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思い出…

とある方のブログを拝読して
今の小学生いや大学生も含めて私の頃とは比べようにならない位
忙しいさが伝わってきました。

一時は「ゆとり教育」だとか、はたまた今は英語やプログラミングなど必修科目になど時代の流れからでしょうね。
とにかく、現小学生を持つ親御さん達は子供に「これ教えて?」と聞かれたらすぐ答えられないものも一杯あるのかと思います。


振り返ると

昭和50年代に小学生だっと私は子供の多い世代でした。
新興住宅地に住み、初めて通った小学校も一学年10クラス。
そして一クラス40人はいたでしょうね、とにかく子供が多かった。

すると3年生に上がる時に学校が分校して、自宅より近い場所の新しい学校に通うことになりました。
今度は一学年3クラスになり、学校自体もコンパクトでしたが、広くなった廊下や校舎内に出来た体育館(当時としては画期的なレイアウト?)
理科室、家庭科の実習教室。
何より新しい校舎内の匂い(ペンキ臭など)は今でも覚えています。
そして新しい学校で小学生は卒業します。

小学時代は勉強そっちのけで、とにかく遊んでいました。
勉強は嫌いではなかったのですが、あまり興味が持てる教科がなかったのかと思います。


学年が上がるにつれ

4年生に上がる頃には、周りの子供達も学習塾に通い出す子が増えてきました。地方の田舎町でも次第に学習量が増えてきたのを覚えています。
私も母が余りに勉強しないのを気になったのでしょう、近くの個人で教えていた私塾に通わせてくれました。

その頃既に今で言うところの王手の塾は数校ありましたが、先ずは私塾をチョイスした両親の思いはいかがだっただろう。私のことを考えてでしょう。

勉強嫌いがもっと嫌いなる?
スキになってもらいたい…

子を持つ親の気持ち、子は知らずでその後も私は余り勉強しなかったのでしたが、それでも小学4年から中学2年生までその私塾に通っていました。


バスクリンの匂い

少しだけ私塾のこと話しますと、生徒は一学年6名位だったでしょうか。
先生はもと小学校の教師(きっと校長までなった人だったような)一人で国語・算数を教えていました。

確か学習ドリル的な問題集を使っての勉強スタイル。(くもん式的な?)
勉強机は長テーブルを2つ合わせ、まるイス(今でも古めのラーメン屋で見かける)。
これ長時間座ると次第にお尻が痛くなるあれです😱
(今なら無しな環境です)

もともと家の離れとして使っていた場所を塾仕様に改装したのかと思います。
教室には本棚があり、そこには小学校の図書館にありそうな「怪人20面相」とか「まんがはじめて物語」などの本が所狭しに並べられて、希望があれば貸し出しもOKでした。
ただ、私には興味を惹く本が無く、読んだのは塾の勉強の中休み時間に数冊をその場で流し読み程度。

勉強はとにかくつまらなかった(とうさん・かあさんごめんね😭)
一見個別指導的な教え方でしたが、やはり先生の技量不足なのか、子供の習得レベルを推し量っての教え方ではなく、塾長が教員現役時代のかつての大所帯的な子供に教えていた時のスタイルで
「分かる子は付いて行き」
「分からない子は取り残されていく」
ものだったと記憶します。

勉強が終ると最後は教室の掃除がありました。
床はほうきで掃いて、テーブルなどを拭くのですがその時使っていたバケツに入っていたのが、きっとお風呂の残り湯と思われるバスクリン入りの水でした。

今こんなのだったら即OUTでしょうが、そこは昭和時代とても緩かったのですね😅
子供の私は何の疑問も感じず、その塾長家族が入ったであろうお風呂の残り湯でテーブルなどを拭いていたのかと…
(おいおい😨)


あの頃は…

記事を書いていると不思議ですが、その時の記憶がおぼろげですが鼻腔に広がる匂いや肌で感じた空気感など蘇ります。
子供時代はとにかく永遠に続くのかと思う位長く、その思い出のほとんどが兄弟や近所の子供、学校の同級生などと遊んでいたものが多いです。

今は当たり前にあるゲームの黎明期をじかに体験し
任天堂のファミコン
ゲームウォッチ
SEGAマーク2
プレステなど
どんどん進化しましたが、幸運だったのがこれらゲームとは別に
「かくれんぼ、氷おに、どろけい(どろぼうと警察?)」など外で地域限定のローカル遊びがたまらなく面白かったのでした。

人と人が直接触れ合える子供時代は、人との距離感や相手の気持ちを読み取るなど遊びを通して、じかに学べる経験が多く持てたのが良かったです。
そして、そこには年代・性別もなく子供達がみんなで遊んでいました
もちろんケンカもしましたが、陰湿ないじめ・・・は無かったです。

「夜は遊び疲れて早く寝る」
そんな健全なあの頃を、今50代の私が懐かしむのは単なる郷愁では無く、
何と言うか人として精神的に健康だった時代が私にもあったのだと思うからです。


終わりに

その時代時代に生き方があります。私の子供時代は昭和も終わりそうな時期でした。太平洋戦争後、日本は奇跡的な発展を遂げました。
急成長の代償についてここでは論じませんが、現在の日本の状況を見ていると、停滞もしくは減退期の中にあると月並みな見方が出来ます。

一つの歴史は長く続く時代もあれば、短命に終わる時代もあります。
今はどんな時代なのでしょうか?
これまでの時代と比較するのは簡単でしょうが、今を生きている私達は
この瞬間も一生懸命生きています。

古き良き自分の過去があるのなら、その時代を思い返し浸るのも良いでしょう。人の生き方は誰にも支配されませんので。
未来を夢見て頑張るのもこれまたよろしいです。可能性は無限大。
誰にもその夢をつぶす権利はありませんので。

「今を生きる」

聴き慣れたフレーズ、そんなことか!と思う方もいるでしょう。
自分にとっての大切な行動・思いを考えると、このありふれたフレーズがとても大切に感じます。

今自分の置かれている現状を他国や他人などと比較しても仕方ないです。
少なくとも今日明日すぐ死んでしまう状況下に置かれている人でなければ
日本と言う場所は決して悪くはないと感じます。

変えられるのは
自分と
自分の未来だけです

今回はここまで

最後まで読んで頂きありがとうございました
次の記事で会いましょう。

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