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け!


 「け!」と友人が言った。一言と呼ぶべきか微妙なその一言に、私は驚く。大学の空きコマに5人ほどで談笑しながら昼食を取っていた時のことだった。また何事もなく食べ始めた彼女に「け!って、何?」と恐る恐る聞くと、「食べな!ってことだよ!そろそろ次の授業の時間迫ってきてるじゃん?」と笑いながら言った。




 私の通っていた大学は、東北地方の色々なところから学生が集まっており、彼女も例に漏れず、とある片田舎からこの大学へ進学していた。「それって方言?」と別の友人が言い、「そうかもね。」と彼女は言う。彼女は大きくてこぼれそうな瞳に陶器のような肌の美少女であり、それに見合わずどこかドライな性格が私は好きだった。私は頭の中で、「食え!」が「け!」になったのか?だとしたら、「食う!」は「く!」なのか?などとくだらないことを考えていたが、それを言葉にはせず明太子おにぎりを食べ終えた。



 私は東北の中でも割と都会の方で育ったこともあり、あまり方言は使わないのだが(そう思っているだけかもしれない)、「け」と聞くとどうしても「毛」が浮かぶ。だからその時も、え!私鼻毛とか出てた⁉と不安になった。食べることと人から生える死んだ細胞が同じ文字で表されることを私はとても面白いと思ったし、それと同時に、その友人の「け!」の一言には、何だか彼女の人生や故郷のエネルギーも詰まっている気がして、私は少し泣きそうになったのだった。



 毛というものは、実はかなりセンシティブなものであると感じていて、人によってその性質も気にしている度合いも違う気がする。例として、私の弟はお手本のような天然パーマであるが、本人はそこまで気にしていない様子である。そして私もそれが似合っていると思うし、よくふわふわ触ってしまう。髪の毛に限らず、毛という言葉のイメージは良いも悪いもそれぞれであり、他人の毛について何だか馴れ馴れしく触れてはいけないような気もする。食べる量の多い少ないなんかも似ている。



 「け」と「毛」。どちらも同じ発音でありながら、持つ意味合いとエネルギーのベクトルが違うなと感じる。鼻毛が出ていることを「毛!」と言う人も、食べて欲しい感情を「け!」と言う人もいるのだ。日本語は面白いな、と感じるし、同じ発音であるから使い分けがしにくいのも、なお面白い。しかしながら、「毛」というセンシティブな言葉が、「け!」のようなエネルギーの詰まったものであったら、人々はもう少し、毛のことを気軽に話せるようになったのではないかと思う。


 その日、帰ったら家に弟がいた。「お菓子食べていいかなー?」と聞くので、私は試しに「け!」と言ってみた。弟は怪訝そうな顔で「え、食べていいの?」と言った。私は「すみません、食べていいよ。」と言った。彼の天然パーマは今日も柔らかかった。


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