夢遊病みたいだったあの日々

一時期、夢や目標を掲げることに熱中していました。

当時の何が問題かというと、宣言するだけで行動が伴っていませんでした。

ごく稀に行動することがありましたが、お遊びレベルでした。

要は、究極の自己満だったわけです。

そうなってしまったことには理由がありまして。

当時は金融機関になじめなくて社会不適応、適応障害(?)みたいな状態でした。

社会に認められず、社会に認められることを放棄してしまったのです。

そうなると、社会に認め得られなくても、仲間(笑)の承認を得られればいい

そんな状態になっていたと思います。

行動が伴わなくても、宣言すれば、「それ、いいね」と言われて満足する。

「それ、(どうでも)いいね」

だったわけですが。

周囲の人間だちも同様に社会不適応者ばかりでしたから、否定しません。

つまり、お互いに傷を舐め合っていたわけです。

あるいは、承認欲求を満たすために周囲を利用していただけなのですが。

私は社会性があったので、このままでは良くないと氣づきました。

そして就職活動を始めたものの、仲間たち(笑)は反対しました。

このぬるま湯からは逃さない。

から醒めさせない。

今思うとそんな感じだったのかもしれません。

あそこにいた人間たちのほとんどが無職で、親や交際相手に寄生していました。

せいぜい、アルバイトで得たなけなしのお金で参加していたのではないでしょうか。

夢や目標を宣言するが、行動しない。

現実逃避した、まさに夢遊病みたいな感じです。

夢や目標に行動が伴わないと、どうなるのでしょうか。

夢と現実とのギャップにストレスを感じ、時には怒りを覚えるでしょう。

東洋思想では、怒は肝と関連があります。

怒が増幅すると肝が損傷し、肝血虚などになりやすくなる。

また、怒は神志に含まれますから、やがて心にも悪影響を及ぼし、心陰虚などになりやすくなる。

そんな傾向が考えられます。

怒りなどの感情はとなって霊媒体質の人々に向かっていきます。

当時の仲間(笑)たちみたいな人間と一緒にいれば、念まみれになってなおさら生きづらくなってしまうのではないでしょうか。

もう少し現実的な話をするなら、脱社会になっていると収入が乏しいですし、食生活が乱れていきます。

野菜や飲む水の量は減り、体に良くないと言われる飲食物の摂取が増えがちです。

すると、人体を構成する陰液、血と津液と精が劣悪になっていく、虚していくことに納得ができます。

実践が伴わない、覚醒時の夢や目標ばかり口にしてしまうのは、現実に立ち向かう力が足りなくなっていたからかもしれません

目が覚めていても現実離れした時間を過ごしているなら、睡眠時の夢の中を動いているのと同じような状態だった。

今になって振り返ると、そんな氣がしています。

過去の私ほどヒドい状況の人は少ないと思いますが、このままではダメだと思っていて、自分の人生を取り戻したい方はご相談ください。

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