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荻窪随想録11・田端神社【中】

曼珠沙華も、やや盛りを過ぎた頃だろうか。

そろそろ咲く季節だな、と思っていてもいっこうに姿が見えなかったりするのに、
ある時突然、大きな花を咲かせていたりするから驚かされる草花だが。

この田端神社の境内にも、いつも表参道の脇に紅い曼珠沙華が咲く。

いつだったか足を止めて見ていたら、
神主さんのお母さんかと思われるぐらいの年齢の人に、
分けてあげましょう、と言われて何本か切り分けてもらったことがあった。
写真を撮ろうとしていただけなのに、と内心思ったけれど、
すまなく思うよりも、むしろ喜んでもらって帰ってきた。

その参道をまっすぐ進んでいくと、
正面の本殿の左脇に、小さなお稲荷さんの祠がある。

お参りをする時には、いつもこの小祠にも詣でているが、
ある日、この祠を据えた石の台の手前に、
折り紙で折った七尾のきつねが、ずらっと八体並べられていたことがあった。
誰が並べたのかわからないが、赤や、黄緑や、水色などさまざまな色の折り紙で作られていて、
うち白い折り紙で折られた、二体の白ぎつねだけが、
横に倒して置いてあったのには、なんだか得体のしれないまじないのようなものを感じたが、
ほかのきつねたちはみんな、天を仰ぐようにふんぞり返っていたから、
七尾であるところもいささか引っかかったものの、どこかほほえましげな光景にも見えた。

その後しばらくしてからまた行ってみたら、
そのきつねたちは石の台の手前よりも高いところである、祠の両脇にほぼ半数ずつ上げてもらってあった。
今度は白ぎつねも、きちんと上を向いて立っていた。

それからまたしばらくして行ってみたら、
おそらく祠に吹き込む雨風のせいだろう、折り紙ぎつねたちはすっかりへたってしまっていて、
特に肌色や白色のきつねの傷み方がすごかったが、それでもきつねたちはやっぱりそこに納まっていた。

誰かが奉納したものとみなして、神社さんのほうでもむげに取り払うつもりはなかったのだろう。

このきつねたちはずいぶんと長い間、そのようにお稲荷さんの祠に納められていた。
年月を経るうちに、薄汚れていっただけではなく、いつの間にか数も減っていったようだったが、
それでもかなりの間、変わらずにそこに立っていた。

やがて、この祠を少し整備した時だったのか、なくなったようだった。
お焚き上げのように、なにかといっしょに天に還されたのだろうか。

これは私が子供の時の昭和の話ではなくて、10年ぐらい前の平成の時代の話。

10年ひと昔というけれど、この神社の境内で起こることは、年を経てもあまり変わらないような気がする。

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