねだりばかりして過ごしている。

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