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花は枯れ、生活は続く

高校生の頃だったか、ハラコのラグを部屋に敷いたことがあった。
通販で買った、安くて小さい牛革。
今振り返ると謎コンセプトに迷い込んだ10代の私。

嬉しくて、方々で話していた記憶がある。
で、通っていた雑貨屋さんの店主に言われた。

「生きているものを一緒に置いた方が良いよ、花とか」

それでなんとなく、部屋に花を生けるようになった。
途切れるときもあるが、
実家を出てからの生活には大抵花がある。ハラコはもうない。

私はハラコのラグ(DEAD BODY)ではないため、気のバランス?を取る意味ではもういらないのかもしれない。でも、日々変化するものが人間以外に生息している、その気配が好きで習慣化した。

で、日記ほどはマメに書けなくても、花を迎えてから枯れるまでに起きたり考えたことは記録できるかも、と思い立ち、noteに書くことにした。(そして3週間が経過・・・)



ーーー以下、本編ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



2021年5月始め〜芍薬(華燭の典)が枯れるまで

芍薬のシーズンは短い、見かけたら必ず買っている。この頃はピンク色の「華燭の典」。とても綺麗に咲いた。

遠出の機会はなく、平日は大抵家で仕事。瞬きの速さで朝が夜になる。楽しみなのはUBERで頼むパクチー増しのバインミーと『大豆田とわ子と3人の元夫』。ビールを準備して4話、

かごめさんの「恋愛になってしまうのが残念」「女と男の関係が面倒臭いの。私の人生にはいらないの」「たまに寂しい、でもやっぱりただただそれが私なんだよ」

その数日前に、帰りの車内で友人が言っていた「恋愛で無理するのがきつい」「今は自分に向き合いたい」

ゆるりと結びついて、ふたりの言葉がずっと心の中で転がっていた。

連休終わりに『君の名前でぼくを呼んで』の、ルカ・グァダニーノ監督作『 僕らのままで/ WE ARE WHO WE ARE』を一気に視聴(8話)して、なんだか繋がりを感じる。(イタリアの米軍基地を舞台にしたティーンの群像劇。詳細はリンクへ)

独身なんだ、良い人いたら紹介しようか?
結婚おめでとう、出産はいつかな?
あなたはトランスジェンダーよ、カウンセリングを受けてみたら?

人にラベルを貼ったうえで、勝手に悩みや未来を押し付ける。普段の会話や広告、SNSのパーソナライズされたコンテンツ、もう、あらゆるところでその傾向があるな?と改めて思い溜息がでた。私自身も、流れるようにそうした発言をしている時がある。「みんながこうだから、あなたもこうでしょ」がベースにある外圧。「みんな」って誰?

恋愛も結婚も出産も仕事も人によってスタンスがあるし、既存の言葉では定義しきれない新しい関係や生き方もある。ジェンダーは揺れるし、とても複雑。ただただ僕らのままで、私のままでええんやで、そんな気持ちになった。

世間の定義する幸せと私の幸せは別、と強い心を持ちたいし、簡単に人をラベリングしない人でありたい、な〜〜。

最後に芍薬の品種名「華燭の典」を調べたら
「結婚式を祝いたたえていう言葉」と出てきた。
あれ〜・・・
外圧と折り合いながら頑張る自分と、ありのままの自分がうまく結ばれて生きる、そういう意味での式だと思って祝していきたいね。

芍薬はハラハラと解れてさよなら。
落ちた花びらはまだ良い香りがした。





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