考えないと考える。
hspは物事を深く考える。と言われている。
私は以前は今ほど考えなかった。
それは自分の頭はそれほど賢くはないと自覚していたからだ。頭の中でマルチタスクはできないし、ぷよぷよは4連鎖くらいしかできない。物事は計画しても破綻すると決め込んでいた。だから旅行も計画は立てず、目的地まではなんとなく歩き始めて迷ってから地図を見る。今でもレシピを見ずに勘でマヨネーズを作り3回くらい失敗してからレシピを見る。
本当にhspなのか疑いたくなる。
でも今もう少しだけたくさんの経験や失敗をして少し昔より内向的に傾いて、考えまいとしなければ、考えすぎの穴に入り込んでしまう。昔から実はそうだったのかもしれないが、抑止力は「自分はそんなに賢くないと自覚していた」からだったのだろう。今それを思い返して、自分の頭で考えればなんとか問題が解決できるんじゃないかと思っている自分を昔の自分は笑っているだろうと思う。
考えることは素敵だが限界がある。
考えることは素敵だ。イタリアの壁のラクガキで「考えることは無料!」と大きな字で書かれていた場所があった。
人間しか考えることはできない。こうやって自分のうちにあるものをクリアにしたり、吐き出したりするのは好きだ。そうやって見えてくる自分の本質や心理みたいなのがあるんだと思っている。
ただ混乱して何が嫌なのか、なんだかんだイライラするそんな原因が見えるとひとつ成長できた気持ちになる。
同時に、考えるのには限界がある。
自分のうちにしろ、外に対するあらゆる計画や未来のシミュレーション。
自分の頭の限界もあれば、
この世の中、自然は常に人間の想像を超える。
コロナなど想像もしなかったし、堤防をつくるときには水がそれを超えてくるなんて想像もしない。
科学では証明のできないこともまだまだたくさんある。
人間の考えることはちっぽけで結局はたいしたことはできない。
自分の頭を過信してはいけないのかもしれない。
行動する時
やはり行動する時は考えるほど動けなくなる。
もし世界中をバックパッカーとして旅行したいと思ったとして、
計画を立てはじめると、いつまでにいくら貯めて、どう言う理由を話して会社を辞めるか休んで、まずは英語を話さないと、飛行機は?ホテルは?保険とか、、もし危ない目に合うとしたらどうしよう。。。
そんなことを考えていると私はいく前に嫌になって諦めてしまう。
なんで昔の自分がイタリアなんて行けたのかわからない。
イタリア語なんて習ってもイタリアでしか使えない。イタリア語も英語も話せないのに大丈夫なのか?テロは?お金の問題。。
私は何も考えてなかったからこそ行くことができた。
考えたら恐ろしくて耐えられなかっただろう。若さゆえか、好奇心がまさったか。
たしかにあまり就職には役立ってはいない。でも価値観を大きく揺さぶられる経験だけお土産に持って帰ることができた。と言い聞かせている。
結婚もなんだかそうなんだろうと思う。
結婚は勢いなんていうがそうなのだろう。すれば良いというものだとは思わないが、
先のことや収入だのを考えるほどできないのだろう。なんとなくしてしまう人ほどなんとかなっていたりもする。知らんけど。
辻褄を合わせる
わたしは絵を描いたりするのは好きである程度小器用なのだが大工仕事がまるでできない。そして算数もできない。
30センチで測って、半分を計算して4本の角材をのこぎりで切るとなぜか2本だけ4センチくらい飛び出て長かったりする。ガイドを当てて切っても切り口は斜めになるしめちゃくちゃ不器用だ。
作って水平になることはないし、ガタガタで、ピタッとそこの場所に収めることもできない。
昨日室内で使わなくなった椅子を庭で座れる椅子にしようと布の座面を外して、木で座面を作ろうと思った。
もう自分の計算力、正確さは諦めた。
そして全部雰囲気で切って、なんとなく強度がありそうな組み方をしてテキトーにうって作った。
最後に辻褄を合わせて飛び出まくっている木を電動のノコギリで形だけ合わせた。
見栄えはそこまで良くないが、この作り方自分にしっくりくるなと思った。そして自分はそんな人間だったと思い返した。
最近、自分の頭を少し過信していたのかもしれないと思った。
実は深く考えるのは、私の場合恐れていたり不安で仕方がないから、どうにか計画を立てたり、あらゆる状況にシミュレーションをして対応できるように。
考えれさえすればなんとかなると思っていたのかもしれない。
ストレスやいろんな不安もたくさん抱えていられるほど賢くはない。
内側のことは少しはなんとかなれても、外側のことは考えてもどうにもならないことが多い。
本当は性に合わないことをしていたのかもしれない。
そんなに考えられる人間じゃない。一度に2個の動作はできないタイプだった。
ゲームをしながら人の話を聞けないタイプだし。
自分の限界を知って、もっと何も考えずになんとなく知らないうちに入っていって、最後に辻褄さえ合えば終わりよければすべてよしなのだ。
迷ってもGoogleマップを見て最後に到着すれば迷ったこともまた楽しい。
昔同じようなタイプの友人と一緒になんとなく約束した時間に二人とも遅刻して1〜2時間後にようやく会い、ようやく向かい始めて電車で確認すると美術館は休館日だった。そしてヘラヘラしながら他の計画を立てた。無計画すぎて笑えてくる。そんなことの方がよく覚えている。
うん。人によるな。そんなことを思い出す今日。
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