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新しいものは実は古く、古いものは実は新しい―アレッサンドロ・フォルミサーノ+片野道郎『モダンサッカー3.0』


1.なぜ戦術のトレンドはどれも新しく見えるのか

 サッカージャーナリストの片野さんがイタリアの主に育成部門で力を発揮し続けている若手監督、フォルミサーノに戦術や監督について話を聞いた本である。

 この本は全体を通して次の2点が現在やこれからのサッカーで重要になると示している。

 ひとつは監督が枠に当てはまるチーム作りではなく選手間の関係性に重きを置いたチーム作りをすることである。もう一つは、決められたプランを遂行する力よりゲーム中そのときそのときの状況に応じた適応力だ。

 読み終えて僕はこの本で言われてることは、本当に新しいことなのだろうかと思った。

 監督が戦術のレールをしいてその上を選手が走るか、選手の個々の魅力や関係性を組み合わせてチームを組み立てるか。監督がしっかりゲームで起こることを想定して立てたプランを選手が遂行して勝ちを狙うか、選手個々や選手間でその場に応じて対応して試合をすすめるか。

 これらの論争は今にはじまった話ではなく昔からずっと存在する。そしてその時代に応じてどちらかに何となく軍配が上がりトレンドと呼ばれて日本に輸入される。

 フォルミサーノ自身も「戦術の変遷は円環的」と述べている。新しい戦術も本質を突き詰めると過去から言われてきたことと本質が一致しているはずだ。ある意味リバイバルなのかもしれない。でも一見同じには見えないし、同じではない。なぜだろうか。

 あるサッカーの考え方が新しく思えるには3つの特徴がある。

 1つは名前をつけることだ。今までも存在していた現象に対して名前をつけて定義する。名前がつくことでその現象には歴史が刻まれはじめる。名前がついた瞬間がスタートになるのだ。

 2つ目は言い換えることだ。既に名前があったり、説明がついているものをより分かりやすい名前を付けたり、詳しく説明したりする。そうすることでかつてあまり見向きもされなかったものに脚光が当てる。ずっと転がっていたダイヤの原石がダイヤになるのだ。

 3つ目は論拠をめちゃくちゃ増やすことだ。『モダンサッカー3.0』はこれに当たるのではと思う。仮に考えたことの本質は昔の人と同じでも現代人と比べると持ち合わせてる論拠の数が圧倒的に違う。膨大な情報量やデータから無数の見せ方で論拠を示すことができるのが現代人だ。

 この本に書かれていることは新しいようで古いし、古いようで新しい。フォルミサーノは僕には想像もつかないインプットの元、円環の中のある地点を信じられない深さまで掘っているのだろう。

2.「攻撃的」という言葉の真実

 僕は北海道コンサドーレ札幌を応援している。このクラブのサッカーについて近年よく言われるのが「超攻撃的サッカー」というキャッチフレーズだ。この言葉をどう解釈するかはメディアもサポーターもひょっとするとクラブ内部の人間もまちまちな気がしている。

 「攻撃」という言葉についてフォルミサーノは興味深い話をしている。

だから私は、あえて既存の枠組みを壊して、「不自然な」状況を作るために、チームの選手たちに対して、ボールを持っているときは守備をしよう、ボールを持っていない時は攻撃をしよう、と言っています。

アレッサンドロ・フォルミサーノ+片野道郎『モダンサッカー3.0』p28

近年、偉大なチームを特徴づける一つの要素は、ボールを持っていない時にはどのように攻撃するかを、持っている時にはどのように守るかを考えながらプレーしていることです。

アレッサンドロ・フォルミサーノ+片野道郎『モダンサッカー3.0』p238

 僕らは「攻撃」とくれば、ボールを持ってゴールを目指すことをイメージしがちだ。でもフォルミサーノの話では、ボールを持つことと攻撃は必ずしもイコールな発想ではない。

 僕はこの1年ほど「シュートをたくさん打ったり、ゴールを決めることが本当に攻撃的なのか」と疑問に思っていた。仮にそうであれば相手が攻めてきてるときには絶対に攻撃的になれないことになるからだ。でも相手がボールを持って自陣に入ってきても攻撃的になれないと、90分攻撃的で居続けることはできない。そんなチームは果たして「攻撃的」なのか。

 攻撃は英訳するとattackだ。これをゴールではなくボールにattackと解釈すると腑に落ちる。ボールを持ってないときほどどうやってボールにattackして奪おうかを常に考えるのが実は攻撃的なのではないだろうか。

3.理屈で説明できない強さを説明できるのか

 「タイトル獲ったら本当に景色が変わるよ」

 以前、サッカー関連の仕事をしている知り合いに言われたことがある。そのときはぴんと来なかった。「そりゃタイトルはほしいし、獲れたら嬉しいし箔になるけどそんなもんなのかなあ……」ぐらいに感じていた。カップ戦のタイトル一つとったからといって、リーグの成績がぼろぼろのクラブなんていくつもあるからだ。

 そんな僕に向けたわけではないが、フォルミサーノは次のように述べている。

長いシーズンの中では勝ったり引き分けたり負けたりする。しかし一発勝負のコンペティション、ヨーロッパ最強のチームが集まりその頂点を争うハイレベルの戦いでは、クラブが持っている歴史と文化、その中で生まれ育ち日々呼吸しながら生きている場がもたらす影響が、一つの優位性として立ち上がってくるということです。レアル・マドリーという場においては誰もが勝者として、支配者として日々を生きている。

アレッサンドロ・フォルミサーノ+片野道郎『モダンサッカー3.0』p248

 日本に「やっぱ◯◯だから勝負強いよなあ」と言われるサッカークラブが一つだけ存在していると僕は思っている。それは鹿島アントラーズだ。

 かつて3連覇を果たしたのは今や昔。当時の選手が現役でもないし、当時と比べると戦力も見劣りするような気もする。でもしぶとく強い。理屈じゃない領域でなんか強い。そんな気がする。

 僕はそれが気持ち悪かった。そんな得体の知れない空気で勝ち続けられるものなのかと。でもレアル・マドリーも鹿島も積み上げてきた歴史と文化、勝ち取ってきた勝利やタイトルそのものが優位性の一つになっているのだろう。

 タイトルを獲ると景色が変わるというのは、長い目で見てくと己のクラブに理屈じゃ説明できない優位性を一つ立てる第一歩になることなのだ。

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