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俺のブルースを聞いてくれって話

今年も残り30日を切ってしまった。

街の至る所で辻竜太郎の応援歌として知られる『もろびとこぞりて』をはじめとするクリスマスソングが流れる季節となり、一年というのはあっという間に終わるのだなと感じる。

回転がそんなに早くない頭を振り絞って、今月もnoteをつらつら書いていこうと思う。

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私は厳しい躾とは無縁で、どちらかというと自由奔放に育てられたと思う。
三兄弟の長男長女同士だった両親は、自分が「お姉ちゃん(お兄ちゃん)だから〜」という言葉を言われてかなり嫌な思いをしたらしく、自分の子供には言わないという鉄の誓いを立てており、私はその恩恵をモロに受けて育った。

おもちゃもゲームも本も欲しいものは大抵買ってもらえた。(兄弟ももちろん)しかし、そんな中で厳しく言われたのが夜更かし禁止である。
22時には就寝(熟睡)しなければならず、そこだけは厳しく言われた。

しかし、夜ふかしが許された日もある。
『エンタの神様』が放送される土曜日だ。
当時はお笑いブームと呼ばれており、「エンタ芸人」なるものも多数出てきた。当時の私は陣内智則・ラバーガール・東京03が特に大好きな芸人で、出演したときは嬉しすぎて小躍りしそうだったくらいである。

そんな『エンタの神様』も様式美があり、歌ネタがラストを飾るのだ。
そのラストを飾る歌ネタ芸人の一人が犬井ヒロシだ。お笑いコンビのサバンナ高橋の別名でもある。彼が出てきたら、「あー今週もエンタ終わってもうた」という合図でもあるので、名残惜しかった記憶が蘇る。

彼のネタは、ギターを弾きながら絶妙なあるあるネタを言い、その解決策を2択で投げかける。そしてサビの前で拳を突き上げて叫ぶ。

自由だーーーーー!

前置きが長くなってしまったが、この「自由」に耐えられなくなってしまう人がちらほらと見かけるようになったと肌で感じる。

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下着ユニバという謎のワードがTLをざわつかせてしまったのも、もう1ヶ月半前の出来事だ。

上記のツイート通り、ハロウィン期間でコスプレをしてUSJを楽しんできたという内容をInstagramに投稿したところ、「露出が高すぎる」と炎上してしまった出来事だ。

網タイツや胸が溢れてしまいそうな薄着から下着のようだとなり、一連の炎上の出来事を「下着ユニバ」と揶揄されている。

同じように目のやり場に困るような過激なコスプレといえば、渋谷のハロウィンが想像できるだろう。
この渋谷ハロウィンも公然猥褻ギリギリの格好をしてる人が多くおり、ハメを外しすぎた人たちが悪目立ちしてるのも相まって槍玉に上げられやすい。

しかし同様に、アニメ調のいわゆる「萌え絵」と呼ばれるものも(多くはフェミニストと呼ばれる人たちから)口撃されやすい。

「表現の自由」を叫ぶ界隈はこの「萌え絵」が攻撃されたときは、一致団結して擁護にまわる。もちろん「萌え絵」を口撃しているおフェミ界隈の筋違いの論点(性的搾取と話を殊更大きくする)やクレーマーまがいの行動でキャンセルさせようとする行為は絶対あってはならない。呉座勇一さんの一件もあり、それらを踏まえると、私はおフェミ界隈に一切肩を持とうとは思わない。

しかし、下着ユニバや渋谷ハロウィンの場合になると、「表現の自由」を主張する人たちは、普段目の敵にしているフェミニスト界隈と同じような論法を使って批判する側になる。「アニメ好きのフェミニスト」と言っても差し支えないのかもしれない。
現に、下着ユニバで燃えてしまった女性のInstagramのアカウントでは、「カワイイ!」や「キレイ!」といったTwitterとは全く違う反応であった。しかし、次第に批判コメントの方が多数派になってしまうと、「よかったTwitterの方が正常だった」という反応まで出てしまった。

日頃SNSで暴れ回ってるおフェミ界隈に自分の好きな聖域でもある「萌え絵」だけは犯されたくないから「表現の自由」を盾に戦う一方、キラキラした人たちには辛辣に批判するのは、いくらなんでもダブルスタンダードすぎる。そう邪推されたてもおかしくない。
普段敵対する相手と同じ土俵に降りてしまうのは、非常に残念な気持ちである。

公共の場でエチエチな萌え絵の広告が出されようが、1軍陽キャたちが過激なコスプレをして楽しもうが…

自由だーーーーーー!

エチエチな萌え絵の広告が出されてちょっとボヤ騒ぎが起きたとしても、その声をマイナスイメージにつながると判断するのか、問題なしと判断するのかは広告主にかかっていると思う。(だからこそデカい声で騒いで、キャンセルさせようとする行為は断じて許せない
過激なコスプレをしたとしても、それをTPOにわきまえない・パークの世界観を崩すと判断するのか、人それぞれの楽しみ方の一部の範疇と捉えて問題なしと判断するのかはテーマパーク側にかかっていると思う。
(サンリオピューロランドでは、過激なコスプレ集団に対して入場お断りの判断を出している。だからこそマナー講師仕草で「子供が見たらどうする!」といったデカい声で騒いで、個人のSNSで謝罪に追い込もうとする行為は断じて許せない

※下着ユニバに関して補足

USJ側は過激なコスプレに関して諌めるツイートをしている。

しかし下着ユニバの一件の後にこの発言をしているので、「ユニバがあかんって言ってるやんけ!」という理由で下着ユニバの一件が炎上した訳ではなさそうだと考えることができる。

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自由や多様性という言葉は、とても崇高な概念だと思われている。
しかしながら、実際は私たちが考えてる以上に、自由や多様性はずっと泥臭いものだ。

自分が不快のものに対しての振る舞い、気に入らない他人の「批判されない自由」が試されている。
自由な社会というのは、様々な考えが乱立し魑魅魍魎な世界と言っても過言ではないのかもしれない。

現実社会でも、どうしても考えが合わない人がいるだろう。
そういう人がいたら、スーッとフェードアウトしていき必要最低限の会話しかしないように距離を遠ざけると思う。わざわざ会話をしていてストレスが溜まる人間に直接出向いて会話をさらにしようとする人などは皆無であろう。
SNSでもどうしても考えが合わないなという人が出てくるかもしれない。
そういう場合はそっとフォローを外すか、ミュートなりブロックで視界に入らないようにするだろう。
みんなが思ってる以上に、簡単かつ快適に過ごせる環境は整っている。

それなのにわざわざ土足で上がり込んで、矯正させようとするのが問題だ。
「表現の自由」を謳う人、おフェミ、心臓をポリコレにささげてしまった人etc…全てに言える。

私にとって気に入らない価値観(≒間違ってると思い込んでる)を持つ人は、誰からも評価されてないor批判されてるに違いない。
そう思わないと、自分の世界観や価値観や「ただしさ」に自信が持てない。
だから炎上させよう、願わくば「私が間違っておりました」と告白させ信仰を改めさせよう。自分の方が正しいと安心したい。
私からすれば、「他人」に依存している芯のない人間のように見える。

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亀の甲より年の功
そんな言葉は幻に過ぎないのかもしれない。
TLという名の激流に身を寄せると、そんな感覚を覚える。

27年という月日が私の人生の中で経過した。
もう若者ではなく、一人の立派な大人としての振る舞いが求められていると日々実感する。

そしてこの年齢になれば、自由になれば不愉快なものにエンカウントしてしまうものだというのもわかってきた。
だからと言って、排除しようとは全く思わない。
言葉という刃を人に向けて脅して改宗させた時、同様に自分にもやられるからだ。

それでも叫ぼう

自由だーーーーー!

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