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明治28年のお正月風景/ある歌人神官がみた明治(4)

 4代前の先祖「葦の舎あるじ」の歌集『随感録』は、おそらく明治27、28年から33年の間に詠まれたと推定できる225首が収められている。


明治28年 正月 のどけさは 都も鄙も変わらざりけり

 詠んだ時期の記述がはっきりあるものは少ないが、およそ時系列に並んでいると考えていい。季節の移ろいに、ほとんど矛盾がない。
 第4番の歌は「都にてはじめて年を迎へるおりによめり」という詞書がついている。

新玉の 年のはじめの のどけさは 都も鄙も かはらざりけり

『随感録』4番

 おそらく、國學院への進学で上京した際に詠んだのだろう。
 この時期の作に「二十八年二月小向井に梅を見んとて…」という詞書がついた歌があり、この「都にてはじめて迎えた年」は、おおむね明治28年で間違いない。
 同じ年の正月を詠んだと思われる歌はもう一首。

  寄門松祝
家ごとに 立ちわたしたる門松に 君がちとせの 色ぞ見えける

『随感録』8番

 この歌の前後に秋の歌が数首あるのは、明治27年の秋に詠んだものと推察される。

ちょっと戻って明治27年 秋色


  秋色
さきにほふ花の色こそおほかれど 淋しきものは秋の野らなり

『随感録』1番

  擣衣
たがために衣うつらむさよふけて 賤が門辺に音のきこゆる

   砧
うちわびて月やながむる小夜ふけて 賤が砧の音ぞたゆみし

『随感録』5、6番


月下砧打美人図(葛飾応為・部分) 出典:ColBase

 砧打ち、今や俳句の季語でしか見かけない失われた風物詩だが、葦の舎あるじは実際にその音を耳にしていたのだろうか。どうも定番のモチーフを使った習作のような感じもする。
 この頃の作をもうひとつ。

  東京に行かんとて屋をいでたちしに雨やまず降りければ
心なき雨もわかれを惜しみてや わが行くさきにふりつづくらむ

『随感録』7番

 青少年らしい過剰な自意識を感じてほほえましい。 
 ちなみに明治27年は、日清戦争が開戦した年です。日清講和条約(下関条約)の調印は明治28年4月。ほんとうに都も鄙も変わらぬのどけさといえる正月だったのでしょうか。

明治28年2月 梅を見んとて踏み迷う

  二十八年二月小向井に梅を見んとてたどり行くみちすがら ふみまよひゆくてわからずとて

ふみまよひ いづち行くらむ梅の花 香をだにおこせ たどりゆくかに

『随感録』48番

 菅公の有名な「東風吹かば匂いおこせよ梅の花」の本歌取りかな。
 小向井は、今の川崎市幸区の多摩川沿いにあった梅の名所。明治17年に天皇が行幸され看梅を楽しまれたことで、幸区、御幸公園といった地名になった。
 梅園は明治末期に多摩川の氾濫で多くを失い、面影は残っていないが、御幸公園には「明治天皇臨幸御観梅跡碑」が建っている。近年は梅園をよみがえらせて町おこしにつなげようという動きもあるらしい。

 イメージで、先日出かけた熱海梅園の梅を載せておく。

 

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