インターネットで文章を書く難しさと最近の変化について

今年は自分にしては結構文章書いたなあ…色々変化があったなあ…てことでnoteに文章を投稿する中で感じたことをまとめてみようと思います。

僕がこれまで投稿してきた内容って、主にTwitterにのめり込んで体験した鬱だとか社会問題に関する自分の意見だったんですけど、これらの記事を本当に書きたいと思い立ったのは多分5年くらいは前なんじゃないかなと思います。だからやっぱり自分で書いてても「内容古いな~」とか「もうここまで病んでないんだよな~」と思う部分も結構あって。でもそうなるんじゃないかってことは前から予測はしていました。じゃあ何でもっと早く書かなかったのかってことなんですけど、これには色々と理由があって、それについて考えていこうかなと。

まず第一に「鬱だった」から。悩んで鬱になって吐き出したい思いが文章となって自分の中に溜まっていく。だけど溜まるだけでは投稿されないんですね。当たり前だけど書く作業が必要。他人に読んでもらえる文章にする、形にするってことですね。これがもう相当エネルギーないと出来ないことで。鬱だからこそ誰かに伝えたいけど伝えるためのエネルギーがない。それに内容的に書けば書くほど鬱の原因と向き合わなきゃいけない苦行。だからなかなか形にして投稿するまで至らなかった。

世の中には割と鬱体験談って漫画なり文章なりあるじゃないですか。あれってかなりすごいことだと思うんですよね。鬱のピーク時って生きるエネルギーすらほぼ無い状態で文章だとか絵だとかやってられない時間がほとんどだし、逆に鬱が収まってきて表現に向き合える元気が出てくると、切羽詰まった感情が記憶から薄れている。思い出せなかったり、思い出したらまた鬱になりそうで怖かったり。だからリアルな鬱体験って実はかなり形にしづらい「喉元過ぎれば熱さを忘れる」的なところがあるんですけど、なんだかんだそれを越えてやれてる人達もいるのがすごいよなって。

書けなかった二つ目の理由としては「他人に読まれるのが怖かった」。もっと具体的に言えば、炎上したり誰かを傷つけたり影響与えるのが怖かったってことですね。僕がテーマにして書いたこと、ストレスの原因になっていたことって、数年前に日夜Twitterで盛んに議論…というか罵詈雑言飛び交っていたフェミニズムやらポリコレやらなので、特に炎上を気にしなくてはいけない話題だし、自分も感情的になりやすい話題。

フェミニズムに支配される状況が気にくわないからこそ書きたいんだけど、フェミニズムに支配されてる空気の中で出して炎上したくない…。人の話ろくに聞かず騒ぐ人達に物申したいけど、そんな人ばっかだから最大限言い方に気を配らないといけない…。でも他人の顔色伺って本音隠した文章って面白くないし書く意味もあんま無いだろって思うし…。こんな感じで何度も推敲したり機を伺ってしまい、そうしているうちに世間的にも自分の感情的にも旬の話題では無くなったなと思う。

一応まだ書きたい思いはそれなりにあって、だからこそ今年は何個か記事にしたんですけど、昔話をしてる感覚で書いてるとこありますね。僕が思うにフェミニズムとかポリコレとかLGBTQとかその辺の人権問題ってコロナ禍終息くらいから風化してきたんじゃないかって感じがしていて。いやニュースを見ればむしろ未だにトレンドど真ん中だろと突っ込まれそうですが、そもそもニュースに対する関心が微妙になってる気がしてしまう。まあ僕が個人的に生活変わってニュースやSNS見なくなったからそう感じるだけで勘違いかもしれないんですけど。でもやっぱり、世間の変化のスピードが速いってのは老害ヒキニートの僕ですら最近特に意識するようになりました。Twitterに人生破壊されるレベルで散々悩まされたけど、そのTwitterすらXになって「Twitter民」とか「Twitter炎上」って概念自体がそもそも崩れているわけで。たかだか数年前ですら大昔のよう。平成末期から令和がすっかり定着した今現在では世の中の空気ってだいぶ変わって、少なくとも「Twitterの意見が全て」みたいになってたあの当時の悩みなんて今さらみんな興味なくない?って感じるんですよ。もう終末を予感して各々好きに生きてる感じする。ジェンダー議論とかSNSうつの話とか求めてるのそれこそ一部なんじゃないか?って。そんなことないかな。

僕が今年書いた文章ってまあそんな閲覧数ないんで炎上とか気にしてたのバカらしいなって思うけど、それも結果論ですからね。当時出してればもっと読まれて本当に炎上してた可能性もあるし。なんならこれから何かのきっかけで影響力ある人に見つかったら燃えるかもしれない。インターネットはそういう不確定な場所だから。せっかく書いたから読まれたい気持ちもあるけど大勢に叩かれて耐えられる精神的体力もないしな…。そういえば「弱者男性」って流行りのワードを入れた回だけやたら読んでもらったんですよね。ネットってやっぱり注目されるためには流行りに乗るのが大事なんだなって思います。その記事で初めて投げ銭貰う経験もしたし。でもこういうテーマで流行りに乗るのは諸刃の剣なんですよね。インターネット論客みたいな人達ってそういう意味ではすげえと思う。

ああ、あと書けなかった&あまり読まれてない理由として「スマホだから」ってのがあると思います。文章書いてみると本当スマホって効率悪い!いや短文ならいいんですけど、長文だと文章の流れとか全体的に見直して推敲したくても大変なんですよ…。最近人生で初めてパソコンを買ったのでもしかしたら今後はパソコンで書くことになるかも。

で、あまり記事が読まれない理由として僕の文章長いんですよね。Twitterであれだけフェミニズム議論とか流行ったのってひとつひとつのツイートが短くて噛みつきやすい、喧嘩しやすいってのがあると思う。じっくり問題について考えたい人って実はそんないなかったんじゃないか?noteはTwitterに比べたら纏まった文章が求められてはいるものの、専門書一冊読みたいみたいな需要じゃなくて、雑誌に1~2ページ載ってるコラムくらいが適当なのかなって。もちろんこれまで言ったように時期的なことや僕の文章力の拙さとかもあるとは思うけど。

まあなんだかんだ勉強になった一年だったなって感じします。これからSNSの勢力図がどうなるのか、そもそもSNS社会が続くのかも怪しいですが、こうやってうだうだ言える場があるとありがたいですね。それでは。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?