見出し画像

【小説】カフェ談義

「野上君。なぜ我々はカフェでわざわざ勉強するのかね」
「受験期を思い出したくないのですよ」
 私の問いかけた声は隣人によってにべもなく跳ね返された。
 大学一年になってからというもの、私はこの狂った隣人に連れられてカフェというものに度々足を運んでいる。しかし、なぜわざわざカフェに来ているのか。最近じゃあ身体反射的に、何も考えず足を運んでいる気すらしてきた。
「じゃあなにか。君は『きらきら大学生』とやらに憧れてこんな場所に、場所代まで払ってきているのかね」
 光るものにただ寄っていくだけではそこらの虫と同じだろう。私はこの狂人がそのうち炎中に身を投げだしやしないかと心配になってきた。
 「いえいえ、そうは言ってませんよ」
 私の心配をよそに黒々とした珈琲を啜る狂人。呑気なやつだ。
「そうだな、周りを見てみましょう。周囲一体に集中して作業している人間がいます。この環境なら、作業効率も上がるってものでしょう」
「いや君、周囲の人間は自分の世界に浸っているのだ。そんな中にいると、私は周りの人間が今、何を考えているのか気になって仕方がないのだよ」
 各自が個室を持っているかのような環境で、各々の作業を、個性に基づく仕草でおこなっている。そんな小さな社会にいるような環境だ。他者が気になって仕方がないのも無理ない話ではないか。
「そんなものですかね」
「そんなものだ。少なくとも私なら、作業するだけならこんな雑多な空間は選ばない」
「静かなだけで有難い空間だと思いますがね」
 かの狂人は、さも馬鹿の応対をするかのように軽くあしらってくる。
 確かに野上君のいうことも一理ある。都会に生きていると静寂は何よりも得難い。私の実家のある田舎に生きていると竹馬の友のようですらあった静寂が、この都会では実に希少なのである。都市の賑やかさを遮断した、静寂を志向する空間たるこのカフェとは半都市と権化ではないか。
 と、納得しようとしていると閉店を知らせるアナウンスが流れ始めた。するとさまざまな職業の人間が一様に、いそいそと準備をし始めているではないか。
 なにが反都市的な空間か!
 こんなにも時間に縛られていてはまさに都市の権化ではないか!
 開店と閉店の時刻という圧倒的な秩序によって治められる小都市こそカフェなのだ。この空間を、そう私は結論づけた。
 そう考えてみれば、人間観察の知見を一気に深められる最先端の研究所として、文学者として居着くのにこのカフェというやつは悪くないのかもしれない。いや全く、本来の用途とは全く異なるのだろうが。
「野上君、閉店時間だ」
「いや大丈夫。あと12分あります」
 なんと、退店勧告に抗う彼はまさに無法者といった姿ではないか。周りを見れば、この狂人と同じく社会に歯向かう勇者たちの姿がちらほらと。
 ここは実験都市だというのか。なんだかワクワクしてきた。
 まあ時間に追われている姿はまさしく受験生のそれなのだが、彼は自覚しているのだろうか。彼が真っ先に否定した受験生的な生活を今、まさに自由に施設を利用している大学生を演じる上で受け入れざるを得なくなっている現状はまさしく皮肉だ。
 ともすれば、野上君の、この狂った隣人の理由を「カフェで勉強する理由」に据えるのは欺瞞以外の何者でもないだろう。
 いそいそと時間の際を攻めて手を動かす彼の姿を見て、私はこう思った。
 やはり大学生がカフェで勉強する理由なんて、なんかかっこいいから以外の何者でもないのだと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?