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それなり

アパートの前の工事は冬までかかるらしい。
毎週月曜日に工事進捗のチラシがポストに入れられて律儀だなあと思う。確かに朝8時から鳴り響くトンカントンカン音はうるさいしわずかながら揺れるのだけど(これはたぶんわたしの住んでいるアパートの構造にも問題がある)、むしろ目覚ましのかわりになっているし、べつに生活に支障をきたすほどじゃない。

それなりに、平和だ。

きのうは朝から横須賀美術館に行って、せなけいこ展をみたあと灯台に登った。横須賀美術館は海のそばにある。建物のかたちはクラゲみたいで、白くてやけに清潔感があってシンとした匂いがした。東京からたったの1時間かそこらで都会の面影は消える。すこし歩けば海水浴やバーベキューをたのしむ人たちがいて、ふと夏休みの終わりを感じた。

海岸からすぐ山があって、灯台はその山の上にあった。見えている分には近く感じたけれど実際に歩いてみればそれなりに遠い。山道もそれなりに険しかった。でも疲れたなんて言えないよな、と思った。疲れたなんて言わなかった。
登りきった灯台から見る景色はきれいだった。向こうがわにうっすらと見える陸地は千葉だそうだ。ぴゅうと吹く風が強くて、「帽子、飛びそう」と笑ったら、え?と返された。聞こえなかったんだな、と思って、「風つよいね」と言いなおす。隣に立つ人は何か答えたけど、今度はわたしが聞き取れなかった。聞き返すことはせず、頷いて、笑った。
海にたくさん浮かんでいる船が、おもちゃみたいだった。

別れ際、そっと抱きしめられたとき感じた違和感の正体に本当はもう気がついている。
これでいいんだ、これでいいんだ。そう思い込もうとしてしまっている時点でもう、これじゃだめってことも。

それなりに。
一緒に灯台に登った人のこと、それなりに好きだ。いい人だと思う。でも。

このうまく表現できない「ちがうんだよな」はなんだろう。
ちがうってことしかわからないけど、そこからうまくすり合わせていくための努力をしなくちゃいけないのかな。ちがうよな。ちがったよな、付き合うってたぶん、そんなんじゃなかったよな。

わたしはたぶん、この人に短歌をつくっていることをずっと言わないと思う。微妙に噛み合わないままの会話をぶったぎる勇気も、これからお互いを知っていきたいという気持ちも、もてない。きっとわたしに問題がある。

これでいいんだと思い込もうとすればするほど、心のざらつきがありありとかたちを強くした。なおらない寝ぐせのような、反対に入れてしまったコンタクトのような、聞こえないまま笑った相槌のような。

結局ぜ〜んぜん過去から成長できていないんですね〜と心の中のわたしが大きな声でまくし立てる。わかってんだよそんなことは。

むかし、船の上で風にあおられて帽子が飛んでしまったことがある。白いキャップが海に落ちて、ベタなドラマみたいだった。どうしようもなくおかしくてゲラゲラ笑った。髪の毛ボッサボサやで、うるさい、飛び込んでとってきてよ、むりやって。あのときの写真はもう消したのに、やたら鮮明に覚えている。夏、終わりかけだったけど眩しかった。すごく。


#エッセイ

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