どうせ死ぬなら一瞬で

最近、気がつくと『どうやったら痛みなく死ねるんだろうか。』ということばかり考えている気がする。

先週は従姉妹の結婚式に参加し、久しぶりに祖母と会い、元気そうな姿に安堵し、会話を交わした。

よし、これで死ぬ前のTODOリストは1つ消えたな。そんなことを思いつつ、従姉妹の新しい人生に小さな希望と幸福が訪れることを願った。

死ぬというのはなかなか難しい。もちろん死ぬときは物理的に自分ひとりの状況で幕を下ろしたいと考えているものの、僕が死ねば妻の心の少なくない部分も死ぬだろうし、自死という行為は、心理的な集団自殺に等しい。

困ったなと思う。

都合よく、僕がこの世に存在した記憶や証なんてものが一緒に消えてくれやしないだろうか、それなら、サクッと死を選べるのに。と、最後の選択肢になりつつある『死』ということすら、難儀な設定に人生はなっているのだと、頭を抱えてしまう。

僕にとって『死』は常に隣にいるけれど、ずっと交わることの無い並行線で、頑張って近づこうとしても、漸近しては、離れ、漸近するを繰り返している。

手っ取り早く死にたい。だが、それは永遠に叶わぬ恋のように、はぐらかされ、僕を弄ぶ。

僕にとって唯一の救いが『死』だろう、と考えては、最後の選択肢まで奪ってくれるなと激昂し、また眠りに落ちるのだ。

そして、翌日また朝を迎え、声にならない咆哮をあげるのだ。

『死なせてくれよ!殺してくれよ!』と。

生きるにも死ぬにも、僕は弱すぎた。だから、早くこの物語にエンドロールを流して欲しい。切に、そう思い、雲ひとつ無い青空を仰ぎ見るのだ。

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