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わがままなキレイ好き

「実は図書館の本、苦手なんですよね……」

同僚が申し訳なさそうに呟いたのは、わたしが我が街が誇るでっかい図書館について語っていたときだった。


どの辺りが苦手なんですか? と聞くと、いろんな人が触った本をバッグに入れるのに抵抗があるとか、日に焼けたのか黄ばんだのか分からない本は嫌とか、なかなかの言われようだった。しかし反論はできない。自分だって図書館の本には理屈を超えたマイルールがある。

まず、図書館で借りた本は寝っ転がって読まない。のび太が漫画を読むときの、本を頭上で掲げるポーズのことだ。小学生の頃にその姿勢で図書室の本を読んでいたら、ページをめくった瞬間にパラパラっと何かが顔に降りかかった。

ひええっと飛び起きて顔と服をバンバン叩く。一体あれはなんだったんだろうか。お菓子の屑か、砂か、それ以外は考えたくもない。

他にも、親指を置くあたりの小口が黒ずんでいると嫌、日に焼けた本も避けたい、借りた本は自分の本と重ねて置きたくない、でもベッドに持ち込むのはOK、などマイルールは説明しきれない。

なんて一貫性がないんだろう。これなら「使わない」と言い切る佐藤さんの方が潔くて格好いい気すらする。

図書館のルールはまだいい。作るのも、守るのも自分だからだ。
これが家庭内だと面倒なことになる。


「あ! 今『ぐちゅぐちゅぺっ』の後に水を流さなかったでしょ! 流して!」

洗面所で歯磨き中の夫に向かって、ダイニングからわたしが叫ぶ。

夫は歯磨きで口をすすいだ後に水を流さないことがあり、これが本当に、本当に嫌なのだ。夫が家を出て、さてわたしも歯を磨きますか……と洗面所へ向かった先で「ぺっ」の水たまりを目にするとゾワゾワする。

夫だからとかじゃない。どんな俳優やアイドルがやっても汚い。どうして他人の「ぺっ」を流すところから、歯磨きをスタートしなければいけないのか。トイレへ行く度に、他人が残したブツを流すのと同じくらい最悪だ。

だから、夫を耳で「監視」する。

(ぺっ..….ガサ、ガサ……)
「ほら! 『ぺっ』てしたらジャーってして!! 水流して!!」

ちょっとの間も許さない。「はい、『ウノ』って言ってなーーい!」レベルの早さと声量でダイニングから大声が飛んでくる。ああ、かわいそうな夫。

夫からすれば納得できないだろう。
「水を流せ」と怒る妻は、スーパーから帰宅して手を洗わないままレジ袋の野菜をつかみ出したり、猫が口をつけたコップから平気で麦茶を飲んだり、そのパジャマ何日目? と言いたくなるくらい同じパジャマを着たりしている。なのになぜ「ペっ」にはこんなにうるさいのか。
どういうことだ。


そう言い返されると返す言葉がない。
きれい・きたないの基準がおかしいのは自覚しているが、感覚に従っている部分もあり明確に表せないのだ。

そんな時に浮かんだのは、楽器屋で見た「『リード』の厚さ対照表」である。

「リード」というのは楽器に使う消耗品だ。絆創膏くらいの長さの、木の切れっ端をイメージしてもらえばいい。鉛筆が硬さによってH→HB→Bと分かれるように、リードも厚さによって2.5→3→3.5……と種類があり、奏者は好みに合わせて厚みを選ぶ。

ところがこの厚さがメーカーによって微妙に違う。A社の3.5はB社の3.5より薄いとか、A社の3と3.5の間を取りたいならC社の3.5をとか、そういった細かな差を図示化してくれた対照表があったのだ。


汚れだって表にしてしまえばいい。手帳に1から5までの数字を書き出し、汚れを「許せない度」で振り分ける。5が最上位だ。

5:「ぺっ」、猫のゲロ、使用済の歯間ブラシ(たまにテーブルに落ちている)
4:アイスの空袋、テーブルのタレ、カップ麺の容器、使用済みティッシュ
3:通販の包装、脱ぎ散らかした服
2:猫が舐めた食べ物、埃、土、砂
1:猫毛、猫が蹴散らしたトイレ砂、観葉植物の落ち葉

驚愕。なんてことだ。
「アイスの空袋」が「尻を舐めた猫が口をつけた麦茶」より上位に来るのは絶対に、人として、間違っている。看護師とか獣医師とか、衛生的(?)な人から怒られそう。

「猫には甘いよなぁ」という感覚も、この表で見事に可視化された。猫は床にゲロを吐いてようやく、人間の「ペっ」と同じ土俵に上がれるのだ。本当にこんなに甘いか? と思い返すが、オンライン会議中に猫が吐く音が聞こえたときも「会議が終わってからでいいや」と無視した。甘いわ。

玄関を歩き回った足でベッドに上がられようが、飲みかけの牛乳に尻尾を浸されようが「あー、ダメだよ」以上に言えない。ゲロを踏んだって許す。文字通りの「ゲロ甘」だ。


結局、病気になったり他人に迷惑をかける程度でなければ、「キレイ」「清潔」なんてワガママなのかもしれない。根拠も一貫性もないこの表を見て、そう思わされた。

しかし、そのワガママをほどほどにぶつけ合えるのが家族である。
これからも図書館と猫には文句を言わないが、「『ぺっ』てしたら水を流して!」とは叫び続けるだろう。

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