焦燥感に追われる君へ(その2/2)

以下の記事のつづきのお話になります。

これからするお話は、人にも依る話なのだろうとは思いますが、
誰かが感じている世界の見え方が少しでも変われば、
書いた甲斐があります。

【記事全文を読むのにかかる時間】
2分39秒

【この記事を読むことで、あなたは】
・あぁ、おれもそれあったわ。
・なんで「鍋」なの? ゴミ箱じゃダメなの?
・なんか最後急にポエマーになったなこの人。。。怖い。

【時間がない人のための要約】
焦燥感なんてのは、根拠のない”焦り”。不健全な”焦り”。
”焦り”の虚像かもしれない。
そんなもののために時間をさくな。
まずは今日をどう過ごすかを考えよう。
ほら、シンクに洗い物は溜まってないかい?

”健全な焦り”ではない、”モヤモヤな焦り”

僕の場合、会社に入って数年経った頃から、言いようのない”焦り”を感じるようになった。

俗に言う”焦燥感”と言うやつだ。

特に休みの日などに一人で家にいると、考える時間(悩む時間?)がいくらでも確保できる。となると、好きなだけ焦ることができる。

前の記事に書いた”締め切り効果”の話では、
明確な期限と目標が設定されている場合には、その締め切りによって”焦り”は生まれるものの、その”焦り”は人間の生産性をあげてくれると書いた(サンブルは僕1名)。

そして、”喉元過ぎれば熱さを忘れる”。
あくまでもそれは、一過性の”焦り”。
”健全な焦り”とでも言えば個人的にはしっくりと来る。

対して、僕が日頃常々感じていた(今も時々感じている)焦燥感と言うやつは、達成すべき事項が何なのかわからない、明確な期限もいつなのかわからない。となると当然解決もできないので、慢性的に”焦り”を感じることになる。

この”焦り”は鍋にでも突っ込んで、蓋をしとこう。

この焦りの正体は何なのか?
どうすればこの焦りは消えるのか?

この答えを、ここ数年間自分の中で探してはいるものの、敵はなかなかに手強い。いくら考えても答えは見つからないので、あるときから、そうした”焦り”というものの見方を変えてみるのはどうだろう?と思うようになった。

「この”焦り”は、何の根拠もない。達成すべき目標も設定されていないし、期限も設定されていない。まるで”出来損ないの焦り”。存在しているのかも疑わしい。そして、今までの自分の経験上、この”焦り”にいちいち付き合っていても何一つ良いことがない。だから、この”焦り”は鍋にでも突っ込んで、蓋をしとこう。そうして、今日やることを探して、それをやろう。」

臭いものに蓋をする理論。

これは一般に言う”逃げ”なのかもしれないが、瞑想だとかマインドフルネスのような、無駄なことを考えずに受け流すようなやり方とも言えなくもない。

焦燥感に追われる君へ(自分へ)。

それぞれの地で、戦おう。
全ては水のように受け流せ。
心の中で荒ぶる風を鎮めることは、それは永遠に続く旅のようで。
時々は旅を忘れて腰を落ち着け、風になびく火をただ見つめてみるのも悪くない。

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