見出し画像

本棚から … 陰翳礼讃

陰翳礼讃いんえいらいさんが初めて世に出たのは、1933年12月号の「経済往来」(~1934年1月号)で、本の出版は1939年です。著者の谷崎潤一郎は、1886年(明治19年)日本橋に 生まれ1965年(昭和40年)没。今では創元社、角川、中央公論、岩波などから文庫本として出ています。(青空文庫でも読めます。)

ほぼ100年前の本なので古典ともいえるし、お読みになった方も多いでしょう。書名は聞いていたものの、私が読んだのはつい数年前です。(こんな面白い本を読まないで)今まで勿体ないことをしていたなぁ。」嫌われる薄暗さに、思いもよらぬ効用や美があるなど、考えたこともなかったのです。

抜き書きでご紹介したいと思います。体裁は随筆ですが、従来の暮らしの中で培われてきた日本の文化や美意識について述べてられています。戦後に翻訳され、海外の文化人にも影響を与えたそうです。


                               中公文庫「陰翳礼賛」



昭和8年(1933年)ころ

本に入る前に、その頃の世相をみてみます。昭和8年に日本は1931年の満州事変が遠因になり国際連盟を脱退し、教科書も改訂され軍国主義が強化されていきました。ドイツでは、1月にヒトラーが首相に任命されました。そんなご時世にもかかわらず、電気がもたらされ便利になったはずの当時の暮らしのあれこれを、谷崎は延々と描いていきます。1868年の明治維新から65年たって、人々の暮らしのまだらな西洋化や近代化が興味深く感じられます。

(略)独りよがりの茶人などが科学文明の恩沢を度外視して、辺鄙な田舎にでも草庵を営むなら格別、いやしくも相当の家族を擁して都会に住居する以上、いくら日本風にするからと云って、近代生活に必要な暖房や照明や衛生の設備を斥ける訳にはいかない。で、凝り性の人は電話一つ取り付けるにも頭を悩まして、梯子段の裏とか、廊下の隅とか、できるだけ目障りにならない場所に持って行く。その他庭の電線は地下線にし、部屋のスイッチは押し入れや地袋の中に隠し、コードは屏風の影を這わす等、いろいろ考えた挙句、中には神経質に作為をし過ぎて、却ってうるさく感ぜられるような場合もある。(略)

陰影礼賛/中公文庫P7~P8

和風の住まいと近代的な設備をどう調和させるか、その頃の趣味人は相当悩んだようで全くの驚きです。今では設備が住宅の重要な構成要素になっている気がします。もし私がそんな凝った家に行ったら、仕掛けが分からず部屋の電気も付けられないでしょう。それにしても、今は純日本風の家屋というのは高級旅館ぐらいで、和室のない家もさほど珍らしくありません。しょっぱなから隔世の感のある冒頭部分ですが、なにせ100年は長いのです。


かわや

 私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。それらは必ず母屋おもやから離れて、青葉の匂や苔の匂のしてくるような植え込みの陰に設けてあり、廊下を伝わっていくのであるが、その薄暗い光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持ちは、何とも言えない。漱石先生は毎朝便通に行かれることを一つの楽しみに数えられ、それはむしろ生理的快感であると云われたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、目に青空や青葉の色を見ることができる日本の厠ほど、格好な場所はあるまい。

同P11

言わずもがなですが、厠とはトイレのことです。これを読んでいると、そこは何だか桃源郷のようで、こんなにも風情ある厠を使っていた昔の人が、しみじみ羨ましい。さらに続きます。

そうしてそれには、繰り返して云うが、或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊のうなりさえ耳に着くような静かさとが、必須の条件なのである。私はそういう厠にあって、しとしと降る雨の音を聞くのを好む。(略)されば日本の建築の中で、一番風流にできているのは厠であると云えなくもない。総べてのものを特化してしまう我等の祖先は、在宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、懐かしい連想の中に包み込むようにした。これを西洋人が頭から不浄扱いにし、公衆の前で口にすることをさえ忌むのに比べれば、我等の方がはるかに賢明であり、真に風雅の骨髄を得ている。(略)

同P11~P12

この一文を読むと、私は勇気が湧いてきます。「…我等の祖先は、在宅中で何処よりも不潔であるべき場所を、却って、雅致のある場所に変え、花鳥風月と結び付けて、懐かしい連想の中に包み込むようにした。」災い転じて福となす姿勢というか、状況を変えるべく創意工夫を重ねるひたむきさに、大和魂の片鱗を見る思いがします。

                         工房のトイレ、小窓の向こうは杉木立

ところで、上記の文では「薄暗い」という言葉が繰り返し登場します。この随筆のテーマです。「陰翳」がなぜ礼賛されるのか?時には闇までが賞賛されています。紙、漆器、建築、お能、女性、照明などを例に引きながら、谷崎はその秘密を鮮やかに解き明かしていきます。本を手に取り、じっくり読んでほしい所です。ただ時代が遠いので、いくらかの想像力がいるかもしれませんが、日本文化にたいする見方が深まるようです。


漆 器

 私は、吸い物椀を前にして、椀が微かに耳の奥に沁むようにジイと鳴っている、あの虫の音ようなおとを聴きつつこれから食べる物の味わいに思いをひそめる時、いつも自分が三昧境に惹き入れられるのを覚える。茶人が湯のたぎるおとに尾上の松風を連想しながら無我の境に入ると云うのも、恐らくそれに似た心持なのであろう。(略)

同28P

さすが耽美派の美文でうっとりしてきますが、漆器制作者としては意義を申さなくてはいけません。「椀が微かにジイと鳴っている」状態というのは、ヒビが入っているとも考えられます。もし熱々のお汁で何かに当たり割れでもしたら、火傷しかねません。ご愛用を避けた方が賢明かも。

                             根来のお椀



終わりに

きな臭い時代にもかかわらず、谷崎潤一郎は暮らしの中の美意識について悠々と筆を進めていますが、私には確信犯のように思えます。(「細雪」の内容が戦時にそぐわないとして、軍部から掲載を止められたいきさつなどからも伺えます。)

社会の変動に人は振り回されがちですが、けれど個人には各々の事情や思いがあるのだから、そう易々とお上の言いなりにはならない、というような独自の価値観があったのか?もしくは、へそ曲がりだったのか?(そう単純ではないでしょうが、全体主義にはなじまなかったのでしょう。)

ただ、誰しも感じる社会変化と個人の暮らしとのギャップや戸惑いについて、谷崎は優れた嗅覚をもっていたのだろうと思います。そして、そこから紡ぎ出される考察は印象深く斬新です。一読をお勧めします。


                              つみ重ねられたお盆の木地

今回の写真、日本建築と言えるほどの家に住んでないので、工房内のスナップで代用します。灯を消せば、美的かは疑問ながらまぁ結構に薄暗いです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?