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常識から距離をとろう!【時間革命】

意志が強いこと
気が強いこと
我が強いこと

これらの違いは何だと思いますか?
辞書を引いてみてもいいかもしれないけれど、ちょっと自分自身でこれらのニュアンスの違いを感じてみてください……♪

私自身は何となくですが、「意志の強さ」には知性と愛のエネルギーを感じます。「気の強さ」には、冷たく刺さる感じ、「我の強さ」には、未熟さを感じます。

自分の持ち時間を大切にし、大切な人の時間も大切にすることは、知的かつ、愛のある行為ですよね。ここにはしっかりとした「意志」があるように思います。

時間を奪い奪われる次元ではなく、与え合う関係性のある世界へ。そんなことを昨日の記事では書きました😊↓↓↓

「意志の強さ」が半端ない、ホリエモンこと堀江貴文さんのこちらの本を参考にしています📖👇

こちらから本日ご紹介する目の覚める言葉は……

常識から距離をとり、
バカになれ!

常識や世間体に
時間を溶かすな!


……です!!

「常識」というと、みんなが同じようにできること・しなければならないことです。同調圧力の高い日本人にはおなじみの言葉。常識的に生きるとは、大多数と同じように生きること。つい最近までは、常識的であることは賢い生き方でした。私の感覚では、平成初期くらいまで……ですかね。

しかし

堀江さんは常識から距離をとることを勧めます。そして、それは思い切って「バカになる」ことなんだと。

賢い生き方から逸脱して、バカになってでも、常識的であろうとすることから逃げるべきというのです。

なぜなら、常識というものは世間の基準だから。世間体というものに、自分を合わせていく行為だから。

そう、常識的であるために、世間体の方に自分を合わせることを目的にした生き方をしていると、自分自身が消えてなくなってしまうのです。

たとえバカでもいいから、バカになってでも、自分を捨てるな!自分であれ!という愛あるメッセージなのですね😌

例えばこのバカというのが、「バカ真面目」とか「バカ正直」という、嘲笑に値するものだっていいのですよね。本当に面白いという意味の「アホな感じ」のバカだってもちろんいいし。要は、自分を貫け!ということ。

自分を貫く時。

強がったり、我を張ったりするのではなく、そこに「目的意識」を持つと良い気がします。これが「意志」になるからです。

あなたはどんな意志をもって、常識に盾をつき、バカになって、世の中を楽しみに繰り出しますか?

変わることこそ自然の摂理=無常


こんなことも読書メモに書いていました。常識的であることと、自然であることも、全く別物のエネルギーですよね。無常とは、常に変わらないことなどない、変わり続けること。それこそ自然、という意味ですね。

常識的で、世間体に合わせようとだけすることは、ある意味変わらないことだけを信じて生きること。これは本当は「不自然」であることに、気づくことができますか?

これに気付けたとき、きっと本来のエネルギーが動き出すのでしょうね!

**********

最後にちょっとした小話ですが……

最近うちの小5の娘が席替えで一番前の真ん中の席、つまり教卓の真ん前の席になりました。娘は、「目の前が先生と黒板だと、授業に集中できて、とってもいい、最高😊✨」と言っていました(笑)

私ならなるべく先生から遠い席が良いな、と思うし、ほとんどの人がそう思うんじゃないかな、という勝手な思い込みもあり、小さな常識に当てはめた考えだったな、と反省。

人には人の乳酸菌……ならぬ、人には人の意志があります。もちろん自分にも自分だけの意思があります。互いを尊重しつつ、愛のある目で見守りつつ、常識に縛られない生き方をしていきたいものです。

ということで、本日はこの辺で、また明日♪

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