見出し画像

「期待」とどう向き合うのか

期待が好きな人もいるのかもしれない。
期待されてこそ力を発揮できたりする人もいるんだろう。
わたしは期待されると身動きが取れなくなる。

人の期待をいつも考えてしまう。

実際に期待されているかは知らないのだが私の勝手な想像。妄想だ。

これはhspあるあるなんだろうか。わからない。私はすごく背負い込んでいる。ただの強迫性神経症だろうか。

こうしてほしいのでは?これがほしいのでは?こうしたら喜んでくれるのでは?こうしたらもしかしたら文句を言われるのでは?

そんなことばかり考えてがんじがらめになっていやになる。

期待に応えないの問題

最近はここにも反抗心が出てきて期待に応えまい!と決め込んで

一生懸命に期待とは真逆の行動をしてみたりした。

でもこれもまた期待にとらわれていて不自由なのだ。

期待を基準に、反発という選択をしているにすぎない。ガンガンに意識しちゃってる。

だから期待という物を全く頭から取り外した、忘れちゃって、全く関係のない場所で自分のしたいことを選択できないかと考えた。

いや無理だ。忘れられるわけない。焼肉はないのに焼肉食べてると思って白飯を食うくらい無理だ。焼肉がないの知ってるし。自分に嘘ついても騙せない。

選択する。決断する。

幸せか不幸せを決めるのは、どちらを多く感じているからしい。

つまり完全に不幸の排除された現実は存在しない。

そんな不幸と同居している世界で幸せという物を多く見つけることしか幸せという状態にはならない。

だとしたら、選択することだ。

目の前のことを不幸と選択するか。その中に小さくても存在する幸せの方を選択し感じるのか。

期待もなんだか似ているなと感じた。

期待は多分今後も私は感じ続ける。
それはストップさせることのできない私の弱さ、私の性質とも言ってもいいのかもしれない。自分の変えられない部分として受け止めるしかない。

期待というものは勝手に感じ続け、存在し続ける。
でも聞こえてくる期待ではなく、意思を持って自分の願望の方を選択していくこと。
それが期待と共存して、期待に振り回されず、他者の期待に応える方法なのだ。


常に物事は同時多発的な感情を与える。常に選択している。

相手の羨ましさを嫉妬と選択して悪口を言うか、素直に尊敬という言葉を選択するのか。

ポジティブなことを選択するのか、ネガティブなことを選択するのか。

ものごとは捉え方だ。といつも言われるが、なんだかその言い方が嫌いだった。

ネガティブは存在するのに臭いものに蓋してポジティブな言葉ばかり言う奴は好きじゃない。特にから元気なポジティブは暑苦しい。

ただ捉え方ではあるものの。どちらも存在する世界でどちらを選択していくのか。自分の意思でどちらを選ぶという決断をするのか。

雑音がうるさい場所で大事な話をしている時、雑音を聞くことを選ぶのか。雑音は消せないけど、大事な話を聞こうとする選択をするのか。そんな感じだ。うーんわかりにくい。

私はいろんな期待は聞こえてきても意思を持って期待ではなく自分のしたいという欲求に従うことに決めた!(よーし決めたぞ!)

意思を持って期待の声は無視すると選択する!

hspは自分のしたいことで人の期待に応えられるのでは?

hspにとって期待は大きなプレッシャーなんではなかろうか。

それを力に変えられず、むしろ緊張してパフォーマンスを悪くしたり、自己犠牲になりすぎてしまう。

もともと人の感情を察しすぎるあまりデフォルトで人のために動きやすい。

一方、その感受性や表現力など自分のために生かされる時に最大限力を発揮できる。

自分を楽しませる時いい仕事ができる。

つまり自分の「〜したい」という欲求や願望に従っていく時自分も喜ばせることができ、そのいい仕事は結果、人も喜ばせる仕事になる。ウィンウィンてやつだ。

人のためにしたいのならばこそ。人の期待より自分を優先しないと本当の意味でいい仕事はできない。

人の期待のために自分を犠牲にしても結局誰も喜ばせられないことになる。

期待に応えることはhsp、特にわたしの人生には不要だ!と言っててもいいのかもしれない。わたしの辞書から消してやろう。

メンタルは強くなれないが同じように生きられる。

たぶん一生、鈍感にはなれない。

感じないようにしても感じてしまう。

それを感じなくすることができるとしたら、その感受性の良さも失われるだろう。

精神的にタフな人は悩まないようなことに今後も悩んでいくだろう。

その人たちがなんの努力もなしにできることがわたしにはとても大変なんだ。

みんなが眩しくないけど眩しく感じるならサングラスをかけるように。

眩しくない人にはなれないけど、眩しくないようにはできる。

自分の弱さや不器用さその性質を理解したうえで一つ一つ対処法を考えていくことで、精神的にタフな人とは違うルートで同じくらいの生き方はできるようになれるのかもしれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?