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可能な限り、長い時間、こどもという生命体を見せて。

こんにちは
つみきのアトリエNeiroの日置です!

昨日、ある方とお話ししていたのですが、
「続けてるモチベーションってなんなの?」と聞かれました。
期待する答えは、きっと、諸々の”普及”だったり、”子ども達のために“、だったと推察されるのですが、そこで私が答えはこう。

「こどもっていう生き物が面白いから見ていたい」

別に奇をてらったわけではありません。
本当に、こども一人一人の、頭の中、心の中、体の中の宇宙の広がりが面白くて。
一人一人違くて、ある子は手に取るようにわかり、ある子は、そこでこうきたかー!という答えを出す。
それが予想できないことへの口惜しさがあったり、
全く予想だにしないことに、羨望があったりします。
自分が幼かった頃、こんなこと思えたのだろうか、と思うと、
全くそんなふうに思えず、
でももしかしたら、そう思えないのは、
そう思わせてくれなかった何かがあって、
そうして大きくなってしまったのではないだろうか、という疑惑。

だとしたら、幼かった自分を解放したいような、
でもそのままにしておきたいような。

ま、とにかく「こどもっていう生き物が面白い!」になってしまったのです。

そこから何が導き出されるわけでもなく、
導き出したいわけでもなく、
関わるこどもを取り巻く大人の1人として
なんとか「邪魔にだけはならないように」関わっていたいなって思うんですよ。

結局、質問を投げかけてくれた人、そのまわりの人たちにポカーンとされ、
あぁ答え、言葉選びを間違ったか、と思ったのだけど。


どこまでも自分本位な、自分が見ていたい景色のためにやっている私をお許しください。笑

でも、
超絶楽しいよ!

特に小学生たちと関わるのはすごく楽しいのよ。
今まで親の、とりわけ母親の庇護のもと生きてた生き物が、
1人で歩こうとして、1人で他者との関係を築こうとしている。


そこで自分のアイデンティティがどこまで通用するのか
探りながら、失敗して混乱しながら、
あるいは、ただ突き進んで、ただ突き破っていく様は
面白いとしか言いようがなく。


面白いっていうのは、おかしい、のではないですよ。
アカデミックに興味深いんです。


こうして、心と体を、別の人間として歩み出すのだと
なんとなく涙ぐんでしまうような気持ちになるんです。

それはNeiroの子でも、ひろばの子でも、将棋の子でも
日常的に関わる子に対して、同じように見つめています。

だからこそ、最近思うのは、
継続した関わりです。


単発でお会いできるこどもたちとは
これはどうしても構築できない。断言できる。

細切れで出会う子たちのことを思い出して涙ぐむことはないけれど、
アトリエに関わる子のことは、どうしたって愛さずはいられず、
成長を一緒によろこばせて欲しい。
(邪魔にならないようにしてるんで…頼む…!)


今、目の前にいる子たちを(赤ちゃんも幼児も含めてね)
可能な限り、長い時間を過ごせたら、って思うのでした。


誤解のないように書き記しておくと、
単発がダメ、とかそういう二項対立じゃないです。
Neiroのことは、来るみなさんが、良きように扱えってくださればいいのです。


自分本位に利用してくだされば、それで万事OK。
あくまでも、私の心持ちの話です。
みんな自分本位に生きよう。


ではまた〜!

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