見出し画像

月150時間残業していた頃あるある【小学校教諭】

120、100、150、110、
とにかく毎月100時間残業を越えていた頃。

若かった。
たった80時間で過労死ラインだということ、
45時間以内に収めようという考えがあること、
その頃は知らなかった。
知ったのはその年度がなんとか終わった後だった。

今、冷静な頭で「150時間残業していた」と考えるとゾッとする。狂気。信じられない。もう一度やれと言われたら絶対にできない。

そんな毎月100時間を余裕で越えていっていたあの頃のあるあるを書きます♪限界先生達、社畜経験者達に共感していただけると幸いです。


①1日休みがない

文字通り。土日も仕事、これがデフォルト。
土曜はとにかく昼まで寝る。起きて眉毛だけ書いて出勤。行き道で購入した昼ご飯を食べながら仕事。その週のやり残しをとにかく終らせる。
日曜は土曜に終わらなかった分、月曜日の準備、来週の貯金を作る。
そんなサイクルで休日も出勤。月〜日まで、週7、月31出勤の仕事♪

②職場で日を跨ぐ

いやもう泊まった方がよくね?あはは〜って1人で職員室で言っていたのを覚えている。こんな独り言を呟く時点でイカれている。朝7時〜夜12時まで学校。家化していた。よくセコムから電話がかかってきた。

③お風呂に入れない

これはすみません、私だけかも。不潔ですみません。帰宅したら大疲れで布団に倒れて気付くと朝っていうのがあった。食欲だけは譲れなくて、とにかく食べてパワーチャージしたらそのまま床で倒れるとかもあってシャワーも浴びずに連日出勤したことあります、懺悔懺悔、すみませんでしたホント。

④部屋が終わる

これも上記と一緒でもう人として恥ずかしいレベル。この記事にも書いたが虫が湧いた。死んだ。

今思うと、冷蔵庫保管しないといけないセブンのみたらし団子を食べかけで置きっぱなしにしていたのが原因かも。ハエがわいた。泣いた。もう部屋にいたくなさすぎてベランダで携帯触ったり夕飯食べたりしていた。末期。

ここまでいかなくても掃除なんてできなかった。そもそも家にいないからそんな目立って汚れることもなかったが掃除をするという概念がこの頃はなかった。家事ができない。

⑤エナジードリンク飲む

そのまま。私は特に朝。眠たくて体がだるくてそれでも行かないといけない、そんな時は冷蔵庫からキンキンに冷えたモンスターを飲んでいた。爆飲み。

⑥とにかく辞めたい

こればっかり考えていた。どうやったら抜け出せるか考えていた。とにかく休みたかった寝たかった放り出したかった。普通に友達に会いたかった、どこか出掛けたかった、美味しいものを食べに行きたかった、だらだらしたかった。

私はもう積もりに積もりすぎて、校長室の扉叩いた。限界かもしれません…って話をしたことを覚えている。この時は150時間なんかでヒーヒー言って約立たずですみませんって感じの申告だったけど、今思うとこんな労働環境を良しとしていた校長もどない???ではある。そして言っても何も変わらなかった。唯一の施策は「教材研究の仕方」っていう研修が行われたこと、校長は良かれと思って開催したんだろうけど、結局この研修会も19時ぐらいまでかかって目眩がした。本末転倒。


🐈🐈

残業は絶対に効率が悪い。
疲れが溜まると作業のスピードがとことん落ちる、時間内で終わらなくても残業したらいいやという思考、この状況が普通だと思い込む洗脳、負のサイクルに飲み込まれていく。

こっから抜け出すには、仕事が終わっていなくても帰ること。これのみ。健康に勝るものは何も無い。

世の中から残業がなくなればいいな〜

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?