伯母の餃子

餃子なんて、
誰がどう作ろうとたいがい美味い。

それくらいハズレに当たったことがない。

寂れた街にある中華屋で食べたフニャフニャの焼き餃子も、中華街の高級店や宇都宮や浜松といったご当地餃子。今や冷凍だってクオリティが高いし、自販機でも買える。

餃子を食べる機会なんて数えきれないほどある。それなのに「不味い」と思った記憶がない。

だけど、よく考えると
あの餃子を超えるものに私は出会っていない。

そう気づいたのは最近のことだ。

私には、会えばいつも手料理を振る舞ってくれた伯母おばがいた。
彼女が作る餃子が、
今まで口にしたどの餃子より美味しい。

その伯母が、
昨年の夏に1人でってしまった。

といっても自死ではないのだが、
猛暑なのにクーラーもつけず寝室で眠ったまま。
解剖の結果、心筋梗塞を起こしていたらしい。
私からしたら同じようなものじゃないかと
直後は悲しむと言うより、
呆れてしまったほどだった。

1人暮らしだったから、
隣人が郵便物が溜まっていることを不審に思い、
通報してくれたから良かったのだが、
警察が入り、
最後は誰もその姿を見ぬまま突然の別れだ。

故人の悪口を言うつもりはないが、
昔から口うるさい人で、
私が社会に出てからは会う機会は減ったが、
定期的に電話をよこしては

「元気でやってるの?」「誰かいい人いないの?」
「女の子なんだから親の面倒はあんたが見なさいよ?」

などと言う
一昔前の人間だった。

もっとも私の母、つまり彼女の妹が
早世してしまったから、
母親がわりのつもりだったのかもしれない。

とは言え
人にはそんな古臭い考えを押し付けていた伯母だが、よくよく考えれば、彼女の人生は自由奔放そのものだった。

若い頃にデザイナーの職に就き、
定年まで世界各国を飛び回っていた。

亡くなる3ヶ月ほど前に
諸用で会った時も

「私はね、北半球で行ってない国はないのよ?」
などと自慢げに言っていた。

各国を巡っていたからか、
職業柄なのか知らないが、
センスが他の大人達とは格段に違った。

まず着ている服や身につけるアクセサリーや小物にいたるまで独特だったが、
ファッションだけではないこだわりが、
生活からも感じ取れた。

伯母が郊外に購入したマンションの部屋は、
ドラマに出てくるような部屋だったから、
面倒な人だとは思いつつも、
泊まりに行くのが楽しみだった。

大きな観葉植物や
センス良く生けられた花。
どっさり果物が入った大きな籠。

高級そうなティーカップやコーヒーカップが
リビングの棚に美しく陳列され、
壁には趣味で描いた油絵が飾ってあった。

2部屋分を繋げた広さのベランダからは、
大山や箱根連山が望めた。

朝食には、
わざわざ新宿の小田急で買ってきたという
クロワッサンやハム、オレンジジュースが出された。

これはスーパーで売っているものとは違うと
子供ながらにわかり、
ホテルの朝食気分でワクワクした。

伯母は料理も好きで
特に中華料理が得意だったと思う。

会うたびに自慢の餃子を作り、
焼きたてを出してくれた。

絶妙な焼き加減と溢れる肉汁。
皮は薄めでパリパリだった。
今風のモチモチではない。

タレも自家製で、
擦りおろした玉ねぎと人参が入ったちょっと甘いタレだった。

「作り方教えてよ」と頼むと
いつも決まって
「いいわよ。今度教えてあげる」と言うくせに、
結局一度も教えてくれなかった。

伯母の母親、つまり私の祖母も同じような
少し意地悪な性格だったが、
今思うと2人とも苦労人だった。

祖父母は医者と看護師として、
戦時中、満州に行っていた。
伯母や母は向こうで生まれたらしい。

私の母は幼すぎて
向こうでの記憶がなかったらしいが、
伯母はよく覚えていると言っていた。

「夜になるとね、狼の声が聞こえてきて怖かったのよ」

などと言っていたが、
本当に狼だったかは定かではない。
だが常に危機感を持って暮らしていたに違いない。

満州での話は
それ以外、聞いたことがない。

1つわかっていることは、
祖母が向こうで覚えてきた餃子を
彼女が受け継いだのだ。

そして世界を旅しているうちに舌が肥え、
美食を極めたのか、
いつの間にか祖母が作る本場の餃子を超えた
独自の餃子を生み出したに違いない。

彼女の死後、
叔父夫婦(伯母の弟夫婦)に会い、
祖母から受け継いだという
餃子の作り方を習ったのだが、
やはり伯母のそれとは違った。

どうしてくれるんだ
もう二度と食べられないじゃないか

と、私は腹を立てている。

伯母は恐らく
最後の方は軽い認知症だった。

最後に会った時、
あのマンションの美しい部屋が
見るも無惨に散らかっていたのと、
同じ話を何度も繰り返していたからだ。

だけどその時、
一緒に餃子を包んだのだが、
そのスピードと見事な手捌きだけは
変わっていなかった。

「相変わらず、早くて綺麗だね」

「そう?今度教えてあげる」

#餃子がすき  

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