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プラグマティズムを考えよう

眠すぎる漢文の授業

ねごとです。
高校時代、漢文の授業で起きていた記憶が全くない。
将来使えるビジョンが全く沸かないし、何の為に勉強しているのかが意味不明。
日本語の成り立ちや由来として勉強するのであれば、そういう建付けで授業の構成を作ればいいし、中国思想への理解ということであれば、翻訳版の現代文で勉強すれば良い。とにかく、中途半端で何の役に立つのかわからず、日本教育に対する最大限の抵抗として、漢文の授業は全て寝ていた。

誤解しないで頂きたい。決して怠慢ではなく、日本の将来の為を思って爆睡していたのである。


それでは、本編!

プラグマティズムの歴史

「プラグマティズム」とは、ギリシア語で「実践」を意味する「プラグマ」に由来した言葉で、日本語では「実用主義」と訳されることが多い。世界史の授業や倫理の授業で出てくるので聞いたことがある人も多いだろう。
プラグマティズムはアメリカにルーツを持つ。アメリカでは1776年のアメリカ独立宣言以降、西洋思想を受け継ぎつつも、主権国家としての地位を確立すべく、英国との戦争、西方拡大、そして南北戦争と疲弊する日々が続いていた。

混沌とした情勢の中、神様を絶対視するキリスト教的西洋哲学の限界を感じ、「何が正しいのか、何が正義なのか、どうやったら幸せになれるのか、全くわからん!!」という途方もない苦闘の果てに生み出されたのがプラグマティズムである。

かなりざっくりと解説すると、特定の主義・思想は実際に実践しその結果を見てみないと正しいのか、間違っているのか判断は出来ない。まずは、行動してみる。その後に振りえってみて善悪を確認し、改善し正しい実践を繰り返していく、と言った思想である。

プラグマティズムの世界では、実用的であるものが正である。行動に移すことが出来ないもの、実用的でないものはそもそも評価ができないわけだ。ビジネスシーンではPDCAという思考のフレームワークが使われるが、強いて言えばプラグマティズムとは、最初にDo、次にCheck、最後にPlanを考えるといったところだろうか。そもそもDo出来ないものは、評価の俎上に乗ることもできない。

現代のプラグマティズムでは更に厄介な特性を帯び始めている。実用性の概念を人間自身に対しても当てはめるようになったのだ。あなたは今日、どのようなアウトプットをしたのか、あなたは社会にとって・会社にとってどのように実用的であるのか。元々は人間が主義や思想の正しさを判断する為に使っていたツールであったが、資本主義が絶対視される現代においては資本主義が人間の正しさを判断するためのツールに変化してしまったのである。

人間は考える葦である

歴史の話ばかりで申し訳ない。

17世紀の大天才パスカルの名言で「人間はひとくきの葦に過ぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である」という言葉がある。人間は肉食動物にも、地震にも、ウイルスにも全く歯が立たない弱い動物である。一方で人間は「考える」ということができる。その一点において人間は偉大なのである。


人間の真の価値は、生物学的にどれだけ優れた存在であるかや、社会にどれだけのアウトプットを生み出すかではなく、考え、感じ、理解する能力にある。この能力によって、我々は自分の存在や世界の意味、人々の関係性、未来の可能性を探求することができる。

プログラミング教育の必修化について考える

小・中・高でのプログラミング教育の必修化が進んでいる。正確には学習指導要領の変更に伴い、情報・技術等の授業でインターネットやプログラミングの授業が取り入れられ始めている。

金融業と製造業で世界を牛耳っていた1980年代以降、日本の経済は失われた30年と評されている。もう一度経済立国としての日本を取り戻す為、経済界からの要望に応える形で必修化が進んだのだと勝手に推察する。世界中で進んだIT化の波に取り残されないようIT教育を推進し、日本の生産性を高め、GDPで世界1位を目指す。そこまでいかなくても、食うに困らない専門人材を量産できる。いずれにせよ、日本が改めて世界を目指すには素晴らしい政策であったと評価できる。

ツマラナイ古典の授業、社会の授業、理科の授業。暗記科目はGoogleで調べた方が早く正確な情報にアクセスできる。計算は電卓とエクセルがあれば十分だ。微分や積分は実社会で使う機会がない。選択科目にして勉強したい人だけが学べばよい。

そんなことよりも、プログラミング、金融リテラシー、実践的な英語、ビジネスの作り方を教えた方が明らかに実用的である。お金が稼げて、グローバル人材にも慣れて、日本の経済は希望に満ち溢れる。

だってほら、教育が進んでいる北欧では、米国は、豪州では・・・先進的な授業が取り入れられているじゃないか。日本は何て遅れていることだろう!!

減速しないトレッドミル

あなたは今、トレッドミルの上を走っていることに気が付いているだろうか。しかもそのトレッドミルは減速することができず、加速する一方である。隣の人があなたよりも速く走っていたら、あなたはそれよりももっと速く走ろうとしなければならない。

働くために大好きな親の元を離れた。地元の友達とは疎遠になった。寝い時はコーヒーを飲んで頑張ろう。満員電車なんてへっちゃらだ。学生時代の親友は大手企業で給料1,000万円貰っているらしい、俺ももっと頑張らないと!走り続けているあなたは漠然と感じ始めている、

何の為に走っているんだっけ?

資本主義というトレッドミルである。役に立たない、実用的でないものは全て捨ててきた。日本の伝統文化も、家族の時間も必要ない。それって何の役にも立たないじゃん!


君たちはどう生きるのか

プラグマティズムは高尚な思想を持ち合わせていない。前述の通り、まずはやってみる、その後に考えるのである。あなたが社会に、会社に役に立っていないのであれば、あなたは切り捨てられるべき不要な存在に仕立て上げられる。仮にあなたが実用的な存在であったとしても、あなたの幸せのなり方には全く関与しない。

改めて考えてみよう。「考える」ことこそが、人間の本質である。社会性を構築し便利な物を使って生活を良くしていくだけであれば猿でもできる。もっと漠然と、どうなれば幸せか、どのような人生を生きたいのか、そのような社会にしたいのか、真剣に考えよう。

あなたが会社で今月どれだけのアウトプットを出したのかなんて関係ない。もっと長期的にあなたの人生がどうあるべきか考えよう。プラグマティズムから、資本主義から自分を取り戻そう。あなたは今日、何の役にも立っていないかもしれない、会社に・社会に全く貢献していないかもしれない。しかし、あなたは偉大である。なぜならあなたは「考えている」のだから。


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