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長崎猫童話 冬 クリスマスの女の子

長崎猫童話 冬 クリスマスの女の子

 クリスマス・イブ。長崎市。
 大学生は、冬休みが長いところがいいなあ、なんて思いながら、舞衣は久しぶりのおばあちゃんの家の前に立ちました。
 その家は、小さなカフェと画廊も兼ねているので、家をとりまく狭い庭にも、窓から見える部屋の中にも、クリスマスの飾りや灯りがきらきらしていました。
 玄関を開ける前に、つい、スマホで写真を撮ってしまいます。あとでSNSにアップしようと思いました。
 舞衣の友人知人、そしてたくさんいるフォロワーさんたちは、綺麗なものや、その写真が好きなひとが多いので、みんな喜んでくれるでしょう。

 光に包まれているように見える家に一歩近づくごとに、懐かしさに胸がどきどきしました。大好きな家。舞衣が子どもの頃も、この家はこんな風に、クリスマスには灯りをもしていました。子どもの頃の自分に帰るような、そんな錯覚が起きました。
 小さい頃、長崎市に住んでいたときは、いつも入り浸っていたおばあちゃんの家。絵本に出てきそうな、木造の古い家。柱時計やちゃぶ台があるような、素敵な家。昔の昭和の戦争のあとに、原爆で焼けた、その焼け跡にひいおじいちゃんたちが手作りで建てた家だって聞いたことがあります。だから、作り付けの便利な棚や、床下の収納庫があったり、欄間や階段の手すりに綺麗な彫刻が入っていたり。そんなところも気に入っていました。
 それから、その家には猫がいるところも好きでした。お母さん猫とその猫の子猫たちが三匹いて、四匹の猫はいつも、舞衣と一緒にいてくれました。お母さん猫は、舞衣のことをお母さんみたいな優しい目で見てくれていましたし、そっと舐めてもくれました。子猫たちは、舞衣も自分のきょうだいの一匹みたいな扱いで、一緒に走ったり、かくれんぼしたり、くっついてお昼寝したりしたものです。
 そこで猫たちといっしょに、畳の部屋で寝転んで、たくさんある本を読んだり、好きなだけお絵描きしたりするのが好きでした。
 おばあちゃんと一緒に暮らしていた、おばあちゃんのお姉さんのろみおばあちゃんが絵描きさんで、紙も絵の具も、いろんな画材もたくさんあったのです。たまにろみおばあちゃんに絵を習ったりするのも、楽しい時間でした。
 ろみおばあちゃんは、若い頃から世界を旅して絵を描いていた、有名なひとでした。年をとって実家に帰ってきて、腰を据えるようになったのが、いま思うと、舞衣が長崎にいた時期と、ちょうど同じ頃でした。
 長崎は、舞衣のお父さんの仕事の関係で一時的に住んでいただけだったので、子ども時代のほんの数年で元住んでいた東京へ帰ったのですが、この家にずっといたくて、号泣したことを思い出します。
「いつでも帰っておいでね」
 おばあちゃんもろみおばあちゃんも、優しくそういってくれたけれど、長崎と東京の間は、そうそう簡単に子どもが往き来できる距離ではなく。数年に一度の夏休みや冬休みに、ほんの数日、お母さんに連れられて帰るのがせいぜいでした。
「でもいまは、自力で帰ってこられるもんね」
 鼻を鳴らし、少しだけ胸を反らせました。
 といっても、東京に住んでいると、なかなかこちらには帰ってこられないのです。バイト代で買うには、飛行機代はなかなか高くて。
「それも観光シーズンには、飛行機もホテル代も、高くなるんだものなあ」
 舞衣は軽く肩をすくめました。長崎市は観光都市だから、仕方ないとは思いつつ。
「でも今年はクリスマスに帰れて良かった」
 もう一枚、そして二枚。
 目に焼き付けるような気持ちで、またスマホで、美しい、家の写真を撮りました。
「うん、綺麗綺麗。絶対、フォロワーさんたち喜ぶわ」
 SNSのフォロワーが多いのも道理で、舞衣は大学で服飾を勉強する大学生。我ながら良い被写体を探し、うまい写真を撮れるという自負があります。ついでにいうなら、一流の型紙も引けるのですが、それはまだまだ勉強中で。でもいつか、世界一のデザイナーになるのが夢でした。それもパリコレとかそういうのを目指すのではなく、世界中にいる、普通の女の子たちが、その服を着るとかわいく幸せになれるような、そんな服をデザインできるひとになれればな、と思っていました。
 思えば、そんな夢を持つようになったのも、子どもの頃この家で過ごした時間があったからこそのような気がするのです。

 さてこの家、おばあちゃんの家といっても、いまはもうおばあちゃんは亡く、ろみおばあちゃんがひとりで住んでいるので、ろみおばあちゃんの家、といってもよさそうなものですけれど、長年の習慣というものはそうそう変えられるものではなく。
「おばあちゃんが生きてるうちは、姉妹ふたりで暮らしていた家なんだよね。おばあちゃんの家」
 おじいちゃんは若い頃に亡くなったので、たまに外国から帰ってくるろみおばあちゃんとの暮らしは、おばあちゃんにはさみしくなくてよかったんだろうな、と舞衣は思います。姉妹ふたりの暮らしは楽しそうで、ひとりっ子の舞衣はちょっと憧れたりもしました。
 姉妹と、それと代々の猫たちとの暮らし。
「物語の中の暮らしみたいだったなあ」
 いまもこの家に猫はいるのです。たまにろみおばあちゃんが、写真をTwitterにあげたりしていますから。ろみおばあちゃんは、絵が描けるだけじゃなく、ネットや機械にも強くて、この家で開いている小さなお絵描き教室の公式アカウントを運営しているのです。長崎での折々の暮らしやニュースが綴られた、普段のTweetだけでなく、猫の写真もかわいい、と、人気のアカウントでした。
 何しろ、ろみおばあちゃんは猫が大好きなのです。いやこの家に暮らす人々はみんなが、というべきなのか。
 おばあちゃんとろみおばあちゃん、ふたりが子どもの頃から、それこそ、昭和の、戦争前の時代から、この家には猫がいたそうで。もっともずっと昔には、猫は外で自由に暮らすことも多かったので、半分野良猫みたいに、好き勝手に暮らしていたとか。
「るい姉ちゃんがいちばん猫好きだったけどね」
 おばあちゃんとろみおばあちゃんには、もうひとりお姉さんがいて、そのひとは、とても優しいお姉さんで、親を亡くした子猫を懐に入れてあたためて、山羊のミルクをあげて寝ないで育てたりしていたそうです。家に出入りする猫たちに、お母さん猫みたいに慕われていたとか。
「でも、るい姉ちゃん、猫たちといっしょに、原爆でねえ」
 子どもの頃に亡くなったのです。
 いちばん懐いていた白い子猫は、火傷もなかったのに、死んでしまったその子のそばで、丸くなったまま、何も飲まず、食べないままに、息絶えたとか。
「あたしもあんたのおばあちゃんも、あのとき、一生ぶん泣いたから、何があってももう泣かないんだ」
 そういったとおり、ろみおばあちゃんもおばあちゃんも、強気でからっとした性格で、めそめそしているのを見たことはない、と、舞衣のお母さんはいつかいっていました。舞衣だってもちろん、そんなふたりを見たことはありません。
 特にろみおばあちゃんは、いつだって元気で、勝ち気で、前向きでした。
「子どものまんまで死んじゃった、るい姉ちゃんの代わりに、やりたいことはみんなしてやろうって思ってさ。るい姉ちゃんは、戦時中の窮屈な暮らししか知らないままで死んじゃったしね」
 長崎を出て、東京の美大に進学し、その後、海外を転々としつつ、そこで認められる絵描きになったのも、死んでしまったお姉さんの分まで冒険するように生きたということなのかな、と、舞衣は思います。
「忙しすぎて、結婚し損ねちゃったけどね」
 でも若い頃、恋愛はたくさんしたとかしないとか。幸せな人生を生きたから、何ひとつ後悔はない、とろみおばあちゃんはいいます。
 いつだったか、そんな内容の言葉を、メールで聞かせてくれたこともありました。
「綺麗なものをいっぱいみたし、綺麗なものを描く仕事に就けたし。いまは子どもたちに絵も教えてるしね。ほんと、良い人生だわ。
 でもねえ、自分の人生は後悔ないけどねえ。
 るい姉ちゃんに、いまの長崎を見せてあげたかったな。長崎駅前のかもめ広場の、音楽が鳴るツリーとか、辺りの電飾とか、華やかなのよねえ。姉ちゃん、クリスマスが大好きだったけど、戦時中はキリスト教っぽいことは肩身が狭くてできなかったし、当時は、灯火管制っていって、夜も明るく電気を灯せなかったからね。今の、明るくって楽しい、長崎とクリスマスを見せてあげたかったなあ」

 そんなことを思い出しながら、リースを灯した玄関をまさに開けようとしたとき――。
 ふと、目の前を白い子猫が横切るのを見たような気がしました。
 残像に目を奪われるように、猫のあとを目で追って、振り返ったとき、そこに、灯りを灯した庭木の間に、白いワンピースを着た女の子がひとり立っているのに気づきました。
 楽しそうに、どこか懐かしそうに、にこにこと笑って舞衣を見ています。肩の上で切りそろえた髪が、とても似合っていました。足下にさっきの白い子猫がいて、舞衣を振り返ると、しっぽをあげて、にゃあと鳴きました。
 何だか知っている子のような気がします。会ったことのある女の子のような。舞衣は記憶力はいい方でした。特にひとの顔を覚えることには自信があります。
 でも、小学生くらいの女の子に、長崎では知り合いはいなかったような――。
 と、首をかしげてから、はたと思い当たりました。きっとろみおばあちゃんのお絵描き教室の生徒さんなのでしょう。子どもたちの写真はいつも、ろみおばあちゃんの年賀状に使ってあるし、画廊にも飾ってあります。前に長崎に帰ったときに、教室のお手伝いもしたので、そのとき話したことがある子かも。
「先生を訪ねてきたの?」
 舞衣が訊ねると、その子は、ちょっと照れくさそうにうなずきました。
 ああやっぱり、と思いながら、舞衣は玄関のチャイムを押して――。
「あれ、いないのかな?」
 しばらく待っても、近づく足音はありません。玄関のドアのそばの、あかりとりの窓から中を覗き込むと、クリスマスツリーが楽しげに灯りを灯しているばかり。
「どこか行っちゃったのかな。部屋の電気はついてるから、遠くじゃないと思うんだけど」
 舞衣はその子に話しかけました。「クリスマスって、意外と忙しかったりするよね」
 ああもしかして、自分が今夜帰ってくるから、その準備で何か――たとえばお刺身とか、クリスマスのご馳走とかケーキとか、近所の商店街に買いにいったのかも、と思いあたったとき、
「知ってる」
 女の子が舞衣を見上げて、はにかんだような笑顔でいいました。
「いつも、クリスマスに会いに来るのに、忙しそうで、気づいてくれないもの」
 それはいけないなあ、と、舞衣は腕組みをしました。ろみおばあちゃんはクリスマスが大好きでしたけれど、子どもが訪ねてきても気づかないくらいじゃあいけません。おとなとして、先生としてどうなんでしょうか。
「先生が帰ってきたら、めっていってあげるね」
 舞衣がいうと、女の子はふふっと笑いました。
「それにしても、早く帰ると良いね」
 舞衣はこの家の鍵を持ってはいませんし、中には入れないと思うと、夜風の寒さが身に染みてきて。――ふと、気づきました。
「あら、半袖着てるの? 寒くない?」
 女の子の白いワンピースは、お姫様のように美しい、ふわふわのデザインでしたけれど、真冬だというのに、半袖だったのです。
「大丈夫。わたし、寒くないの」
 子猫を抱きしめて、女の子は楽しそうに笑います。
 ああこういう子、いるよな、と舞衣は思い当たりました。真冬でも半袖を通したり、超ミニのスカートをはいたり。子どもの頃って、変な意地をはる子もいるものです。
「だめだよ、風邪引いちゃうよ」
 舞衣は、自分の首に巻いていた、白いモヘアのマフラーをはずすと、その子の首にふわりと巻いてあげました。
「わあ、綺麗」
 と、その子は目を丸くしました。モヘアに顔を埋めて、
「あったかい」
 と、笑いました。
「でしょう?」
 そのマフラーは自慢の手編みでした。大学の近所の教会のバザーに出ていた古い舶来のモヘアを編んで、これも古い、ガラスとパールのビーズを編み込んで散らしています。雪が降り積もる景色のようにふんわりと編み上がったお気に入りでした。
 女の子の華奢な肩を覆うと、天使の羽根のように見えました。
「これでちょっとはあったかいかな」
 女の子は笑顔でうなずきました。
「とっても」

 ろみおばあちゃんはなかなか帰ってきません。
 舞衣はまったくもう、と思いました。自分は多少寒くてもいいとしても、女の子がかわいそうです。時間も遅くなってきて、気がつけばもう八時を回っているではありませんか。
「絵の先生、ちょっとまだ帰ってこないみたいだから、あなたはおうちに帰らない?」
 女の子は、舞衣をじっと見上げると、首をゆっくり横に振りました。
 そして、いいました。
「きっと会っても気づいてくれないと思うし、それならここで、お話ししていたい」
「うーん、でも、じっと立っているのも」
 空気はだんだん冷えてきて、足の裏が、凍り付きそうな気がします。
「じゃあ、綺麗なツリーでも見に行こうか」
 ずっと前に一度見に行った、長崎駅前の、音楽に会わせて光を色とりどりに灯すツリー。今年もあそこにあるのでしょうか。
 自分も見に行きたかったし。
 おばあちゃんの家からはちょっと遠いけれど、まあタクシーに乗れば、片道十分もかからないでしょう。タクシーで往復してきて、ろみおばあちゃんが帰宅しているなら良し、もしまだだったら、この子を、たぶん近所だろう家まで送ってあげよう、と決めて、うなずきました。
「ね、ツリーを見に行こうか」
 身をかがめて誘うと、女の子が目を輝かせました。

 白い子猫は女の子の猫だといいます。マフラーでくるんで、タクシーに乗りました。
「猫、いいですか?」
 乗るときに運転手さんに一言いうと、運転手さんは、怪訝そうにうなずきました。
「長崎駅のクリスマスツリーを見に行きたいです。すぐに帰るので、待っていてください」
 そうお願いすると、滑り出すように、タクシーは夜の中へと走り出しました。
 星の海のような東京のまばゆい夜景とは違いますが、素朴で明るい長崎市の夜景も良いもので、舞衣は女の子と一緒にうっとりとして、流れてゆく街の灯りをみつめました。
 そして、長崎駅前の素敵なクリスマスツリー。三十分に一度、音楽に合わせてステンドグラスのような色彩の光が色とりどりに灯る、そのタイミングにちょうど間に合ったようでした。
 ツリーが音楽を奏で、それにあわせてリズミカルに光を放つ様子は、どこか魔法のようで。
 駅前にいた旅行者や、地元のひとたちと一緒に舞衣たちは、それぞれに足を止め、小さく声を上げて、ツリーを見上げました。スマホやカメラで写真を撮ったり、動画を撮ったりする姿がそこここに見えます。
「人間は、こんなに綺麗で素敵なものを作ることが出来るんだなあ」
 舞衣は自分も写真を撮りながら、しみじみと思いました。
 ツリーの写真を撮るとき、女の子の後ろ姿も入ってしまったのですが、白い子猫を抱いて、マフラーとワンピースをなびかせるその様子が、クリスマスだけに、やはり天使そのものに見えて、
「映画みたいだなあ」
 と、舞衣は呟いたのでした。
 それか絵だな、と思いました。ろみおばあちゃんが描いた天使の絵に、こんな女の子とクリスマスの情景の絵があったような気がしました。玄関に飾ってある、古い大きな絵です。
 雪がはらはらと降ってきました。
「ああ、道理で寒いと思った」
 舞衣は身を震わせると、女の子に声をかけ、帰ろう、といいました。
 女の子はうなずくと、走ってきました。

 帰りのタクシーの中で、女の子は窓に顔を押し当てるようにして、夜景を見つめていました。子猫も同じでした。
「ああ、もうついちゃった。ずっとずっと見ていたかったな。綺麗な長崎」
 おばあちゃんの家の前に、タクシーが止まる頃、女の子が小さな声でいいました。
 舞衣も同じ気持ちでした。
「そうだねえ。ずっと見ていたかったよね。タクシーの中から見ると、知っている街の夜景でも、映画みたいに見えるよね」
 女の子はちょっと不思議な感じで笑いました。腕の中の猫も笑ったように見えました。
 舞衣は開いたドアから、外へと降りました。
 女の子が降りやすいように、手を貸してあげようと振り返ったとき、女の子が笑顔でいいました。
「ありがとう。またね」
 そしてたしかに目の前にいたはずの女の子と子猫が、急にいなくなったのです。
 タクシーの後部座席に白いマフラーだけを残して。
「あれ? あれれ?」
 車内にからだを入れて、ぐるりと車の外を見回してみて。舞衣が慌てて女の子を探していると、運転手さんが怪訝そうに訊きました。
「どうしたんですか、お客さん」
「一緒に乗っていた女の子が、どこかに行っちゃって」
 運転手さんはしばし黙り込み、そして、いいました。
「お客さん、最初からずっとひとりでしたよ。ずっと誰かとお話しなさってましたけど」
 
 走り去ってゆくタクシーを見送って、舞衣はふと思い出してスマートフォンの画面を見ました。長崎駅前のツリーの写真は保存されていましたけれど、たしかに映したと思った、あの女の子の後ろ姿はそこにはありませんでした。
「ああ、そうだったのか。だから、半袖でも寒くなかったのか……」
 白いマフラーを自分の首に巻きながら、肩をすくめました。怖いと思わなかったのは、昔から、よく不思議なものを見るたちだったからでした。それにあの子は、ただ懐かしいばかり。不気味な感じなんてなかったし。
 そして、ゆるゆると思い出しました。
「あの子、昔も会ったことあったかも」
 子どもの頃、この街に住んでいたときの、クリスマス。やっぱりおばあちゃんの家の庭で、白いワンピースの、子猫を抱いた女の子に出会ったことがあったかも。あのときは、たまたま、そばに他にも子どもたちがいたので、近所の子どもにこんな子がいたかしら、とかそれくらいしか思わなかったような気がします。半袖なのが不思議だったかも。でもあのときも、そんな子っているよね、と流してしまったような気がします。
 そして、ワンピースが印象に残って、うっとりと見つめていたような気がするのです。
 ただ――
「白いワンピースの女の子が今そこにいたよ」
 と、おばあちゃんとろみおばあちゃんに何の気なしに告げたとき、ふたりともはっとしたような悲しいような顔をしたことを、今更のようにありありと思いだしたのでした。

 おばあちゃんの家に、ろみおばあちゃんは、ちゃんと帰ってきていました。
 やはり、舞衣のためにケーキやご馳走を買いに行ってくれていたようです。
「ちょっと遠くまで足を伸ばしたら、遅くなっちゃって。ごめんね、寒かったでしょう」
 綺麗なお皿にあれこれご馳走を並べるろみおばあちゃんを手伝い、テーブルのまわりをはしゃいで走り回る猫たちを眺めながら、舞衣は白いワンピースの女の子の話をしました。その子と白い子猫と、タクシーに乗って一緒にツリーを見に行ったこと。その子がとても喜んでくれたこと。写真にその子の姿が残らなかったこと。タクシーの運転手さんには、その子たちが見えなかったこと――。
 気がつくと、ろみおばあちゃんは、笑顔のまま、唇を震わせて涙を流していました。
 そして、身をかがめてエプロンで涙を拭くと、「ありがとうねえ」といいました。
「るい姉ちゃんに、いまの綺麗な長崎を見せてくれて」
 泣き笑いしながら、いいました。
「お姉ちゃん、毎年クリスマスに帰ってきてくれてたのなら、大きな声でただいまっていってくれてたら良かったのにね。姉ちゃん、優しくて、遠慮するたちだったから、いつも物陰でこっちを見てたのかなあ。あたしだって、会いたかったのにねえ」
 またね、ってあの子はいったから、きっとまた会えるよ――。
 舞衣がそういうと、ろみおばあちゃんは、静かにうなずきました。
 きっとまた、あの子はクリスマスに帰ってくるのです。この家に。
 けれどそのとき、ろみおばあちゃんがいいました。ゆるく首を横に振りながら。
「ごめんね、舞衣ちゃん。信じられたら良いんだけど――ろみおばあちゃんにはね、やっぱりどうも、そんな素敵な奇跡が起きたって信じられないかも知れない。ごめんね。信じたいんだけど……だけどねえ」

 白いワンピースを着た天使の絵は、玄関のそばに飾ってありました。この家には他にも絵がたくさん飾ってあって、その中の一枚だったので、舞衣は初めてのように、その古く大きな絵をじっくりとみつめました。
 その子は腕の中に白い子猫を抱いていました。クリスマスツリーが飾ってある、幸せそうなクリスマスの情景の中で、悲しそうな顔をして、そこにいました。
 舞衣が会ったあの子だ、と思いました。
 足下にまつわりつく猫を抱き、その絵を見ながら、ろみおばあちゃんがいいました。
「るい姉ちゃん、かわいい女の子だったのに、火傷でひどい姿になってしまってね。ずっとずっと最後の姿が目に焼き付いて。綺麗なお洋服を着せてあげたかった。白いワンピースなんて似合っただろう。平和な時代にクリスマスを楽しませてあげたかった。そう思ってせめて、と絵に描いたんだけど――どうしても、悲しそうな表情になってしまってね」
 そのときでした。ろみおばあちゃんの腕の中の猫が、ひげをぴんと伸ばして、女の子の絵を見つめたのです。
 絵の中の女の子が、微笑んでいました。
 その前の瞬間まで、たしかに泣きそうな、悲しい表情をしていた、絵の中の女の子が。
 その唇が動きました。
『またね』
 と。

 一瞬のことでした。
 そして、その瞬間が過ぎてからも、絵の中の女の子の表情は、前とは違って、ほんのりと幸せそうな、そんな表情に変わっていたのです。
 舞衣は、ろみおばあちゃんを振り返りました。
「ろみおばあちゃん、いま、絵が」
 ろみおばあちゃんは何もいわず、黙ってうなずきました。腕の中の猫をぎゅっと抱きしめて、そして涙をぽろぽろと流しながら、深くうなずいたのです。

 窓の外には白く雪が降りしきりました。
 ホワイトクリスマスになるのかも知れません。
 雪に交じって、白い子猫と女の子の姿が見えたような気がして――楽しげに、それぞれに翼があるように軽やかに夜空を駆けてゆく姿が見えたような気がして――舞衣は微笑み、そばにいた猫たちの頭をなでました。
「ひとも猫も、いい夜を迎えていますように。世界中のみんなが幸せでありますように」
 サンタさんにお願いできるなら、そんなことを願いたいな、と思いました。
「ちょっとスケールが大きすぎて、サンタさんの袋には入らないかな……」
 そんなことを呟きながら、そっとカーテンを閉めました。

(長崎猫童話冬 おしまい)

いつもありがとうございます。いただいたものは、大切に使わせていただきます。一息つくためのお茶や美味しいものや、猫の千花ちゃんが喜ぶものになると思います。