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友達以上恋人未満は世を超えて。思わせぶりがすぎる/ある歌人神官がみた明治(10)

写真が好きだったのだろうか。葦の舎あるじは、しばしば自分の写真を人に渡したり、一緒に撮ったりする歌を詠んでいる。

 明治30年前後の写真撮影料金がどれほどだったのか、残念ながら資料を持たない。安くはなかっただろう。
 葦の舎あるじが写真を詠む初出は明治29年。「寫眞のうらに」と題している。

 寫眞のうらに
かくこそとしれるものから見ればなほ うつししかげのはづかしきかな

『随感録』22番

「わたし写真うつり超ブスだからぁ~」は、いつの時代も変わらない。この青年らしい自意識が好ましい。
 明治30年にも、同様に写真の裏に書きつけたという歌が登場する。

 95番 おのれの寫眞のうらに
おろかなる身とはしれじとうつしとり 君がわすれぬかたみにとこそ

  96番 同
おたがいに身をも思はで写しとりし このうつしゑを君なわすれそ

 97番 あひ知れりける人ともろともにうつしとりたる寫眞のうらに
見るたびにすぎし昔やしのばれむ かたみにとりしこれのうつしゑ

『随感録』明治30年

 明らかに、誰かに渡すための自分の写真である。さらに、どうやら並んで撮った写真もある。歌の順からいって、この「あひ知れりける人」が写真を渡した相手なのだろう。なんだ「あひ知れりける人」ってはぐらかした言い方。古典文学なら暗黙の了解で契りを交わした仲になりますけど。

 恋人…ってコト!? 葦の舎あるじは恋人を詠うときは「わぎも子(吾妹子)」とはっきり呼んでいる。でもまあ、思わせぶりな「あひ知れりける人」も、一緒に写真を撮るくらいだから、それなりに…という気はする。
 だが、やがて。

 東京よりまかりかえるをり あひしれりける人のわかれを惜しみて寫眞をおくりければ
うつしゑを見るにこころをなぐさめむ またあふことのさだめなき身は

『随感録』102番 明治30年

 卒業後は、福岡へ戻る葦の舎あるじである。明治時代の福岡と東京は、あまりに遠い。遠距離恋愛という選択はなかったようだ。
「東京でみる雪はこれが最後だね」とあるじがつぶやいたかどうか。なごり雪も降るときを知っていたかどうか。

 さて、それではここで帰郷した彼の様子を見てみましょう。

 久しくあはざりし友とふたりあい一夜をあかし朝まだき今はまからむとてよめる
君にけさ別れゆく身はいかばかり かなしかるらむこひしかるらむ

『随感録』117番 明治31年

 え…ちょ、…うつしゑの君は?
 てか、いいですかみなさん、「久しくあはざりし友」っていってる。友。一夜をあかす友。徹夜で麻雀やってたとかそういう話じゃない、ふたりだし。そうだ、葦の舎あるじ、こういうところがある。思い出してほしい。
 夏休み、帰郷する道すがら「都なるともひとのもとに」、

たらちねのまたすいへぢをいそぐ身に なほわすられぬ君にもあるかな

 という歌を送っているのだ。友人に。

 ちなみに、似たシチュエーションで恋人と夜更かしする歌もある。

 よばれて人のもとに夜をふかしければ
いつしかと待ちやしぬらむいねもせで はしきわぎもの待ちやしぬらむ

『随感録』135番 明治31年

訳:いつ来るだろうかと寝ないで待っていたのだろうか、いとおしい子猫ちゃんは待っていたのだろうか

 この吾妹は、おそらくのちの妻だ。「待ちやしぬらん」を繰り返すことでいとしさのあまり有頂天になっている感じがあふれるように伝わり、とてもいい。

 もう一首、紹介する。

 花のさかりに人のもとに もろともに眺めむとて書きておくりたる
もろともに見てぞはやさむ我が宿の 庭ものさくら けふさかりなり

『随感録』129番 明治31年

 前後するが、この相手も流れ的に吾妹ちゃんである。だが残念ながら、吾妹ちゃんが前述の「久しくあはざりし友」と同一かどうか論じる材料はない。

 葦の舎あるじは、実に多くの恋歌を詠んでいる。逢えなくて悶々とする恋、相手の心変わりに胸を引き裂かれるような恋…、これから順番に紹介していきます。


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