2023.8 広報みたか「太宰治文学散歩」

 三鷹の地を踏みしめるのはおよそ八年振り、ひょんなことから高円寺に越して来て間もない頃、太宰のお墓を訪れて以来のことだった。元々高円寺が好きで越して来たわけではなかった。それにはまさにひょんなことからとしか言いようのない理由があり、今ここでその「ひょん」について説明するには、文字数の関係上今回の紀行文の趣旨とズレてしまうので割愛するが、「ひょん」とはあるいは「運命」と言い換えてもいいのではないかと私は思う。文字数の関係上。

 担当編集者のK女史と三鷹駅構内で落ち合い、改札を出るとすぐに三鷹市職員のS様にお声かけいただき、その案内のもと、我々がまず向かったのは駅から歩いて六分ほどの場所にある『太宰治文学サロン』だった。そこでさらに三鷹市職員のO様、みたか観光ガイド協会のM様と合流した。サロン内の真ん中には、太宰が晩年を過ごしたという自宅のミニチュア模型が展示されており、数々の著作の初版本、初めて目にする太宰の写真などもあり、陰気な自分にしては珍しく興奮した。

 サロンを出た我々は、そこからはM様の案内により、太宰ゆかりの場所を巡ることとなった。それに先駆けてまずM様は私に、「太宰は好きですか?」とお尋ねになられた。私は、「別に…」と沢尻エリカをやりたくなるのをぐっと堪え、「はい」と答えた。(瞬間、M様の目がキラリと光った)その我慢が功を奏し、私はM様より太宰に関する貴重なエピソードを様々教えていただけた。もしも沢尻エリカをやっていたら、それ以降ずっと無視されていたのに違いない。M様にはそういう、きかんぼう的頑なさがあった(たぶん)。

 特に興味を引かれたのは、やはり玉川上水だった。太宰が倒れた「運命」の場所。入水場所なのではないかと目されている近くの歩道には、目印として津軽産の玉鹿石が置かれている。けれどそこに、入水場所等の説明書きは何もない。

 K女史はそんな三鷹市の奥ゆかしさを、「上品」という言葉で形容した。その言葉は言い得て妙だと思い、ぜひ私が言ったということにしてもらえないかと頼んだものの、ダメだ、ということだったので、私は今こうして事実を記すより他なかった。

 そう、上品な街なのだ。川沿いの、車道を挟んだ歩道はゆったりと幅が取られていて、所々に休憩用のベンチが設けられてもいた。上品かつ優しい街。その通りは、『風の散歩道』という名前が付けられているのだという。そんな爽やかな通りを、我々は集団でドラクエみたいにして歩いていた。人通りは少なかったが、たまに人とすれ違うことがあり、我々の方が通行を妨げているのだから当然、「すいません」と頭を下げると、なんと向こうも同じように返してくれるのだった。高円寺では考えられない光景だった。ねめつけ、舌打ち、ともすればぶん殴られても仕方ないと感じさせるような空気感が、かの街には漂っていた。

 飲み屋やライブハウス、ガールズバー等が軒を連ねる、色と欲の街高円寺。好きな人にはたまらないのだろうが、私はそういったことに一切興味が持てないので、駅前にも滅多に行くことがなかった。お世辞でも何でもなく、本当は三鷹のように静かな街でひっそりと暮らしていたかった。

 そんなことを言うと、何のために高円寺に住んでるの? と不思議がられる。そんなこと言われても私にも分からない。そうなっているのだから仕方ない。それがやはり「運命」というものなのだろう。

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