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書評:ラブカは静かに弓を持つ(安壇美緒)

久々の小説。週末でまとまった時間も取れないし後で読もうと思ってパラパラと流し読みしていたつもりが、気がつけば物語の世界にどっぷり潜っていて、あっという間に読了してしまった。

本作はJASRACとヤマハ音楽教室の著作物使用料徴収を巡る対決という、実話を元にしたフィクション作品である。JASRACの職員が主婦だと偽り、2年間にわたり音楽教室に潜入調査したというエピソードを覚えている人も多いだろう。

元々ネットではJASRACに対する反発が強かったこともあり、「そこまでやるのか」とネット上で炎上したことも記憶に新しい。しかし、裁判の結果がどうなったか、この場で即答できる人は少ないだろう。日々、洪水のように次々と届く新たなニュースで記憶は上書きされるからだ。「スパイ」として「敵地」で2年間を過ごした人がどのような景色を見て、何を感じたかを想像することは難しい。

本作ではJASREAC(作中では全著連)のスパイとして、ヤマハ(同ミカサ)に潜入する職員を主人公としてスパイとして活動する2年間について描いている。職務とはいえ、師事する相手を騙すような形で潜入するという行為は決して愉快なものではなく、主人公の性格も相まって全体を通じて陰鬱とした雰囲気で物語は綴られる。

わずかな光を頼りに深海を彷徨うようなペースで進む物語は静謐に満ちており、起伏は小さい。それでも読者を飽きさせずに物語に引き込むのは、ひとえに著者である安壇美緒氏の卓越した筆力あってのものだ。その繊細な文章は儚く、暗い世界を淡く照らす。

「その匂い立つような甘い旋律は、聴く者の耳の奥を淡く焦がす」
「膨れ上がり続けてきた暗い想像力を、現実の音がかき消してくれる」
「行き止まりだと思っていた道の向こうに、別の世界を見つけたような」

例を上げればきりがないが、美しい詩歌のような文章が文中の至るところに散りばめられながら、決して主張しすぎない形で読者に消化されるのを待っている。物語はもちろん、この文章に触れるだけでも一読の価値があると思わせる。

本筋から逸れるが、私は文才という言葉があまり好きではない。魂を削って絞り出した、推敲に推敲を重ねて紡がれる言葉の数々を才能というあやふやなもので評価した気になるのは筆者の努力に対する敬意を欠いた行為だという思いがあるからだ。しかし本作を通じて、安壇氏の持つ感性と表現力にはただ感服するばかりで、恥ずかしながらいくばくか嫉妬もした。

閑話休題、物語を通じてテーマとなっている、音楽に対する表現も秀逸だ。チェロという、主役になることが少ない楽器という点も良い。クラシックに混ぜる形で架空の音楽家や楽曲も登場するが、説明しすぎずにくどくない形ながら音色が想像でき、音楽に疎い私でも実際に聴いてみたいと思わせる。のだめカンタービレを読んだときも思ったが、実際に楽器に慣れ親しんでいる人であれば、より深く入り込めるのであろうと思うと少し羨ましい。

全体を通じてテンポが良く、読後感も滑らかだ。フィクションという体裁をとっているものの、ニュースでは2〜3行でまとめられる背景に我々が知らないドラマがあり、世界がいかに複雑で豊穣であるかに想いを馳せることができる。こういう小説に出会えてよかったと素直に思った。

ちなみに作中では第一審の判決の後で物語が終わっているが、現実世界では二審も終わり、3月に最高裁への上告があった。裁判結果については知らないほうがより本作を楽しめると思うので詳細は各々読後に検索してほしいが、1審と2審で判決が変わっており、「なるほどね」と一粒で二度楽しめる内容となっている。狙ったのか知らないが、なかなか絶妙なタイミングでの出版である。

追伸

ちなみに本作品は集英社様よりご献本を頂きました。ありがとうございます。「折角頂いたけど、面白くなかったらどうしよう…」と少し心配していたけど(何様のつもりだ)、超良かったです。

個人的にファンである新庄耕先生の作品をTwitterやnoteで宣伝しまくっていた所、担当編集者の方にお声がけ頂いたという経緯で、掃き溜めのようなSNSの片隅でも全裸で大五郎を飲んでゲロを吐くような行為にも意味があったんだなと大変うれしく思います。人生で大切なことは全部新庄先生の小説に書いてあるから、お前ら四の五の言わずに狭小邸宅を読め。

ちなみに集英社との関わりといえば、太古の昔、就職活動で集英社の役員面接まで進んだことがある。即興でプレゼンをやらされたけど、緊張のあまり脳がバグって変にウケ狙いに走り、その場にいた他の就活生ともどもドン引きされてあえなく落とされたという悲しい過去。

その後、露軍のようなブラック企業に入隊後も
「あの時、役員面接でちゃんとやっていればもしかしたら…」
と、第二新卒で集英社にESを出し直すかどうかガチで悩んでいたほど。(現実問題、忙しすぎてそれどころではなかった)

すっかり忘却していたけれど、今回お声がけ頂き、ふと黒歴史が甦って枕に顔をうずめてベッドで足をバタバタしたくなった今日このごろ。集英社様におかれましては私のようなゴミを採用しなくて正解でした、これからも良い本を世に送り出して下さい。あとHUNTER×HUNTERの続きも宜しくお願い致しま(以下略


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