片思いの克服

学生時代から20代半ばまで、ある人にずっと執着していた。その間に何人かの男性と付き合ったが、心の中の絶対的最高位にいつもその人がいたし、付き合ってもいないのに、いつかはその人と結婚するものだと思いこんでいた。傲慢にもその人に最もふさわしいのは自分だと、割とナチュラルに信じていた。

ここまで長期間に渡り拗らせてしまったのは、彼が個性的でモテるタイプであったのに加え、私にはできないような大胆で自由な生き方をしているように見えたことが私のコンプレックスを刺激して、憧れとか自分を認めてほしい気持ちがごちゃ混ぜになり執着してしまったところもあると思う。

でも、何よりも良くなかったのは、私自身が異性への好意を相手に全然表現できないばかりか、異性を好きという感覚の自覚すら素直にできなかったことだ。

その人とは何度となくお互いの家を行き来し、一緒に二人だけで旅行に出かけたこともあったけど、肉体関係は一度もなかった。

しょっちゅう二人でどちらかの家で料理をして、お酒を飲んで、若者らしい色々な夢を語りあった。朝方まで、どちらかが寝落ちするまで夢中で話をしたこともあったし、私の為だけにギターを弾いてくれたこともあった。当時の一瞬一瞬の切ない思い出は、今でも人生の大事な宝物だと思える。

彼が私を異性として見ていたのかは今でもわからない。周囲の友人たちは私と彼は付き合っているか、もしくは好き合っていると思っていたけど、私は彼を好きだと自分で認めることができず、周囲にはただの男友達だと言っていた。そのくせ、前述したように彼にふさわしいのは自分だけだと思い込んでもいた。

私からすると、彼も私をただの女友達と思っているようにしか見えなかった。告白なんてしたら気持ち悪がられてこの関係は終わりになるんだろうと思っていたから、彼を失うのが怖くてずっとその変な友達関係を続けてしまった。これはなかなかに苦しいことだった。

そんなわけで、自分の気持ちを伝えるタイミングを幾度となく失い続けるうちに、ついには適当に交際を始めた相手を彼に紹介し、彼との関係を自ら断ち切ることで自分に折り合いをつけることにしてしまった。

程なくして彼は職場恋愛で結婚し、私も他の人と付き合ったり仕事に忙しくて、もう自分の中では終わった事になっている気でいた。

でも、他の人と付き合っている時にどうしてもその彼と比べざるを得ないような象徴的な出来事が起こったりして、なかなか完全に吹っ切ることができなかった。彼と連絡を取ったりしたいとは思わなかったけど、彼よりも好きになれる人はもう現れないような気がしていた。

カウンセラーさんにお世話になり始めた初期の頃、私は自分の中に「好きな人といると心が麻痺して自分がどうしたいのかわからなくなるブロック」があることを知り、それに向き合うことになった。

そのブロックができた原因は、幼少期に親が共働きで忙しく、構ってもらえないうちに、自分の寂しさを感じないように自ら感覚を麻痺させてしまったからだという。確かに、物心ついた頃にはすでに、私の心はどこか閉じていて、今でも「寂しさ」という感覚は他の人より薄いような気がしている。

当時を振り返ると、そのセッションが突破口になったように思う。それからしばらくして、ある夢を見た。

そこでは、その彼と私が広い平屋の家をシェアして住んでいる設定だった。でも、既に彼は引っ越すことが決まっていて、大半の荷物を運び出して退去する直前ということになっていた。

私はそれをそんなに寂しいこととは思っていなくて、なんだか晴れやかな気持ちで、二人とも、のどかな学生時代の雰囲気で、私は半分冷やかしで引越しを手伝っている・・・というところで目が覚めた。

きっとそれは、私の頭の片隅で依然として存在感を占めていた彼への執着が、いよいよ浄化されたという合図だったのだと思う。

不思議なことに、その夢を見た当日の朝に職場の同僚が出会いの話を持ってきてくれた。その出会いは結婚には結びつかなかったが、古い執着を取り去れば新しい出会いはこんなにも早くもたらされるのかと静かに感動したものだった。

そして、出産を終えまだ日が浅い時、随分と久しぶりにその彼の夢を見た。

夢の中で私は赤ちゃんを抱いていて、その彼に「私は子供も産まれて、すごく幸せだよ」と報告していた。どちらかというと、私の方から彼に別れを告げているような、「もうこっちは幸せにやっているので関わってこないでください」的なニュアンスを含ませている夢だった。

その夢を見た朝、とつぜん悪露のかたまりが出てギョッとしたのだけど、第二チャクラとか子宮だとかに残っていた彼への思いの残骸を、出産という一大イベントで浄化したのかもしれない。

今の私はもう、彼への恋心はおろか、日常生活で彼を思い出すことも全くない。彼と夜通し語り合った夢の大半は、当時の自分が想定していたスケール感を凌駕する形で実現したし、今や私の人生の方がむしろ彼より自由で大胆なんじゃないかと思うくらいで、彼へのコンプレックスや引け目もいつのまにか消え去ってしまった。

きっと、彼に今会ったならもっと堂々としていられると思うけど、見返してやりたいとも思わないし、特段会いたいとも思わない。

彼を好きだった頃は、自分にはないものを彼が持っていて、それが素敵で、かつ切なく苦しいと思っていたのだけど、片思いのメカニズムってきっとその部分にあるのだと思う。

自分の中のブロックがありすぎて、良い状態の自分からズレすぎていると自尊心が育たず、好きな人に対してどこか卑屈になってしまう。そうすると、関係も深くなっていきにくい。本来の自分でいられたらお互い自然に好意を抱きそうと思われる関係が、そうはなっていない現状を見せつけられる苦しさというか、理想と現状のギャップを認めることができないことから生じる不快感と、それをどうにかして理想に近づけたいという執着的な何かが、片思いの正体なのではと思った。

夫も、私が持っていない良い資質をたくさん持っているけど、今の私はそれで切なくなったり自己否定になることはない。それよりも、私が持っている資質と夫のそれが根底でとても似ているところもあり、そのために一緒にいて居心地が良いと感じたから結婚に至ったのだと思っている。

相手の中に、自分にはないと思うものを投影して追いかけて苦しい状態が片思いで、逆に、自分の様々な部分を深く受け入れて、それが良き資質としてアクティベートされ、それが相手と反映しあってお互いが自分と相手のどちらもを愛している状態が、両思いとか調和の状態なのだと思う。

その彼への思いより何よりも、自信が極端になくて、自分を好きになれなくて、地に足がついてなさすぎて、何も始めてすらいないのに色々なことを切望しまくっていた当時の自分自身を思うと少し切ないし、よく頑張ってきたなと思う。この世に出てくるついでにこんな浄化と気づきをもたらしてくれる赤ちゃんには、本当に感謝しきりなのだ。



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