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『PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』 に向けて考察など

□概略:

「PSYCHO-PASS PROVIDENCE」がまもなく公開されるので、
このタイミングで自分での振り返りも兼ねて、アニメ サイコパスを観て感じたことなどを取り纏めてみたいと思います。

特に今回の劇場版は待ちに待った人も多いであろう一期一係組が中心となるので、考察についてもアニメ一期を中心にします。
興味があったら読んでみてください。
※あくまで筆者が感じたことを書き連ねるだけなので、エビデンス等は特にないことを予めご了承ください。

とはいえ、ダラダラ書いた文章を読むだけなのはしんどいと思いますので
まずは『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』を観るに当たって、最低限知っておいた方が良い背景や用語のご紹介から。

□舞台:

近未来(具体的には2112年頃)の日本を中心に描かれている。
設定では既に世界経済(国家や政府)は崩壊しており、既存の倫理観や道徳観念も崩壊しており、法治国家と呼べる国はシビュラシステムを採用した日本だけとなっている。

□用語:

・シビュラシステム

人間のあらゆる心理状態を数値化し管理する監視ネットワークシステム。
「サイマティックスキャンで読み取った生体力場を解析し、人の心のあり方を解き明かすシステム」と書くと難しいが、
人の生体反応について統計等から一定の判断基準を設け、スキャンした人間が今どのような心理状態にあるのかをリアルタイムに数値化する(サイマティックスキャン)システムと考えれば良いかと思われる。

本作においては犯罪を取り締まる際に、犯人を”ドミネーター”と呼ばれるスキャナー(銃)でスキャンし、精神状態を数値化して量刑を決めるシーンが印象的であるが、
他にも例えば、各人の適性や能力をデータ化することで予め適した職業へ就けるといった支援も行うため、多岐に渡って恩恵を受けることとなるシステムである。

・ドミネーター

上記の通り、サイマティックスキャンを行い即時量刑・即時執行を可能とするシビュラ(神託の巫女)にとって必須のパーツである。

銃の形をしており、判定された”犯罪係数”(犯罪に関する数値)によって、相手を麻痺させるパラライザーモード(犯罪係数100~299.9)
相手を殺傷させるエリミネーターモード(犯罪係数300~)
主に人間以外の物体を完全破壊するデコンポーザーモードに変形する。

「その銃口<システム>は、正義を支配する。」というキャッチコピーの通り
支配者(dominator)である。

※アニメでは”強襲型ドミネーター”という狙撃銃型をしていて、障害物を貫通してサイマティックスキャンが可能な銃も出てきたが今回の劇場版で登場するかは不明。

・サイコパス(PSYCHO-PASS)

「精神の証明書」(サイコのパス)
市民のサイコパスを測定してデータ管理されており、メンタルケアなどに活用されている。
サイコパスは”色相(しきそう)”と呼ばれる指標でも表されている。
心身が健康であればクリアカラー、悪化していくことで色が濁っていく。


”犯罪係数(はんざいけいすう)”も指標の一つで、犯罪者となる危険性を表す。
しかし前述の通り、既存の倫理観や道徳観念が崩壊している世界で
そもそも何をもって犯罪と定義するんだろうね。

・潜在犯(せんざいはん)

犯罪係数は適切なセラピーや投薬治療によって低下させ、健全な精神状態に戻すことが可能だが、それらの効果が無く継続的に高い犯罪係数をマークし続けた者は”潜在犯”として扱われ、社会から完全に隔離されることになる。

・執行官(しっこうかん)

厚生省公安局刑事課で捜査を行う刑事。
刑事課には一係から三係まで存在し、通常はひとつの係に執行官が4名が在籍している。
潜在犯の中で適性があるとシビュラに診断された者から選ばれるため、その犯罪係数から厳重な監視下に置かれる。
「これから会う連中を、同じ人間と思うな。」と言う者もいるとかなんとか。

・監視官(かんしかん)

厚生省公安局刑事課で執行官の監視・指揮を行う。
通常はひとつの係に監視官が2名が在籍している。
潜在犯と合わせてスリーマンセルで行動することが多い。

シビュラから適性を得られる者が少なく、エリートとされることも多いが
どういった基準で適性が出されているのかは判明していない。
捜査を行う上で犯罪に関わり続けることで自身のサイコパスが濁り
潜在犯として認定され、執行官へ降格することもある

・免罪体質者(めんざいたいしつしゃ)

通常、犯罪を起こしたり起こしそうな心理状態にある場合は犯罪係数が上昇し、シビュラによって取り締まりが行われる。
しかし、免罪体質者は犯罪を起こしそうにない心理状態のまま犯罪を行うことができる、つまりシビュラに犯罪係数を測定されない人間のこと。
シビュラからは約200万人に1人の割合で存在すると予測されている。

とりあえずはこれくらいを知っておけば大丈夫かと思います。
ざっくりと用語だけでいいや、という方はここまでで大丈夫です。
お読みいただきありがとうございました。

今のうちにアニメや劇場版を見返して、新作の上映に備えましょう。

□本編

さて、冒頭の通り考察を書き連ねていきたいわけですが、単純にアニメーションを観て楽しんでも良し、ストーリーの裏に隠されている意味を考えても良しと観る度に味が深まる本作品の沼にハマっている人も多いのではないでしょうか。

本noteではストーリーにおける”これはどういう意味なんだろう?”の部分にフォーカスをしたいと思っています。

①シビュラシステムの意義とは?


PSYCHO-PASSにおいて最早、何の違和感もなく享受する人が多いシビュラシステム。だが、そもそもシビュラシステムの目的とは何だろうか。
「成しうる者が為すべきを為す。これこそシビュラが人類にもたらした恩寵である」というセリフが作中にもある。

もっと別の言い方をするなら、最大多数の最大幸福の体現である。
哲学者のジェレミー・ベンサムが唱えた功利主義の基本となる考え。
人間とは快楽や幸福を求め、苦難や不幸を避ける傾向がある(つまり功利)。
それを社会全体で追い求めることで最大多数の人間が幸福となれるという考え方。
あらゆる物事において、適性の無い人がストレスや苦痛を感じながら行うことよりも、適性が有りストレスを感じずに行える人がやれば良いということ。

これを実現するのに最も重視すべきことはなんだろうか?
答えは意外と簡単で”利他主義”である。
つまり、自分にとっての利害よりも、他者にとって利益を優先する(他者の幸福をこそ願う)こと。

これに照らし合わせるなら、シビュラの定義する犯罪とは
”自己利益を目的として他者を害する行為”となる。

そして、犯罪係数とは至極簡単な言い方をすると
”どれだけ自己中心的な人間か”を数値として表していることになる。

作中の人物で考えてみたい。
狡噛慎也

もともと監視官だったが、当時の執行官 佐々山が殺された標本事件をきっかけに犯罪係数が上昇し執行官へ降格となった。

「あの銃の言いなりになって何人もの潜在犯を撃ってきた。それがこの社会のためになると、小綺麗な理屈を鵜呑みにして、いつの間にか考えることさえ無くなった。」

監視官時代は信じていたものが、執行官になってからは佐々山の仇を取りたい、槙島をぶち殺したいという目的が先立つように変化したと考えられる。
故に槙島が正体を現し、その目的が達成に近づくにつれて着実に犯罪係数も上昇していく。
他者の利益よりも自分の復讐という利益を優先してしまったわけである。

”槙島聖護”

この作品における免罪体質者の代表と言っても過言ではないかと思う。
シビュラシステムの誕生以降、最悪の犯罪者である。
彼の目的はシビュラシステムによる社会秩序を崩壊させることにあるように描かれています。

これだけを聞くと、シビュラの社会において孤独を感じてきた彼の独りよがりではないかと思えるが、

「いつだって槙島の犯罪は何か答えを探すようなところがあった」

「僕はね、人は自らの意思に基づいて行動した時のみ、価値を持つと思っている。」

といったセリフに裏付けされるように
人の意思が介在しないシビュラの神託ではなく、
人が人たる思いによって判断と行動を、決断と意思の決定が出来る社会とすること”を目的としていたわけです。

それも自分のためではなく、心から他者(ひと)の為にという信念があったのではないかと。
あくまでシビュラの崩壊は、人が自分の意思で生きられる社会を取り戻す目的のための手段のひとつに過ぎなかったわけである。

②犯罪(係数)とは?

既に書いてしまったが、本考察においてシビュラ社会における犯罪とは
”利己的行為”ということになる。
なぜ利己的行動を悪としているのか。人間なんだから自分の利益、幸せを求めてもいいじゃないかと思うかもしれない。

しかし、舞台は戦争・紛争の激化により犯罪が増え、国家も崩壊している世界ということを考えなければならない。ある程度の利己的行動を認められるのは、その余裕や豊かさがある世界だけ。
生物として種の存続を最優先とした場合に最も合理的な行動とは全体が”利他的行為”を行うことなわけです。

免罪体質者や犯罪係数が上がりにくい者達を見てみると、ある共通点が浮かび上がってくる。
槙島聖護、藤間幸三郎、常守朱(免罪体質ではないと思われるが信念や行動は近しいものがある)ほか。
彼らは一様にリーダーシップが高い人が多い。

なぜだろうか?
リーダーシップとは本来、利他的行動によって行われる行為だからである。

現代社会においてそれを感じづらいのは、本来先頭に立つ者が行うべき行動からは逸脱して、利己的意思を源泉にリーダーシップを取ろうとする者が多いからかもしれない。

繰り返しとなるが、利他的行動の本質とは「自己の不利益を顧みずに他者の利益を優先するような行動」のことである。
最もわかりやすいのは”親による子育て”。
子どもが危険に晒されれば、時と場合によっては命を懸けてでも守ろうとするのである。そこには本来、打算などは存在しない。

肉食獣の群れを考えてみよう。狩りをするに当たって彼らは役割を分ける。
全体を俯瞰しながら獲物を追い立てる役、追われてきた獲物を捕らえる役。
体力を使い、下手をすれば獲物を奪われるかもしれない追い立て役を行う個体がいるのも、それが群れ全体の利益に繋がると知っているからである。

草食動物ではどうだろう。見張りを行う役割。
時には肉食獣がやってきたら大声で危険を伝え、自らを囮として群れを逃がすこともあるだろう。
1個体としては危険な行為でも、群れを、種全体を存続させるうえでは重要な行為なわけである。

槙島聖護は潜在犯へ手を貸す際に、あらゆる道具や手段を用意して与えていた。シビュラシステムに捉えられないからと言えばそれまでだが、もし見つかれば真っ先に捕らえられて裁かれる役回りとなる。

常守朱は監視官であれば執行官に実行させれば良い囮役なども、自ら買って出て、他に危険が及ばないように行動を見せる場面もあった。

これらは利己が先立ってしまえば、自分に見返りがあるから利他的行動を行う。逆に見返りが無ければ利他的行動は起こさない偽善的な行動に変わってしまいます。現代社会においても意外と多いように思われる。
例えば、子どもが良い大学に入れば自分も鼻が高いからという理由で子どもを学習塾に通わせてしまう。子どもの成績がふるわないとどうなるかは言うまでもなさそうです。

最大多数の最大幸福を体現するシビュラシステムの社会にとって、利他的行動を自然に行える者は犯罪係数が低くなる傾向にあるのかもしれない。

しかしながら、全体の流れに流されるだけでもなく、自分の利益だけに固執するわけでもない。
様々な物事を良しとして許し、時に本当に他者のためを思って行動をすることが大事なのかもしれない。
要はバランスということである。

③新作の劇場版に槙島聖護は出てくるのだろうか?

これまでの話とは打って変わるが、最終章の様相を醸し出している『PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』にて、”槙島聖護”は出てくるんでしょうかね。
彼ほど完成度が高いキャラクターはおらず、制作陣もそれを分かっているのか、1期以降(直後の劇場版を除いて)頑なに登場させていないように思える。

1課が再度揃うここまで温めていたわけではないのか・・。
個人的には物凄く出てきてほしい・・・。

(もちろん、縢くん征陸さんもだよ。本当だよ?)

『当事者』(EGOIST)が主題歌として発表されたが、既に意味深な歌詞が多すぎる。

”何が正しさだと言うの?”
”誰が心まで裁くの?”

こういった問いかけは劇場版で今一度、槙島聖護から常守朱や狡噛慎也に対して行ってほしいと思う。実現したら胸アツである。

”私は誰を犠牲に生きていい?”

槙島聖護を犠牲に生きてもいいんでしょうか。

”私は生きる あなたを犠牲に
自らの手を汚す事を選んで
私は当事者になる 今”

あんまり書くと怒られそうなので、これくらいで。
私も劇場で当事者になります。

ダラダラ書き連ねましたが最後まで読んでいただいた方々ありがとうございました。
PSYCHO-PASS 引き続き楽しんで生きましょうね。

それでは ノシ

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