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苅部直『小林秀雄の謎を解く』

*ヘッダーは「近代日本人の肖像」より

新潮選書の一冊。

紹介文には「気楽な随筆に見えた雑誌連載『考へるヒント』は、実は徳川思想史探究の跳躍板だった。モーツァルトやベルクソンを論じていた批評家が、伊藤仁斎や荻生徂徠らに傾倒したのはなぜか。その過程で突き当たった「歴史の穴」とは。ベストセラーを読み直し、人間の知の根源をも探る試みであったことを明らかにする、超刺激的論考」とある。

1960年代、出版界が歴史書ブームに沸いていた。

本書はその中に小林の思索を位置づけ、徳川思想史の探求に至っていく筋道が辿られる。どういう状況の元での発話だったのかを復元していく作業を通じて、私自身が、小林秀雄を読むときに結局文庫本や著作集でしか読んでこなかったではないか、ということを痛感させられた。

明治時代の思想家の発言のコンテクストを重視して『樗牛全集』じゃなく『太陽』で見ようなどといっておきながら、小林秀雄に関してはそういう作業を怠ってきたわけである。自分でもかなり恥ずかしい。

第四章などで触れられている、新潮社の叢書『日本文化研究』や小林の明治大学の「日本文化史」講義についても興味をそそられた。

思想史への接近方法についても、本書では重要な指摘が含まれている。

たとえば小林秀雄VS丸山眞男というべき場面。小林が丸山の荻生徂徠解釈を「アナリティックな性質」といい、それに対して自分は「徂徠といふ人」の懐にもっと入り込む道もあるのではと批判したことが、かえって小林の歴史論に「難問」を突き付けることになるという。

小林が理解したところでは、徂徠は、昔の言葉「古言」と、現代の言葉は断絶している。

もしも徂徠の議論をまるごと受け止めて日本思想史にあてはめるなら、たとえば現代の日本語話者にとって、古い時代の日本の言葉は、現代の日本の言葉とまったく異なるものだということになる。もちろん、母語とは別の異言語として古代語を習得することは、外国語と同じように可能であろう。だがその場合も、現代日本語によって書かれたテクストを通じて、「思ひ出」としての過去を想像するという歴史認識の方法をそのままに適用することはできない。思い描かれる過去の映像は、現代語が通用する時代のものにくらべて、曖昧なもの、誤りを含み歪んだものになるはずである。
時代による世の変化、言葉の変化という壁は、「思ひ出」として歴史の映像を思い描く方法が、現代に近い時代の狭い範囲にしか通用しないことを示してしまう。

本書pp.235-236

これは重い問題である。小林秀雄と荻生徂徠の対応の違い、小林が徂徠に抱いた不満の方向も、興味深い。

もう一つ。冒頭の「人形」の一篇を巡るエピソードを読み始めたとき、私のなかには著者の『光の領国 和辻哲郎』の「土下座」描写に触れたときの感覚が蘇ってきた。私の思い違いかもしれないが、「学者」和辻哲郎と「批評家」小林秀雄の仕事はやはり響き合っているのではないか。



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