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荻窪随想録12・荻窪団地のクリスマスツリー

今はすっかり建て替えられ、
「シャレール荻窪」などという、しゃれたつもりなのだろう名前のつけられた、
ちょっと敷居の高そうな住宅地が、
かつては単に「荻窪団地」と呼ばれていた頃、
私はそこで育ち、そこで幼少期を過ごした。

生まれてから、小学校を卒業するほぼ一カ月前まで。

私は昭和34年生まれだから、
親はたぶん昭和33年にこの公団住宅が建てられた時、最初の入居者のうちの一組としてここに入ってきて、
そして、団地に引っ越してきた年だか翌年だかに、私が生まれたのだろう。
(入居者の募集を開始したのは、33年の12月だったということなので)。

そのようないくつもの家族の集合体である団地というものに住んでいると、
その名のとおり、その中での集団――今の言葉でいうコミュニティ――が形成され、
当時は団地内での親の近所づき合いもあれば、子どもたちどうしのつき合いもあり、
そして、誰がそういったものを企画してくれたのかはわからないけれど、団地内での催し物もいろいろと豊富にあった。

その中の一つに、夏休みの子どものための映画上映会というものがあった。
団地内の一番大きな公園(給水塔の近くにあったところ)で、
大きなスクリーンをかけ、子ども向けのアニメや映画を上映するのだった。
ある時には手塚アニメの『W3(ワンダー3)』がかかった。
テレビで一度見たものと同じだったから私は不満を口にしていたかもしれないが
せっかくの上映会を脱け出したということはなかったように思う。

それから、催し物というようなものではないけれど、
クリスマスになると決まって、団地内の一番と言っていいぐらい大きな木に、クリスマス飾りが飾りつけられた。
樅の木ではないものの、樅の木に見立てて、たくさんの飾りを下げるのだった。
今でこそあちこちのショッピングモールに、クリスマスとなるとぴかぴかに飾り立てられたクリスマスツリーが出現するが、
その頃、そんなに大きなクリスマスツリーをそう簡単に見ることはできなかった。
子どもにとっては、まるで絵本の世界から抜け出てきたような光景だった。
私はクリスマスの季節になって、クリスマス飾りをつけられたその大きな木を見るのが大好きだった。

それである時、私はクリスマスでもないのにそのまねをして、
自分の住んでいた10号館の近くの大きめな木に、
同じ幼稚園だったか小学校だったかの女の子の友だちと二人で、
色のついた折り紙を小さな花の形に切って、手の届く限りたくさん飾りつけたことがあった。
きれいになってみんなも喜ぶかな、と母親に言ったら、さあ、困るんじゃないかしら、というのがその答えだった。
おそらく近所のことも考え、止めるべきか、好きにさせるべきか困惑していたのだろう。
親にそう言われたからだったかは覚えていないが、
そうやって遊び終わったら、私たちはその日のうちにまた自分たちで紙の花を取りはずした。

クリスマスになるときらびやかなクリスマスツリーに化ける大きな木は、
今のシャレール荻窪の、管理サービス事務所に近いエントランスのそばに生えていた。
昔からの姿を引き継いで緑の多い住宅地なので、
今もそのあたりに植わっている大きな木が、その木をそのまま残したものではないかとにらんでいるのだが、
長くこの地を離れていたことのある私にとって、実のところは定かではない。

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