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てのひらに咲く花

「オンライン飲み会?パソコンのモニター見ながら酒飲むの?なにそれ気持ち悪い」と顔を歪めていた相方氏。この一年半の間に、自身も自宅で会社のリモート会議に参加するのが当たり前になり、オンラインで人と話すことは別に気持ち悪くないのだと気づいたらしい。
「今夜9時から私zoomで飲み会だからね」と言ったら、「りょ」と返事するまでになった。ブラボー!

実際には飲み会ではなく、verdeさんが主催している「大人相談会」に参加するのだったが、「noteでお友だちになった東京在住の同年代の女性がやってる『大人相談会』という集まりに出ることになった」と言おうものなら、「なにそれ宗教?気持ち悪い」と反応するのは目に見えている。

相方よ、おぬしが自分の未知の分野にはまず身構え、集まりと聞けば新興宗教と即断する思考の持ち主であることを、こちらはとうに見抜いておるのだよ。「飲み会」なら自分でもやったことあるから「ああ、あれね。了解」とすんなり受け入れてくれることも無論計算済みだ。私の作戦勝ちなのだ。
相方よ、過去によほど手痛い目にあったのか?よかったら聞かせてほしい。それをツマミに酌み交わそう。


verdeさん主催の「大人相談会」。私が初参加を果たしたのはこちらの回。当日メンバーは全部で6人。

毎回テーマが決まっているらしく、ゆうべは各人、「我ながらよくやっていると思うところを自慢し、賞賛の拍手を浴びる」というものだった。なにそれ気持ちいい。

一人ずつ順番に「我ながらすごい」ものを披露した。それぞれが本当に、聞いていて心から尊敬できる事柄ばかりなので、私も遠慮なく「すごい!」と言って何度も拍手した。みんなすごい。みんながんばってる。私は漫画への取り組みを話した。5人のメンバーが全員静かに集中して聞いてくれていることに途中で気づき、急に緊張して変な汗をかいたが、話し終えるとみなさんがそれぞれ言葉を尽くして褒めてくださったので、全身にビールを浴びるぐらいの心地よさを味わった。

飲んでいたのはこれだ。

キリンの中でいちばん好き


今朝になってビールの酔いも覚め、ふと思ったことがある。「自分はがんばっている」と考える行為について。

例えば「幸せになりたい」と考える裏には、「いま幸せではない自分がいる」と自ら認めている事実がある。幸せになる方法は簡単で、いまの自分を幸せだと感じられるよう、脳に毎日言い聞かせればいい。他人からいくら不幸に見えても、自分が幸せだと心から思うことができれば、その人は幸せだ。

「自分はがんばっている」の裏には「がんばっていない自分」がいる。がんばっていない自分は誰からも褒められないし、自分でも怠けているのは嫌なので、できるだけがんばろうとする。がんばっているとみんなが応援してくれる。褒めてくれる。もっとがんばろうとする。

このとき「がんばっていない自分」のことはすっかり置き去りになっている。がんばることに疲れたとき、がんばっていない自分がひょいと顔を出し、「ちょっと休もうよ」と申し訳なさそうに言う。嫌なやつに会った。せっかくがんばっているのに。水を差すなよ。あっち行ってと邪険にする。がんばっていない自分は慌てて隠れる。

がんばっている自分がさらにがんばる。一生懸命がんばって、がんばっているのが普通になって、まわりもそれに慣れてきて、もうあまり褒められなくなる。褒められない自分はがんばっていないのと同じだ。さらに加速をつけてがんばる。

この先にゴールはない。がんばって、がんばり続けて、心と体が音を上げるまでがんばっても、自分の目指すゴールはない。なぜか。がんばっていない自分のことを忘れているからだ。幸せを求めても幸せにはなれないように、がんばっている自分がどこまでがむしゃらにがんばったところで、自分の求める満足は決して得られない。

十分な満足を得るにはどうすればいいのか。

がんばらない自分にも価値があると思えること。一日何もしなかった自分にも、生きている価値があると自然に思えたら。もうがんばらなくていい。走り続けなくていい。休んでいる自分もかわいい。ソファに寝転がっているだけの自分も愛おしい。そう思えたら。

どんな自分も受け入れることができたら、散歩ペースでがんばることができる。息抜きがうまくなって、がんばることも楽しくなる。向かい風を気持ちいいと感じたり、道ゆく人と交わす言葉に大きなヒントを得たりする。よく会う人のがんばりを心から応援する余裕も生まれる。

求めているものは、もう手の中に持っている。

慈しんでいれば花は開く。それが自分の思っていたより小さな花だったとしても、咲けば嬉しい。よく咲いたねと声をかけ、笑顔のあなたに道ゆく人が自然と集まってくるだろう。みんながお祝いの言葉をかけてくれる。

咲いた花は努力の結晶。そのときあなたの目に浮かぶ涙こそ、あなたが自分を受け入れ認めた証だろう。

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。