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つじーの書評集|頭の中をさらけだす読書室

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noteでの書評をまとめています。2024年は週一更新予定。 書評を通して本のおもしろさと僕の脳内を紹介します。
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記事一覧

史実だからこそ描ける悪魔の伏線―こざき亜衣『セシルの女王 6』

1.綺麗な和解のオモテとウラ 明るさの底に重低音が暗く、暗く鳴り響くような一冊だ。  昨年も今年も『セシルの女王』は僕が一番おすすめしたいマンガだ。誰にでもすすめたい。買わせたい。  ヘンリー8世の5番目の妻、キャサリン・ハワードの処刑からはじまる6巻は「家族」が大きなテーマである。  ウィリアム・セシル(以下セシル)は身分を理由に反対する父・リチャードを押しのけてメアリ・チークと結婚した。誕生した男子には尊敬する大政治家トマス・クロムウェルからとってトマスと名付けた

誰もが心にムルソーを飼っている―カミュ『異邦人』

 我々が「異端」だと思っているものは、自分も持っているに見ないことにしてるだけなのかもしれない。  アルジェリアに住むムルソーは、ひょんなことから友人の女性トラブルに関わる。そしてトラブルの関係者を突如ピストルで殺してしまう。一発の銃弾で倒した後、倒れた身体にもう四発撃ち込んで。  ムルソーが殺人を犯すまでの前半はのっぺりと進んでいく。彼の母が養老院で亡くなったことも、かつての同僚マリイとデートして関係を持ったことも、仕事も、近所の人々との会話も、すべて同じ温度で語られて

ボールを保持してない時間でもサッカーは「攻撃的」かつ「魅力的」になるのか?―河岸貴『サッカー「BoS理論」』

1.この戦術本に「くらった」 サッカーの戦術に関する本(戦術本)で久しぶりに「くらって」しまった一冊だ。  著者の河岸さんが紹介する「BoS理論」とはドイツで用いられているプレーコンセプトだ。BoSとはDas Ballorientierte Spiel(ダス・バルオリエンティールテ・シュピール)といい、本書では「ボールにオリエンテーションするプレー」と訳されている。オリエンテーションは「方向づけ」というニュアンスであり、「ボールを中心に考えてサッカーをする」というBoS理

シン・フリューゲルス史の誕生―田崎健太『横浜フリューゲルスはなぜ消滅しなければならなかったのか』

1.クラブ消滅の遠因は「生まれ」にあり? 「日本サッカーに秘められた歴史あり」を体現する一冊である。1998年に横浜マリノスと合併する形で消滅した横浜フリューゲルスの歴史を追った本だ。フリューゲルスの前身である全日空SC、そのまた前身であるヨコハマサッカークラブにまでさかのぼって書いているのが特徴である。  フリューゲルス史の結末は「マリノスとの合併による消滅」である。その原因をクラブの財政問題、出資会社の撤退や経営難、企業のサッカークラブに対する無理解といった「点」だけ

カッコイイ大人は理想も現実も見捨てない―黒岩比佐子『パンとペン』

1.「売文ビジネス」はじめました カッコイイ。読み終えたとき、まず頭に浮かんだ言葉だ。カリスマ性があるわけでもない。強い言葉で誰かを扇動するわけでもない。スマートな生き方をしたわけでもない。表紙の写真にうつるのはメガネをかけた子持ちのおじさんだ。それでも本書の主役である堺利彦は間違いなくカッコイイ。  彼は明治から昭和初期を生きた社会主義者だ。政府から社会主義が警戒のまなざしで見られ、取り締まりや監視の対象だった時代に堺は組織やメディアを立ち上げ活動し何度も逮捕される。晩

宝石のような友情が二人の国民的探偵を生んだ―中川右介『江戸川乱歩と横溝正史』

1.その関係、まるで「宝石」のごとく 「ライバルが親友、親友がライバル」 そんな設定がさしこまれる創作物は少なくない。目新しい手法ではないからこそ、もうひとひねりできるかが問われる。  そんな関係性がもし実際にあったとしたら。しかも両者が同じフィールドで多大な知名度を持つ人物だとすれば。そんな夢のような熱い話がかつて存在した。  江戸川乱歩と横溝正史、日本のミステリー史に燦然と輝く一番星、そして大衆とミステリーの距離を近づけた巨人である。乱歩は明智小五郎や怪人二十面相が

サッカーこそソ連を生きる支えだった―大平陽一『ロシア・サッカー物語』

1.現代サッカーを学ぶためのソ連 サッカーの歴史を深く知る上で欠かせない地域はいくつもある。母国イギリスはもちろん、ブラジルなどの南アメリカ、スペインやドイツ、イタリアなどの西ヨーロッパ諸国は欠かせまい。  僕がさらにロシアの存在も加えたい。特にソ連時代のサッカーは必修科目だ。なおここでいうソ連時代のロシアには、現在のロシアが侵攻中のウクライナなども含まれる。  ソ連のサッカーは今なお伝説と称されたり、現代サッカーの源流のひとつとなったサッカー人を生んだ。  ひとりは

僕が書評を書き続けたい理由―楠木建『経営読書記録 表』

1.「ブランド」は高峰秀子と微積で学ぶべし 経営学者である著者による本の解説とメディアに連載された書評をまとめた本だ。僕は楠木さんの書評に出会って書評に対する印象が大きく変わった。本当におもしろい書評は、書評だけのった本でも買おうと思うくらい価値がある。  彼の書評は、紹介されている本がみんな気になってくる。中にはすぐ本屋へ買いに走りたくなる本も一冊二冊じゃない。エッセイとしての面白さも兼ね備えているのが、他の書評との大きな違いだ。本の紹介や所感にとどまらず、楠木さんは自

安保闘争に入り乱れる学生、左翼、右翼、財界、そして日本代表GK―佐野眞一『唐牛伝』

1.カオスな人脈うずまく60年安保闘争 他人の生き様を評価することがいかに難しいことか。唐牛健太郎(かろうじけんたろう)とその周りの人々が歩んだ人生を追うと強く感じる。  舞台は60年安保闘争。岸信介内閣のもとで新たに結ばれようとしていた日米安全保障条約に対して、政治家のみならず一般市民たちも大きく巻き込んだ反対運動が起きた。  デモ隊が国会議事堂の周囲などを取り囲み、機動隊との大きな衝突まで発展した。その中心にあった学生運動の組織がブント(全学連主流派)で、長である中

趣味と専門分野の理想的かけ算―原武史『「鉄学」概論』

1.ジャンルの越境から生まれる「鉄学」 僕にとって「憧れの本」のひとつだ。  著者は日本政治思想史の専門家である。特に近現代の天皇・皇室を中心に研究している。  専攻にまつわる本はもちろん、彼の著書で目を引くのは鉄道に関する本の多さだ。他者から見ると彼はマニアと呼んでもいいくらいの鉄道好きである。自分の趣味にまつわる本も多数出しているのだ。  だが、彼の鉄道本の特色は単純に趣味の範囲だけにとどまらない。鉄道を通して自分の専門と重なる日本近現代史を様々な角度から語ってい

笑いの前に、面白いの前にもっと大切なトークの極意―藤井青銅『トークの教室』

1.なぜあのラジオパーソナリティのトークは上手いのか? 「面白いトークとはなにか?」、「そもそも面白いって何だ?」。そういったことがこの本を読むと何となく見えてくる。「面白いトーク」といってもビジネスに役に立つトーク、いわゆる「ビジネストーク」ではない。  著者の藤井さんは、放送作家として数々のラジオ番組に携わってきた。ラジオを聴いたことのある人はお分かりだろうが、ラジオでは時間の短い長いに関わらず必ず「トーク」が存在する。パーソナリティが一からしゃべるフリートークはもち

天才の走馬灯をのぞける構成の妙―小野伸二『GIFTED』

1.あえて「線」ではなく「点」で書く2023年12月に現役を引退した小野伸二選手。日本サッカー界において、これほど「天才」という称号がふさわしい選手は存在しない。小野伸二の前に小野伸二なし、小野伸二の後に小野伸二なし。後世にそう語られる可能性も充分にあるだろう。 「ボールは友達」を体現するようなボールタッチやキックなどのテクニック、多くの選手にも思いつかないようなひらめきのあるプレー、それらを支える類まれなる視野の広さ。すべてが彼のプレーの魅力である。 視野の広さは実生

たった半年で阪神タイガースの運命を変えた「賭ケグルイ」―村瀬秀信『虎の血』

1.半年で消えた謎の老人監督・岸一郎爆発的な面白さだった。実在の人物であり、実際にあった話なのに、現実なのか虚構なのか分からない気分におちいってしまう。 なんといっても主人公である岸一郎が、まったくもって謎の人物だからだ。1954年冬、突如として大阪タイガース(現・阪神タイガース)の監督に就任し、わずか33試合でクビになった老人である。かつて大学や満州の野球界で名を馳せたが、それも30数年前の話。当時の野球界で知る者はほとんどおらず、選手たちにもまったく相手にされないまま

すべては「天皇」と「天皇の軍隊」のために―小林道彦『山県有朋』

1.象徴としての山県有朋を解体する象徴とは恐ろしいものだ。一人の人物が何かの象徴に擬せられると、その人自身の人格や生き様が「何か」によって規定されてしまう。人がいるから「何か」が生まれて定義されるのに、「何か」によって個人が個性を失い定義される。 この本の主役である山県有朋はまさに「日本陸軍」、「軍国主義」、「藩閥」といった現代では負のイメージを持ったものの象徴として擬せられやすい存在だ。 そうした象徴として擬せられた山県はもはや山県本人ではない。本来なら「山県がこうい