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亡くなった彼の話

今から10年前、猫藤がアラサーだった頃の話し。

4歳年下の素直でまっすぐな優しすぎるくらい優しい
動物とお酒と海が大好きな彼氏がいた。
そのころの私は絶好調にワガママでPMSのせいか月の半分以上は不安定で、何かとすぐイライラして、毎日お酒に逃げるように飲んだくれていて、彼を振り回してはケンカして仲直りしてケンカして仲直りするを繰り返す
ものすごくめんどくさい人間だった。
なんでそんな女を好きになってくれたのだろう。
付き合う時に「大事にします!」と言ってくれたことにすっかり甘えてしまっていた私に、何度もケンカする度にいいかげん愛想をつかすこともできただろうに。。。

それでもなんだかんだ私たちは離れられなくて、一緒に暮らすようになっていたのだが、あいかわらず些細なことでケンカしては家出して、もう今回はダメかもしれない!と思いながらもケンカする度に友達をも巻き込んで何度も話し合いをして、《けっきょくどんだけケンカしても好き同士なんだよね》とあきれられ、今度こそちゃんとやり直そう!と結婚に向けすすんでいくはずだった。

二人とも海が好きで、猫と犬と一緒に海の近くに住んでいた。
休み日は犬を連れて、ビールを買って近くのビーチや海沿いの公園で乾杯し、天気のいい日は広いベランダでBBQしながら乾杯するのが幸せだった。

私たちの家の近くには歩いても行ける距離に沖縄の有名な人工ビーチが近くにあったのだけど、そこから少しだけ離れた所に地元の人もなかなか行かない隠れ家ビーチがあった。ダイビングスポットでもある隠れ家ビーチは湾になっていて、近くのマリンセンターのダイビング練習場にもなっていて、人工ビーチにあるようなネットなんて設置されておらず、岸からどこまでも泳いで行けて潜れるビーチだった。もちろん監視員なんていない。

海が大好きでサーフィンや素潜りをしていた泳ぎが得意な彼。
この日も素潜りしたいとモリをもって何度も潜っては楽しそうにビーチに戻ってきて「全然魚が早くてつけない!」と笑いながら休憩してを繰り返していた。
彼よりも泳ぎは得意ではないけれど、そこそこ泳げる私を
「おぼれないようにね!気をつけてね!」と心配してくれる心配性な彼。
しばらく休憩して、また沖の方へ二人で手をつないでプカプカ泳いでいたけど、あまりに沖の方になるとビーチに戻るのがきつくなってしまうので私だけ途中で戻ることにした。

そこで彼の手を離したのが間違いだった。

先にビーチに戻る途中、一度振り返った時には沖に向かって泳ぐ彼の頭が見えていた。
その時、なぜか魚の稚魚らしきものが私の手の上に乗っていて、《こんなだだっ広い海の上で不思議!あとで彼に見せよう》と思って防水のカメラで写真を撮っていた。
ビーチについてしばらく休憩していると、浮かんでいるはずの彼の頭が見えなかった。
潜ってるのかな?と気にもしていなかったが、いつまでたっても遠目に彼らしき姿が見当たらない。
1時間近くたって、ゾワゾワしてきて不安がよぎり、パニックになり119番を押した。海の119番は118番と教えてもらい、彼が海からあがってこない!とパニくりながらも説明したような気がする。
そこからしばらくして救急車・消防車がこちらに向かって来てる音を聞きながらダイビングの練習をしていたマリンセンターのボートがぐったりした彼をひきあげているのが見えた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ?・・・・・・・・。

遠目で見ても彼だった。
意識がないことがわかった。


そこからどうやって彼が岸まで運ばれ、救急車に乗せられ病院に向かったのか記憶が断片的にしかない。
救急車の中で心臓マッサージをする先生のもうあきらめたような顔、病院で駆けつけてきてくれた友達に状況を説明しきれない私を抱きしめてくれた感触。セピア画像のようになんとなく疎らにしか覚えていない。

そう長い時間かからず処置室に呼ばれ、死亡確認をされるも眠っているようにしか見えない彼に
「ウソでしょ、起きてよ!なんの冗談よ、またふざけてんの?目開けてよ!」と言うことしかできず動かない彼を揺さぶることしかできなかった。

まだその状況が信じられないまま、私は海上保安の人に連れられ海上保安本部で5時間近く取り調べを受けた。海上保安官の男性は優しく「事件性はないので現場の状況などを詳しく教えてほしい。思い出すのは怖いだろうけど細かいことまで話してくれるかな?」と震えながら話す私の話をゆっくり聞いてくれた。

夜中になり海上保安官の方に送ってもらい自宅に戻ると、彼のお父さんお母さん兄弟たちが待っていた。
私は泣きながらひたすら謝ることしかできなかった。
なぜこんなことになったのか自分でも理解できない状況で、その日1日何が起きたのか私たちの行動を少しずつ話した。
どこにぶつけることもできない怒りと悲しみで皆泣くしかなかった。

死因を特定するために解剖する必要があり、彼を連れて自宅には戻れず、翌日彼の両親・兄弟たちと一緒に彼が保管されている施設へ行き、一緒に解剖する大学病院へと移動した。
いつもと同じようにキレイな顔で眠っている彼は冷たくて、どんなに呼んでも何も反応してくれない。
海に入る前にはなかった何かに刺されたような首に二つの小さい傷が気になった。

沖縄にはユタやノロと呼ばれるシャーマン的な人たちがいる。
病気や何か悪いことが起こると病院ではなくユタに見てもらう習慣がある。
仕事のことや家のこともみてもらうらしい。
彼は産まれこそ沖縄ではなかったが、両親・親戚もみな沖縄の人たちなので、その流れで私はユタにみてもらうことになった。
彼の伯母さんに連れられ沖縄の中部にまで行き、ふつうの民家であるおうちに招き入れられた。
50~60代くらいのおばさんは私に特に何も聞かずに静かに話し始めた。

彼は苦しんで溺れて亡くなったわけではないこと、急に心臓が止まってドロップアウトしてしまったこと、家族や親戚の災いを一身に背負って亡くなっていった命の長さが短い宿命にあったことを話してくれた。
まだ自分がいきなり亡くなったことにびっくりしていて、私にごめんねごめんねと言いながら抱っこちゃん人形のように(本当にこう言われた)あなたに絡まるようにくっついていると。彼らしいと少し笑ってしまった。

他にも私と彼しか知らないことや、亡くなる直前の様子、気になった首の小さな傷のこと、まるでその場面を見ていたかのように話してくれた。
首の傷は急に心臓が止まって静かに海の底に沈んで行って、魚か何かに突かれてできたようで、死因の原因ではなかったらしい。
海の上で私の手のひらに乗ってきた魚の稚魚も、もしかすると何かの知らせだったのかもしれない。

彼が亡くなる少し前に、なぜかものすごくお揃いのアクセサリーを欲しがったことがあった。
その当時、私たちは貧乏でアクセサリーなんて買う余裕なんてなくて「いらないよ~」と頑なに私は断っただった。しかしサーフィン時代の先輩が作るブラックパールのアクセサリーをどうしてもどうしても彼は欲しがっていた。何度も買おうと懇願されたけど、NOとしか言わない私に根負けしてお金もないしあきらめたのだと思っていた。なのに、いつの間にかこそっと注文していたらしく、彼が亡くなった翌日にブラックパールのアクセサリーは届いた。
面識のない彼の先輩に彼の携帯から連絡し、彼が亡くなったことを伝え大変申し訳ないが返品してもらえないですか?と話すと「彼女の分も注文したかったけど断られて~、自分の分だけ注文していいですか?って言って○○(彼の名前)注文してきたんだよ。お金はいらないから迷惑でなければ棺桶に一緒にいれてもらえないかな」と先輩からのご厚意に甘え、そこまで欲しがっていたし…と彼の首にかけてあげることにした。

こちらから何も伝えていないのに、ユタはそのブラックパールのことについても驚くことを話してくれた。
「何かおうちに届いた?お金払わんといかんやつ。彼がしきりにごめんねごめんねって言ってるよー」と。お金がなかったからだけでなく、彼がどうしても欲しがるブラックパールのアクセサリーをなぜか私はものすごく着けたくなかった。なぜだかわからないけど、すごくすごくイヤで頑なに拒否したこと、その結果、彼は自分の分だけを注文していてちょうど届いたと驚きながら話した。ユタが言うには「ブラックパールってどこで生きてるね?海の中、深い海の底にいるでしょ?あなたももし、そのアクセサリーを欲しいって言っていたら一緒に海の底に引っ張られていたさ~。あなたを守ってる人(守護霊)がそうさせなかったんだね~。だからあなたは欲しくないって言えたんだよ。あなたにべったりな彼だから自分の命の短さを感じてか一緒に連れていきたかったんだね。だからお揃いのアクセサリーを注文しようとしていたんだはず」と。

ゾワっとした。

と共に、ターコイズが好きな彼がなぜブラックパールだったのか。なぜ自分の分だけでなくお揃いのものを欲しがったのか、納得することができた。

頑固なまでに私は欲しくないと感じたのはご先祖様が守ってくれてたのか。私はまだあちらの世界に行く時ではないと教えてくれていたからなのか。

ありがとう、ご先祖様守護霊様。

それと、ユタからは少しでも早く一緒に暮らしていた部屋から引っ越した方がいいとも言われた。何も間取りなんか伝えていないのに、見えているかのようにベッドの配置や部屋の状況なんかも言い当てられた。
あなたは生きているのだから、「別々の道を歩むんだよ、そっちには行けないよっていうのを見せてあげないと、いつまでも彼は抱っこちゃん人形のままあなたのところから成仏できなくなってしまうよ」とユタは続けて言った。

ふつうはそんなこと嘘みたいだと思うかもしれない。
何言ってんの?騙されないし!って笑えたかもしれない。
けれど、誰も知らない私と彼しか知らないいろいろなこと、
私も知らなかった私と出会う前の彼のこと、
亡くなる間際のことなどたくさん言い当てられていた私はユタのいうことを信じずにはいられなかった。

沖縄のお葬式は火葬を先にしてお骨になった状態で葬儀が行われる。
暑い土地柄だからなのか?
なのでお通夜でしか故人の最後の顔が見られないため、夜中まで訪問してくれる方が多い。
急な出来事であったにも関わらず、解剖の関係ですぐにお通夜・葬儀というわけではなかったのが仲間でワイワイするのが好きだった彼らしいというか、彼の友達も内地から駆けつけてくれたり、親戚が代わるがわる来てくれてたくさんの人たちに彼の顔を見てもらうことができた。
彼がすごくたくさんの人から愛されていたことを感じるとともに、私が一緒にいたのに彼がこんなことになってしまった後悔と懺悔と申し訳なさで押しつぶされそうになっていた。

そんな私に暴言を吐くでもなく責め立てるでもなく、彼のお母さんは○○の恋人の猫藤ですと紹介してくれ、気にかけ優しい言葉までかけてくれ親族席に私を座らせてくれた。
彼を死なさせてしまったのは私なのに。
自分が産んだ大切な子供を目の前にいる女と一緒にいたことで亡くしてしまったのに。彼女が私なんかでなければこんなことにはならなかったかもしれないのに。
優しすぎる彼がこのお母さんに育てられたのがよ~くわかった。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
どんだけ後悔しても謝っても戻らない彼の命。
助けられなくてごめんなさい。
私と一緒にならなければこんなことになれずにすんだのかもしれない。

翌朝、火葬場へ向かい最期の時。
お経をあげてもらい焼却炉へと運ばれる彼の棺にすがり泣き叫んだ。
愛してる。ごめんなさい。ありがとう。

高い煙突からのぼる煙を見上げると、亡くなった日と同じくらい青空が広がっていた。
青い空と海が似合う彼らしい。

数時間後、真っ白な姿となった彼の骨はしっかりしていてすごくきれいだった。
がっしり筋肉質だった彼は骨壺に収まる抱きかかえられる大きさになってしまって、よけいに現実味を感じられない。
もうツルツルの肌も、筋肉質な身体も、猫っ毛な髪の毛も触れない。
たくらんだようにニヤっと笑う笑顔も、私を呼ぶ声も聞こえない。

いっしょにすごした日々はそれほど長い年数ではなかったけど、たくさんの愛情と幸せを感じさせてくれてありがとう。
今私の生活の中心である黒毛の猫を飼っていてくれてありがとう。

あれから10年の月日が流れ、今日は10回目の命日。

私はこの10年でいろんなことがあり、彼と出会った沖縄を離れてしまったけど、できればもう1度大好きだった海の近くのあの街で暮らしたいと思っている。
海のすぐ近くで、花火が見えて、仲良しの友達たちがいて、大好きなお店があって、彼との思い出もある大好きな土地。

今の私は、いつかまた沖縄でも暮らしながらシニアになった黒毛の愛しい猫と母との実家2拠点生活を目標に、今日も癌と闘っている。

まだまだそちらの世界に行くつもりはないと足掻きまくってるので、
空の上から私たちを見守っていてね。

10年前のあの日と同じように今日も暑くて青空だよ!

11歳になった忘れ形見は今日も元気にイケメンです



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