見出し画像

〔雑記帳〕私の昔話

私は若い頃、中学生が通う小規模な学習塾で英語講師をしていた。教えることは楽しく、生徒たちもみんな良い子で、今振り返っても楽しいことばかりだったと思う。「受動態」と「現在完了形」を教えるのが特に好きで、その単元では妙にテンションが高かったかも知れない。

だが、自分に大した実力が無いことは、自分が一番よく知っていた。例外的に高校生に教えるときは、授業時間の2~3倍はかけて準備したほど。もし、質問が飛んだときに、「知らない・分からない」は言いたくなかったのだ。

自分が生徒だった頃を思い出すと、口には出さなくても、無意識に先生の実力を測っていた気がする。そこで「この人は実力が無い」とみなすと、どうしても軽く見てしまう、失礼なヤツだった。自分がそうだったので、余計に「生徒に学習面で弱点を見せてはいけない」と肝に銘じ、「聞かれるかも知れない質問」に備える必要があったのだ。が、本来、何を聞かれても即答できる実力があれば、そんな張りぼての知識なんて不要だったはず。実力不足を必死で隠し、「英語出来ます感」を出すために、それだけの準備が必要だったのだ。

また、学習塾はタダではない。保護者の方々が働いて稼いだ中から、子供たちの学力向上のために、月謝を払ってくださっている。子供たちの成績を上げること、もしくは学校の授業に遅れずに着いていくことは、期待されて当然だと思っていた。そのためには、学校よりも分かり易い授業、生徒たちとの良い信頼関係は必須で、自分の知識不足をさらけ出す暇などある訳がなかった。

「成績が上がった」「英語が好きになった」「希望校に受かった」という言葉を聞くのが、何よりも嬉しかった。逆に、「成績が伸びない」「厳しすぎて嫌」と言われると、一気に落ち込んでいた。もちろん反省もし、何が悪いのか考えたりもしたが、どう頑張っても合わない生徒はいた。また、個別指導ではなかったこともあり、ある程度の割り切りは必要だと学んだ。

大好きな仕事だったが、結婚、妊娠を機に講師を辞めた。いつかは戻りたいとも思っていたが、子どもが幼い間は夜は一緒にいたいと思い、そうして過ごすうち、すっかり英語から離れてしまった。講師をしていた頃は、生徒が躓いたときに「〇年生のこのlessonで、それ習ったよね?」と記憶を辿らせることも出来たが、私の記憶がすっかり飛んでしまい、教科書もほとんど変わってしまったので、もう絶対に無理だ。記憶力も気力も体力も落ちたし、あの仕事に戻れるとは思っていない。

それでも、当時は本当に楽しかった。唯一の心残りは、小学六年生から教えていた子ども達が中学三年生になるタイミングで結婚・引っ越ししてしまい、高校受験まで見られなかったこと。もうみんな良い大人になっているし、もしかしたら既に子ども達を塾に通わせているかも知れないが、そのことだけは今も後悔している苦い記憶だ。大好きな生徒たちだったから余計に、「申し訳なかった」という気持ちが消えることは、今後もないだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?