ムラカミユキ

書くこと、観ること、うたうこと

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最近の記事

ひとつの家族の変化の話

 前回の出産から4年半ぐらいの時を経て、私は今また妊娠している。いっときはもう二度とするもんかと強く思っていたにもかかわらず。前回のわりとしんどい経過を忘れるはずはなく、しかし時とともにその感情の苛烈さ生々しさは薄れていったようである。人間の脳ってすごい。それにしても、もうひとり子がいればいいなという気持ちは潜在的にありつつ、経済的、体力的な余裕がないことで「私たちにはひとりの子を育てるのが精一杯だし身の丈に合う」と考えてきた。はずだった。どこでその壁が崩れたのか。  4歳半

    • 川上未映子『夏物語』、反出生主義と、産んだ私の話

       はじめに、これは、seramayoさんの記事「川上未映子『夏物語』と『現代思想:反出生主義を考える』を読んだわたしのとりあえずの考え」からあらためて考えはじめたことであるのを記しておく。  私が川上未映子『夏物語』を読み終えたのは今年のことだ。読みはじめたのは昨年。鬱に陥っていたのもあって、ずいぶんと長い時間がかかった。しかしいずれにしても子を産んだあとである。自身の出産について、顧みて考えることになった。  『夏物語』には、出生・出産についてさまざまな立場を取る人間た

      • 埋まった穴と完全性

         欠けたピースは突然に降ってきた。  身内のところに、事務をやりたいと打診すると、すぐにでも来てほしいという話になった。履歴書を持って職場へ行くと、いつから働けるかという話が中心で、少々当惑するほどだった。行ったのが4月28日。働きはじめはなんと5月6日に決まった。月曜日から金曜日、時間は9時から16時の実働6時間。ぷらぷらしている身、困ることなどあろうはずもない。就職したら子供の送り迎えをしばらく母に委託することは話していた。  連休明けの初出勤日。しばらく袖を通してい

        • 欠けたピース

           最近めっぽう調子が良い、と前の記事に書いた。しかし私にはひとつぽっかりと空いた穴がある。その正体は簡単、賃労働をすることだ。  もともとは鬱で働けなくなって働かなくなった。そして、今このときの暮らしは、私が働かなくても成り立っている。詳細は省くけれどそういうことなのだ。  じゃあ何のために働きたいのか?ジコジツゲンと言うと大仰だけれど、結局はそういうことになろう。私は、働いて対価を得る私を、必要としている。夫にもなぜそこまで働くことにこだわるのか不思議がられていた。しか

        ひとつの家族の変化の話

          芽吹いている、話

           この頃急に暖かくなった。と、いうより暑いぐらいだ。それとともに、私の体調も急激に良くなってきた(自分の感覚として)。まず、楽しいことが次々と頭に浮かぶ。まるで春の地面から草花が一斉に芽を出すように。子供と遊ぶのが楽しい、本を読むのが楽しい、テレビ(ドラマや野球)を観るのが楽しい、写真を撮るのが楽しい、車を運転するのが楽しい、庭の草むしりが楽しい(芝生を敷く計画をしている)。何より、文章を書くのが楽しい。  ここまで来るのは楽ではなかった。昨年は何をどうしてどう生き延びたの

          芽吹いている、話

          短歌 - 3

          歓声もラッパの音も遠く遠く響いているよ空(から)のプールに 隣の子の髪の長さを熟知して交わせぬ言葉遠い約束 自信もて傘閉じらるるタイミング人の流れに虹を見た朝 言われるか言うか退路は絶たれてる教室の床の輪切りの木目 長い長い廊下の端に立っていた光る時間に包まれていた

          短歌-2

          寒いってわかってるのに隙間だらけの襟元を握って歩く わたしにはわたしをひとり抱えられるだけの腕があればいいのよ (2012/1/5)  わたしにもみっちり熱い子を抱うだけの腕が生えてきました こんなにも早く秩序の染み込んで整列するブロックの動物 人間のふりして生きてるこんなにも雨が降ったら傘を差したり 真っ直ぐに歩けなくてもトロイメライ霧の中にボートで漕ぎ出す 伸びすぎた生垣私の心にもタラ・ララ・タタン守っておこう

          短歌

           きのう、東直子さんと穂村弘さんの対談イベントに行ってきた。内容についてはもったいないので胸にしまっておきたいところだけど、穂村さんが東さんに(結局のところ答えられないとわかっているけれど)「(短歌を)どうやってつくってるの?」と聞いたところから始まった「ピンぼけ」の話、あと、ポエジーのうまれかたの話が面白かった。  わたし自身について言うと、この10年……いや15年ぐらい(こわい)、詠んだり詠まなかったりしていると思う。そのときどきによって理由は色々。だったと思う。もう思

          5時間の家出

           2歳児と意地を張り合って、家出をしてきた。  という一文だけでいかにばからしいかわかるけれども、気持ちとしてはそういうことなのだ。そうでなければ、「ママやだ!パパ!(がいい)」と数日間言われ続けている私の気持ちが浮かばれない。たかが2歳児の繰り言でも、そんな言葉を浴びせられながら何の気晴らしもなく甲斐甲斐しくお世話をし続けるモチベーションを、私は持ち合わせていない。  二泊三日ぐらいで旅に出ようかと思った。実家に帰るか、温泉宿に泊まるか。子の晩ご飯はお金を払えば保育園で

          5時間の家出

          「母」の自己犠牲

          先週の日曜の朝だったと思う。その日は特に予定もなく、目覚ましもかけていなかったけれど、日々5時起きの生活をしていることに加え夏なので(注1)、私は早々と目を覚まして「おなか減った」と口にした。夫はというと、凄まじい低血圧(注2)と、このところの家事・育児疲れでまだムニャムニャとしており、当分起きてこないように見えた。なんとなくの役割分担として朝ごはんは夫担当になっているのだけれど、無理やり起こすのも悪いので、私が先に起き出すことにした。 食パンの残りは2枚。フレンチトースト

          「母」の自己犠牲

          凸凹のまま

          「アップダウンある人がどういう風に生活しているのかわからない」と、夫にふと言われた。こんな私と暮らしはじめて5年目だというのに。「こういう風に生活してるじゃん」と答えたところ、外側の様子はわかるけれど、その人自身がどんな気持ちで過ごしているのかわからないということらしい。たしかに我々にも、いつも穏やかで安定している(ように見える)種族がどのような内的世界を持っているのかはわからない。 双極性障害、というひとつの病名がある。より正確に言うと精神障害、気分障害に分類される。ここ

          凸凹のまま

          書くことで、生きる

          言葉に頼って、やっと生きている、と思う。 感情の起伏に振りまわされることの多かった若いときも、自分の気持ちの正体はなんなのか、それはどこから来るものなのか、限界まで言葉で解像することで、生きられる道を探っていたような気がする。 ひとごとのように言ってしまうのは、近頃は生活の必要に迫られて(なにより毎日の育児、賃労働、そして最低限の家事)、物事をしっかりと考える余裕もなく、ましてまとまった文章を書くこともなくなっていたから。 しかし、予期しないことで自他の強い感情に晒されると、

          書くことで、生きる