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読書に目覚めたアンバランス現象って話

私たちの住む太陽系は、およそ300万年に一度、ダークマター漂う未知の宇宙空間を通過します
そこは何が起こっても不思議ではない世界……
そのアンバランスゾーンを、皆さんは、今から体験する事になるのです

摩訶不思議な世界へといざなおうとするこのナレーションは、何を隠そう『ウルトラマンネオス』のOPで流れるものだ。

大雑把なストーリーだけ述べると、下記の通りだ。(本当はもっと沢山話したいが、特撮オタクなもので止まらなくなってしまう…)

300万年に一度、地球はダークマターと呼ばれる暗黒物質の雲の中に突入する。地球ではダークマターに接近するにつれ、『アンバランス現象』と呼ばれる天変地異が巻き起こることとなった。(怪獣災害も天変地異の一つ)
その地球を救うために派遣されたのが、宇宙飛行士カグラ・ゲンキと一体化したウルトラマンネオス。ネオスは地球を守るため、怪獣たちと戦う。

本作では、全長1メートルもあるゴキブリや手のひらサイズの小型のゾウの群れが発見されるなど、生態系が狂ってしまった地球が描かれている。
その様子はまさしく、「アンバランス」そのものだ。

私が読書をするようになったのは「アンバランス」がきっかけだった。

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私はーー読書離れが叫ばれている現代社会の中ではーー人並みには本と親しむ生活を送っている。
なんなら、ふとした買い物でコンビニに行く時はnoteを読みながらと、活字が生活に溶け込んでる。

こんなに本や活字が生活に入り込んでいるということは、子供の時は”本の虫”で、幼少期からただひたすら本を読んでいたアンバランス●●●●●●な生活を送ってきたのだと多くの人は想像するだろう。

しかし私の場合はそうではない。むしろ真逆の方向でアンバランス●●●●●●な幼少期を過ごしてきた。

幼少期の私は漫画・アニメ・特撮が大好きだった(特に特撮)。
今でも、ウルトラマンの主題歌は誦じて歌えるし、合体ロボを見ただけでどの戦隊モノなのか即答できる自信があるし、仮面ライダーの変身ポーズはサブを含めて大体全部できる。
記憶に刻み込まれるまで、当時のVHSをずっと見ていた。

そして何より、ゲームが大好きだった。
『ゼルダの伝説』シリーズは漏れなく遊んだし、友達の家に行ったら『スマブラ』でひたすら対戦をし、『ポケモン』シリーズでは伝説のポケモン(育成論など知らない小学生の間ではエースにする)を禁止してクリアするという縛りを勝手に作って楽しんでいた。

読書はーー喩えるなら炭火のようにーーゆっくりじんわりと血肉に変えていくのが醍醐味でもあるが、幼少期の私はそんなものは見向きもせず、「即時的快感」を刺激しやすい娯楽ーー漫画・アニメ・特撮・ゲームーーを浴びるように接してきた。

「読書好きだったら活字を浴びるように接してきたのだろう」と多くの人が思うであろうが、そんなことはない。
むしろ活字とは無縁の、どこにでもいる”今時の子供”のように漫画・アニメ・特撮・ゲームにステータス全振りするが如く、アンバランス●●●●●●な生活を送ってきた。

しかし、何が起こっても不思議ではない世界。
こんな幼少期を過ごしてきた私が、本/活字の沼へと足を踏み入れていくのだ。

小学校高学年になると委員会活動というものが始まる。
放送委員、給食委員、保健委員etc…
皆さんも記憶にあるだろう。
数多くの委員会の中で、私は図書委員を担うこととなった。
仲のいい友達がいるという理由だけでなったのだが、これが大きな転換点を迎えることとなる。

図書委員の仕事は図書当番ーー本の貸し借りを際に図書カードにハンコを押すだけーーだけだった。
しかも図書室の先生が、中学校の図書室の先生と兼任している都合で毎週末学校にいなかった。
私と仲のいい友達はその週末の当番だった。

特にやることもないので、私はひたすら図書室に置いてある漫画を読むことにしたのだ。(仲のいい友達はひたすら電車の絵を描いていた)
学校で合法的に読める漫画、歴史の漫画である。

埃かぶっていた本を手に取り、ひたすらに読み耽っていた。織田信長や源義経、大久保利通、伊達政宗etc…あげればキリがない。
偉人というか歴史上の人物の漫画を読んで湧き出たあの時の感情は、今も色褪せていない。鮮明に覚えている。

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夏休みのある日、私は近所の公民館に来ていた。
クーラーがガンガン効いているので、涼みに来ていた。
自販機でキンキンに冷えたジュースを飲み終えた後、公民館に図書室があるので、暇つぶしがてら行ってみた。

学校の図書室よりも埃っぽい室内に軽く引きつつも、あたりを物色すると一冊の本を発見する。織田信長の本だ。
うわ、文字ばっかりだ…と思いながらパラパラと読み進めると、漫画で見たあのワンシーンが文字だけだと、こんなに短く表現されるのだと。またその逆であれだけ長く書かれてるものが、漫画だと一コマで表されてるのかと驚愕した。

歴史漫画を読んで湧き出てきた感情が、文字というものでさらに自分の脳内に刻み込まれていく感覚を覚えたのだ。

そこからあっという間だったと思う。読書沼へと突き進むには。
いろんな本を読んでは、幼少期に「即時的快感」な娯楽ーー漫画・アニメ・特撮・ゲームーーで味わった感情や学校生活などで何気なく目にした出来事などが、文字によって「言語化」されて読書によって刻み込まれていったのだ。

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私は今でも漫画・アニメ・特撮・ゲームが大好きだ。
暇さえあればゲームをするし、土日は早起きして特撮モノのテレビを必ず見る。
漫画もアニメも相変わらず大好きだ。辛気臭いニュースを見る暇があるなら、一日中アニメをつけている。
大人になってからは旅行にもハマり出した。
しかし、肌身離さず本がそこにはある。
唸りを上げて湧き出てくる感情を文字として刻み込むため、私は読書をする。「感情の波」を波のままにせず、言葉の力を使って綺麗に成形して頭に入れる。

その循環のなかで、いつしか本や読書も「創作物を楽しむためのツール」ではなく「それ自体が楽しさを味わえる対象」へと変わっていった。

決して、漫画・アニメ・特撮・ゲームにステータス全振りしてたアンバランス●●●●●●な生活からの揺り戻し、つまりバランスを取ろうと意識した結果、読書をしようと思ったのではない。

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バランス感覚というものは非常に重要な要素ではあるが、バランスというものは取ろうと取ろうと思って取れるものではない。
バランスを取ることが至上命題となってしまい「何者」にもなれなかった人はまあまあいる。
そうした人たちに言えるのは、何かにステータスを全振りしたアンバランス●●●●●●さがなく、感情の引き出し・土台がないまま大人になって、中途半端に言語能力だけ身につけた人たちだ。

Twitterというムラに訪れたらよく見る光景である。
中途半端に感情が刺激されて出来上がった「感情の波」をそのまま、中途半端な言語能力で吐き出してしまうこの中途半端な空間にどっぷり浸かるのは問題である。

それどころか、自分より劣ったもの・激しく間違えてる人間をわざわざ●●●●見つけ出しては、中途半端な「感情の波」に身を任せて茶々を入れる様は、はっきり言って異様とも言えるだろう。

何かに打ち込むのは時にして、アンバランス●●●●●●だと形容されるかもしれない。しかし、そのアンバランス●●●●●●さを恐れてはいけない。そこから唸りをあげながら湧いてくる感情を逸してしまうからだ。
TwitterやYouTubeなど中途半端に「感情の波」を作るSNSばっかり見て、「SNS脳」の状態で正義中毒へと突き進む方々を他山の石としたい。

私は今日もアンバランス●●●●●●なくらい、漫画・アニメ・ゲームを楽しみ、時には筋トレをし、時には仕事をする。
その日常を「言葉の力」で頭の中に刻み込むために、今日も読書をするのであった。

私たちの住む太陽系は、およそ300万年に一度、ダークマター漂う未知の宇宙空間を通過します
そこは何が起こっても不思議ではない世界……
そのアンバランスゾーンを、皆さんは、今から体験する事になるのです

「SNS脳」で正義中毒になり「怪獣」となってしまった人が増えてしまったのは「アンバランス現象」なのか、それとも自らの意思なのか。
私は何もわからない。

#読書の秋2022

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