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ジミー大西 「POP OUT」

ジミーちゃん、ジミー大西は明石家さんまの付き人として、明石家さんまにいじられ、面白い人のしてお茶の間の人気を博していた。それが、ある日、画家になると言ってテレビに出なくなった。その時には画家でやっていけるのかと驚いた。
あれから30年近く経ち、風の噂で画伯とした人気があると聞いていた。その彼の絵を初めて見ることになった。

彼の絵は、色遣いからポップアートのように見えるが、今回の彼のフライヤーの絵を見てアウトサイダーアートだと思った。
色こそ、明るくポップな印象を受けるが、色の組み合わせや描かれている素材、そして構図などが、感覚的な要素が大きいと感じた。
その視点を持って今回のアート展に足を運んだ。


展示は。初期の頃、バルセロナ時代、ニューヨーク。マルタ、最近と分けられていたので、ある程度絵は時系列に並べられていると思い込んでいたが、違っていた(笑)
ある程度の区分はあるのだろうけど、絵の繋がりでまとめられていたので、ちょっと戸惑ってしまった。時系列に並べられていると思い込み、その流れで絵の変化を見ていてので、時系列に並んでいない。勝手な自分の思い込みで変な見方をするたころだった。
絵を描き始めた頃の彼の絵は素直に絵を描く喜びが感じられた。身近なものを題材にして、自分の感じるままに素直に、より興味を感じた題材を見た感覚で描かれており、技術的な面よりも描く彼の想いがストレートに伝わる絵であった。
それがスペイン時代になると少し変わってきていた。なんとなく、イラつきを覚えはじめている気がする。本人も自覚していないかもしれないが、赤がそれまでの使い方と違い増え、色味を爽やかさよりも沈んだ感じがした。
1996年から1997年にかけて色の組みやモチーフが変わってきていた。テクニカルな面でなのか、本人に何か心情的な面で何かあったのかはわからないが、その変化は面白い。少しダイナミックな絵に変化をしているように見える。
ニューヨークへ行ってからの変化も著しい。ここで一気にテクニカルな面が出てきたように見える。
題材も変化し、色合いも変化していった。
マルタ時代も今までの要素を解体し、新しい模索を始めているように見える。色合いももニューヨークの頃から黄色が増え、荒々しさよりも落ち着きが見られるようになっていた。
彼の絵は、彼自身を率直にのせている絵だと思う。その時の自分の状態、感情、そしてその時に得た新しいテクニック、面白い題材、興味。それは多くの画家が行なっていることではあるが、彼の場合はよりストレートに反映されている。アートを見ていると、その根底に自身への劣等感、社会への怒りなどに代表されるように、何か通底しているものがある。彼の場合は、そういった通底しているものがなく、その時にあるものに反応しているように見える。アウトサイダーアートでも、どこか通底しているもの。一貫したものが感じられるが、彼の絵を通して変化は見られるが一貫したものは感じなかった。もしかしたら、一度筆をおいたのは、そういう自分に気づいたからなのかもしれない。アーティストとしての自分の限界と、考えたのかもしれない。

ジミーちゃんの絵はとても素直、カラフルでポップな色使い、題材もその時の出会いを大切にしている。彼の優しさや素直さなど、人柄の良さが絵に現れている。

筆をおいた時。彼の師匠、明石家さんまの言葉。
ジミー大西のアートを、表しているように思える。
アートとして一貫したテーマは感じられない。もしかしたら、彼はそこに葛藤し自分の限界を感じたのかもしれないと想像した。

だが、彼は本来は芸人である。それは人を喜ばすことが仕事であり、彼もそれを志していたはず。芸人から画家になったが、そこは通底しているはず。彼は誰かに喜んでもらえることが、彼の本質的な喜びなのであるなら、その時その時に描く絵で、人を喜ばす。小難しい話は抜きにして、人を喜ばすことを主体にした、彼自身の素直さを表現したアートが彼のアート。自分の内面を表現していくのではなく、人のために描くこと、それが誰かの笑顔に繋がる事が彼のアートだと思う。
芸人の魂を持ったアーティストとして、人を喜ばす、人の気持ちを明るくする、人を楽しませるアアーティストっていいよね。
芸人のアウトサイダーアート
それが、ジミー大西のアート
彼のアートで多くの笑顔が生まれっていいよね。


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