妊娠の話 その7(出産)

自分にとってすごく大事なことを出産から学んだ気がしている。出産体験は本当に人それぞれだと思うし、私の体験は私個人の役にしか立たないような気もするけど、絶対に忘れられない、忘れたくない経験だったので書き記しておこうと思う。

まず、陣痛は第一チャクラと第七チャクラを行ったり来たりするような、この世とあの世の境界の扉が開いた感じだった。とにかく痛いのだけど、痛みという感覚自体がこの世特有なのかなと思ったし、痛みに対する認識がかなり変化したように思う。

私は色々と過敏気質なので、肉体・精神ともに極力痛みは避けたい派だったし、痛みになりそうな物事はスピ的な手法を用い、可能な限りエネルギー的な段階で芽を摘む方針で生きてきた。今後もおそらくその方針は継続するつもりだけど、その姿勢に潜んでいる恐れや余計な思考が、現実的物事を動かすときに妨げになることもあるということを学んだように思う。それは、究極のグラウンディングとコミットメントの修行であり、これまで試したスピ的リトリートをはるかに超える超絶イニシエーション体験だと思えた。

陣痛の痛みは、そこから逃げようとすればするほど出産という最終目的から遠ざかる。また、痛いからといって、「世界にはもっと大変な苦痛に耐えている人もいるし」とか、「これが終わればかわいい赤ちゃんに会えるし」とか、「今ここ」から時空がずれた地点に意識を飛ばすと、そのぶんだけやはりエネルギーを消耗する。極限状況の中、限られたエネルギーで最短距離で出産まで到達するには、常に痛みをただ痛みとして受け入れるだけでなく、自ら痛みを「取りに行く」くらいじゃないとダメなのだという、ものすごく地球的な、体育会系的な、でも、どうやらこの現世ではこれもある種の真理です、というような、スピ的な自分からすると一番苦手ジャンルとも言える真実を突きつけられた感じだった。

普段の生活ではありえない量の血を流し、普段の性生活であればちょっとでも乱暴にされたら嫌だと思う大事な部位をゴリゴリと刺激され、しまいには裂傷するという、壮絶血まみれ状態から命はこの世に現れるという事実を体験してみて、それでも、というかむしろそこまでの痛みを経験したからこそ、所詮は痛みも現世限りのもので、そんな瞬間もまた過ぎ行くものだし、痛みは痛みに過ぎないというような認識が生まれたのも興味ぶかかった。

臨月になってからは、安産になるようにとヨギティーのラズベリーリーフやフィンドホーンのバーシングというエッセンスを摂取し、出産当日も陣痛が限界になるまではバーシングとアラスカンのプレグナンシーサポートを摂取していた。おそらく、ここまで痛みに向き合い、周囲のサポートも得ながら無事に出産できたのにはこうしたエッセンスの効果もあるのだとは思うが、本当に正念場になってからは完全にスポ根の世界で、ペットボトル用ストローをつけたポカリとアクエリアスを補給しつつ、私の気合いと助産師さんの暖かくも冷静かつ適切な処置のおかげによってなし得た事だったと思う。

ちなみに、昨今のウイルス騒ぎのために夫の立会いは実現せず、産後の面会も一切禁止だった。でも、出産はケモノのメス的な部分が発揮されるものでもあるので、私としては女性の助産師さんとだけ一緒にいて、薄暗い部屋で出産できたのはとても良かった(LDRでフリースタイル出産の産院だった)。助産院の利用など、こだわればもっとこだわれる部分でもあったし、そういう方法に今も興味はありつつも、私としては近代医療の安心感と、昔からの人間の営みが融合しているこのスタイルも十分いいなと思えた。

出産の時の呼吸は、助産師さんから鼻から吸って口から吐けと言われたけど、吐くのも鼻からする方が、つらいけどもっと進む感じがした。呼吸と丹田と骨盤への意識と、センタリングと、クンダリーニの逆?みたいな感覚の維持については、ヨガが役に立ったように思う。

子宮口が全開していざ出産というところまで来たら早くて、いきむというよりはいきまされてるという感じで、赤ちゃんが勝手に出て来るのに体を任せる感じになり、おそらく数回のいきみで産まれた(そこまではかなり長くて半日超えていた)。

出てきた子供はとても元気で、生まれたてなのに、か弱さはなく堂々としていて、私よりもずっと肝が座っていそうな感じだった。それでも対面の瞬間には自然に涙が出た。その感情は嬉しさとも安堵とも違って、なんというか、とにかくすごいものに触れた瞬間とか、癒しが起きた瞬間とかに近いもので、ひたすら感謝の気持ちしかなかった。

まあ一言で言うととにかく痛かったし大変だったという側面もあるのだけど、おそらく私は生来の修行好き気質なのか、次があっても無痛にするかはまだ決められていない。陣痛の只中は無痛にすれば良かったとか、もう帝王切開にしてくれとか色々思考が巡っていたのにもかかわらず、なんだかんだ言っても、この経験をとても愛していることを自覚している。

そして、この経験に帰着するまでに様々な形で関わってくれた多くの人や物事に対して、とにかくありがとうという気持ちでいっぱいだし、この経験をちゃんと糧にして、もっと一日一日や一瞬ごとを大切に、コミットして生きていきたいと思っている。



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