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時差のある救い、について。

ヘッダーのお写真は、仕事仲間かつ長年の友人とランチからのお茶会にて。仕事の話からプライベートな話まで、和三盆をドバドバ入れて飲む抹茶ラテは、至福以外の何物でもなかったなぁ。

さて、唐突ですが、私という人間は「寂しがり屋」でして。意外に思う方も多いかもしれませんし、少なくともパブリックイメージには無さそうな気がします。常日頃からワイワイと人が集まる仕事を選んでいる時点で、その片鱗は見えているような気がしますが、よく「なんか、マリエさんって1人で生きていけそうですよね」と言われます。……何故?(笑)

創作の場に身を置くクリエイターでもないイチ個人の抱える寂しさなんて、そもそも公に放つ事ではないので、第三者が知る由もなければ知らせる余地もないのですが、少し記しておきたい記憶があるので、今回のnoteを更新しています。(私の近しい友人たちがこの記事を読んでいたら、さぞかし大きく頷いている事でしょうけれど!)

愛読書である森絵都氏の「つきのふね」に登場する勝田くんのように、「ひとりになるとぞっとする」ような事が若かりし頃にありました。かつて、そんな私を眺めていた近しい人が、私を、"さみしい怪獣"と言い表した事があって、その当時から本当に素晴らしい言語センスだなぁと思いながら私はその言葉に救われたし、今でもふとした寂しさを抱えた時は、自分のことを"さみしい怪獣"と思う事で納得させているというか、笑いに変えて乗り越えようとする節があるように思います。

かつて

「教育とは、遠くにボールを投げる事だ」

と聞いた事があります。今の時点では、そのボールが受け取れなくても、軌道を見失っても、いつか投げられたボールの落下地点に辿り着いた時、ボールを眺めたり拾ったりして、ハッとした気付きや理解に繋がれば良いのだ、と。

今回の場合は、教育の話ではないのだけれど、時差のある出来事って、この世には意外とたくさんあるよね、と感じる明け方なのでした。

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