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発見!ベルマーレのルーツは火薬工場にあり!【平塚サッカー事始】

本題に入る前に一冊の本についてお話をします。

現在、先行販売中の『すたすたぐるぐる信州編』のことです。

僕は、一足先に著者のみなさんの原稿を多く読ませていただきました。どの記事も個性があふれる面白い文章ばかりです。是非ともみなさんにも手に取ってほしい一冊になっています。先行販売で購入していただければ幸いです。

特に僕が気に入っているのが、AC長野パルセイロのコールリーダーをつとめていた古川康平さんの記事です。パルセイロのルーツが分かるとともに、彼のサポーターとしての生き様や教訓は、多くの地方クラブのサポに読んで欲しい文章です。

さて、今回のテーマは「ルーツ」です。

僕は、小さい頃からルーツをたどるのが好きでした。小学生のときは、自分のご先祖探しに夢中になり、ひいひいひいじいちゃんまでさかのぼることに成功しました。

自分の家に限らず、自分の好きなものに対しても、ルーツ探しの欲求は止まりませんでした。

僕は好きだったのは、今と変わらずサッカーでした。後藤健生さんの『日本サッカー史』を図書館で借り、夢中で読み込んだのを覚えています。

日本でのルーツを見つけたとなれば、今度は地方のルーツです。と言いたいところですが、当時の僕は各地のサッカーのルーツをさかのぼるよりも、日本サッカー史を一通りおさらいすることに夢中になっており、ルーツ探しの旅はここでとん挫しました。

このことをふと、JR東海道本線の車内で思い出したのは、2021年5月のことでした。

今なら調べる時間もあるし、今度の遠征先ではその土地のサッカーのルーツを調べてみようか。

そう思い、僕はとある地域のサッカーのルーツについて推理してきました。

舞台は、神奈川県平塚市。湘南ベルマーレのホームタウンです。

推理!平塚サッカー事始

僕は、湘南ベルマーレvs北海道コンサドーレ札幌の試合を見に行くために、平塚駅に向かっていました。

平塚のサッカーのルーツをwikipediaで調べてみると、フジタ工業サッカー部に行き着きます。平塚を本拠にしている湘南ベルマーレの前身です。1976年に練習拠点を平塚市に移転しています。

それ以上前のルーツを調べようとすると、現地で資料に当たるほかはなさそうです。できれば「いかにして、誰が平塚にサッカーが伝えたのか」が判明するとよいです。

そもそも日本には誰がどのようにサッカーが伝えたのでしょうか。

日本サッカー協会のホームページによれば、1873年、英国海軍教官団のA.L.ダグラス少佐と海軍兵が来日し、東京・築地の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)で日本人の海軍軍人に訓練の余暇としてサッカーを教えたというのが日本サッカーのはじまりとされています。

その後、1878年に体操伝習所(のちの東京高等師範学校体操専修科)が創設され、教科の一つにサッカーが取り入れられました。

東京高等師範学校(現在の筑波大学)にサッカー部(当時はフートボール部といった)ができたのは、1896年のことです。

これらの情報は、平塚のサッカー事始を推理するときに重要な手がかりを教えてくれます。

僕が予想するに、日本各地にサッカーが伝わる方法には、二つあります。

一つは、サッカーを知っている外国人が何らかの形で直接伝える方法です。

もう一つは師範学校の教科にサッカーが取り入れられている点に注目してください。

師範学校とは、学校の先生を育成する教育機関です。師範学校出身の先生が増えれば増えるほど、サッカーを師範学校で学んだ先生が各地の学校に配属されることになります。

それを考えると、各地に散らばった師範学校出身の先生が学校でサッカーを伝えたという推測ができます。

平塚も例外ではないでしょう。

外国人が伝えたとすれば、平塚にどのような外国人が長期滞在したかを調べると手がかりがあるかもしれません。

師範学校出身の先生が伝えたのならば、平塚の教育史をひも解くことで手がかりがつかめそうでう

もう一点、大事なことがあります。

それはサッカーは大人数じゃないとできないことです。11vs11で行うことを考えると最低でも22人必要です。人数がある程度集まる場所が存在することは、サッカーが伝わるための条件です。

ダグラスが海軍の学校に伝えたように、学校にサッカーが伝わるというのは、生徒がたくさんいるわけだからあり得なくはない話なのです。

一旦僕は、平塚の学校にサッカーを知る外国人教師か、師範学校でサッカーを学んだ日本人教師がサッカーを伝えたという推理を立ててみました。

工場の街・平塚

平塚は、工場の街です。

横浜ゴム、パイロット、日産車体、小松製作所、不二家など大手企業から、中小企業の工場まで多くの工場が連なっています。

そういえば、工場も多くの人が集まる場所です。

イギリスのリヴァプールやマンチェスター・ユナイテッドは、工業が盛んな地域で労働者によって作られたサッカークラブです。

工場労働者がサッカーに興じることは、不自然なことではありません。

学校ではなく、平塚の工場にサッカーが伝わった可能性もあります。

ここからは、有料公開にさせていただきます。
旅とサッカーを紡ぐWebマガジン・OWL magazineでは毎月700円(税込)で個性あふれる執筆陣による記事を毎日読むことができます。
執筆陣には、OWL magzine代表の中村慎太郎、ノンフィクションライターの宇都宮徹壱さんの他、FC東京や川崎フロンターレ、鹿島アントラーズ、アビスパ福岡、北海道コンサドーレ札幌、大宮アルディージャ、ヴァンフォーレ甲府、V・ファーレン長崎、東京武蔵野ユナイテッドFCなどなど全国各地のサポーターが勢ぞろいです。

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