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そんな老いぼれじゃ冒険心を育まない!

ディズニープラスで見放題配信が始まり、「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」を視聴いたしました。その感想でございます。

うーん。息子の死がきっかけで離婚していて、定年退職を迎えた主人公。この境遇だけでラストが決まってしまったようなものだ。ヘンリーJr.の締めくくりとしてはこれしかないだろうが、視聴者にとってはコレジャナイ。

振り返れば、最後の聖戦が一番面白かったな。あれ以上の脚本は望めないだろう。

いま、最初の作品(失われたアーク)を見れば、その鈍(のろ)さに驚くはず。アクションの見せ場は数えるほどしかなくて、人間関係のドラマとゆっくりした語りで魅せていた。そう、安っぽさが妙味だった。

今作はアクションシーンこそ21世紀風で密度が高いが――加えて上映時間は増えているのだから、アクション増し増しだ――登場人物たちの醸し出す空気感や関係性に魅力が乏しい。特にコンパニオンであるヘレナの役割が劇的に薄っぺらい。最後だけは重要な役を担うが、それ以外の退屈なことと言ったら。

マリオンのようなサバイバーの立ち位置でドタバタぶりが健在でも、捕まってお荷物になるパターンで意味をもつヒロインゆえの濃さや、そこから出てくるインディとの繋がりが、もうなくなってしまった。過去は因縁じみた紹介だけで、主人公は逆にヒロインに助けられる側になってしまう。

「第一に、歴史が変わっちゃう」
「変わっちゃいけないか?」

ここだろうな、注目すべき箇所。独りよがりの老人も以前はそうではなかったろう。しかし、視聴者は変わっちゃいけないところでの冒険もありうるのか! とそのオチに随分期待させられた。棺の人物はもしやインディだったのか!? とかね。アルキメデスがダイヤルを2つに分けた真の理由も含めて…… 

マリオンとよりを戻す……そもそもインディとマリオンって結婚が長続きするほど仲良くなりそうだったかな? ヘンリーシニアのように歳を取ってもお盛んで気楽な老人の方がよかったかも。最後までヘレナに説教するような頑固さであった方が、らしかったのでは? 2049年のロスに暮らしているデッカードみたいに。

豪快な墓荒らし稼業を続ける爺さんが見たかったかな。いい人になりすぎてた。たとえば、2番目の妻と結婚していて、マリオンが再会してしまったり、なんて方が現代的だったろう。今度は娘が生まれていて、なんてね。

もしかするとポリティカルな辛気くささだったかもしれない。インディは型にはまらない生活を好みそうだったのに。老いの孤独なんて昔の彼からは想像できない。俳優が出演できないので役(息子)を殺す、という策は好ましくなかった――これに尽きる。息子の死が影を落とす、なんてインディは誰も見たくなかったろう。

蛇足ながら、アンティキティラは未来人を呼び寄せる為の救命ブイだった――元ネタはキャプテンフューチャーの「時のロストワールド」かな。

クリスタルスカルは、スピルバーグが好きそうなネタでルーカスによって書かれた「失われたアーク」のバリエーション。だから「運命のダイヤル」は「魔宮の伝説」を参考にしてるんだろう。しかしながら、おふざけや洒落た演出はほとんどないし、大学の事務員が殺されるといった、あり得ない方向性になってる。インディが犯人で指名手配とか、アホか。CIAや国のために貢献した特別エージェントだぞ(前作の続きを踏襲するのであれば)。一般ピーポーじゃないのだから、メイソン捜査官を前にして、もっと違う会話が成立したはずなんだ。「君は○○の後輩か?」とかさ。ともかく、テンポの悪さとアクションの無駄な尺はどうしようもない。

老いの孤独を感じるインディの救いは別れた妻。これもめちゃくちゃ安易だ。視聴者がインディの年代だとして、古女房が慰めになるという人がどのくらいいるのかな? この映画を見たからといって、老後を生き抜く勇気のようなものを貰えるハナシじゃなかったことにガッカリではないか。鬱屈した気分を発散できる娯楽作でもなかった。映画を見た意味がゼロに近い。見なきゃよかったパターン。いっそ過去に残ればよかったのに。

たぶん、裏設定があって、アルキメデスから返されたはずの時計が棺に収まっている理屈はなにか用意されていたのだろう。一周前のインディは過去に滞在したとかなんとか。いずれせよ、ストーリーラインがダメダメ。あれじゃ、よくなりようがない。ほとんど駄作。よくこれで、ゴーを出したよな。

前作(クリスタルスカル)は本作よりも当然のように面白かった。4作目、そして現代に披露する活劇、という観点ではそれほどではなかったけれども。

「魔宮の伝説」を思い出して欲しい(見返した)。1作目(失われたアーク)とは異なる方面を果敢にチェレンジしていたことを。ルーカスは気に入らなかったらしいけど。喩えるなら、TRPGのダンジョンズ&ドラゴンズみたいで、冒険者一行が困った村を救うエピソードだ。ミュージカル顔負けのオープニングからボンド映画ばりの暗黒街の顔役とのかけひき、そして空からの脱出行。クエストが説明されてからも見事な急展開は続き、秘密結社の悪魔降霊会みたいな場面、そして奴隷解放とトロッコ逃亡へと続く。ポリコレ的には「白人の救世主」に相当してしまうわけだけど、オプティカル合成しかなかった当時の娯楽作としては非常に奮闘している。創意工夫であそこまでイケてしまうのだ。この違う路線もありえることをもっと追求して欲しかった。なんとかの一つ覚えみたいに、敵役といえばナチスしかないわけじゃないんだ、と。

だから、新しい最後のインディ・ジョーンズに足りなかったものは――冒険心だ。物語が新しいことをやろうとしていなかったことだよね。活劇の主人公に齢を重ねた人間を感じさせようとするなんて、まるで逆効果。かつてのスタイルを似せたり踏襲することでインディらしく見てもらおうとごまかしたのが大きな間違い。ハリソン・フォード自身が演じていてたぶん一番知っていたと思う。脚本家はハリソンに聞けばよかったんだよ。

「インディだったなら、どうする? 彼は歳とってどんな冒険をしてる?」って。息子が登場しなくても成立しただろうし、マリオンと結婚生活が続いたのはきっと幻想だっただろう。歳だからって随所から断られて意地になったりもしてただろう。大学の教職は早々に見切りをつけて博物館のキュレーターになってたりしていたかもしれない。一方で政府からは特別顧問として意見を求められていたり。この15年でも変わらない保守的な彼ではなくて、積極的に変わっている最先端の彼を見せるべきだったんだよ!

「もう、引退したんだ、僕に尋ねないでくれ」とか。秘蔵の宝を展示できるように交渉しに行くとか(実は、その宝には調べたい謎が詰まってる)。また、仲間の学芸員に若手の生意気なヤツがいて、インディ爺さんを出し抜こうと画策するんだけど、ミスを犯して失態を見せる結末になるところを逆にインディに救われる。この一件で若者の中でインディの株が上がって、ちょっとした父子のような関係になるわけだよ。そして、この息子はさる身分違いの娘に恋心を抱いてる、と。そこでインディ小父さんが一肌脱いでやろうとする。一方で、古代マヤ展に向けた準備が整うなか、件の秘宝が奪われたりしてしまうわけだ。そんで秘宝の在処と盗んだ連中を突き止めるべく……

てな具合で、そういう活気のある爺さんを見せるべきだった、と私は思うね。人生100歳時代で老後の生き方に脚光が当たっている現代に、あのしょぼくれたインディはねーよ!

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