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猫、大脱走 その2


#我が家のペット自慢

我が家に親子の猫がやってきて3週間。
母猫シェルの避妊手術が済み、傷口チェックに行った動物病院の帰り道で、私はまだエリザベスカラーをしているシェルを逃がしてしまった。

その後、ご近所を巻き込む形で捜索活動を行い、シェルを見つけて夜中まで粘ったものの、すんでのところで取り逃がしてしまった。


詳しくはこちら↓

さて、その続きである。


翌日は学校行事だった。私たち親も学校に行き、子供たちの発表を見た。そして、自分の子供の番が終わると私は学校近くの道路に立ち、チラシを配り始めた。

 ・目撃情報が大事!チラシも効果的!

『猫 脱走』で検索して出てきたネット情報。それに従って、私は夜遅くまでかかってチラシを作成し、朝早くコンビニでコピーをしていた。それを親御さんたちに配ったのだった。

チラシを配る間、私は多くの優しさに触れた。

「言ってくれたら昨日一緒に探したのに。」

「何かできることない?何でもやるから、言って。」

たくさんの人にたくさんの温かい言葉をもらった。そして猫を飼っている人が、飼っていた人が、こんなにもいるということを初めて知った。


チラシを配り終わって家に帰ってから、私は新たに500枚のチラシをネットで注文した。コンビニでコピーできる枚数には限りがあるし、プロは仕上がりも綺麗だ。チラシの到着日は2日後だった。


とにかく、できることは全てやらなければと思った。
私の中の理由は三つ。
一つ目は、カラーをつけたまま放っておくことはあまりにも無責任すぎること。
二つ目は、まだおっぱいを飲んで甘えたいだけ甘えていた子猫の黒豆から母猫を離すことはできないと思ったこと。
三つ目は、せっかく我が家に猫を連れてくるためにアレンジしてくださったご近所ママさんとその実家のご両親に申し訳がたたないと思ったこと。

でも。

裏を返せば、この3つがなかったら、、、私はシェルを探さずにそのままにしていたかもしれなかった。もちろんシェルが帰って来たなら受け入れる。ご飯が欲しければご飯をあげる。寒さで震えていたら家に入れる。
だけど、外がいいと望むなら、、、こんなに一生懸命捕まえようとはしなかったかもしれない。


でも、3つがなかったら、、、なんてことはもちろんなかった。
だから、行動した。
たくさんの人への告知、チラシの作成、配布。
それからネット情報に従って、家の周りに匂いのついた猫砂を撒くこともした。

そして次に私が取った行動は、神社に行くことだった。

”え、神社!?”

と驚いた方もいるかもしれない。急にどうしたの、え?神社?って。

深い理由はない。ただ、昔から神社が好きだった。私の実家の近くには今や世界遺産となった神社があって、小さい頃、よく祖父は私を連れていってくれた。その頃はまだ世界遺産にも登録されていなかったし、おおらかな時代だったのだと思う。公園の砂場に持っていくようなスコップだとかバケツだとか、いわゆる”お砂場セット”を持って行き、白い玉砂利を掘っては遊んでいた。もちろん神職さんたちもわかっていただろうけど、誰も咎める人はいなかった。

そんな私が大人になって、神社について書かれた本に出会ってから、神社好きはますます加速していった。そして、初詣や特別な時以外にも、私は時々神社に行っては喜んでいた。

”そうだ、神社に行こう。” 
こう書くと何かのキャッチコピーみたいだけど。
でも私はその時、自然とそう考えていた。
そして行くなら、昼下がりの今だと思った。猫は夜行性で夜の方が探しやすいとも聞いたから。

困った時の神頼み。
そんな簡単な気持ちではなかったけど、一緒に夜中まで探してくれ、チラシまで配ってくれたママさんに

「チラシは注文しました。家の周りにも猫砂を撒きました。捜索はまたもちろんするけれど、どうしても神社に行きたくて。何やってるんだと思うかもしれないけど、ごめんね。行ってきます。」

なんて断りを入れて、私は神社に向かって車を走らせた。


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向かった先はこれまた世界遺産になっている、全国的にも有名な神社。土曜日の昼下がりだったから第一駐車場が空いているか気が気ではなかったけれど、スムーズに入れた上に境内に近い位置に停車していた車が目の前で出庫してくれたおかげで、ほぼ最短の時間で神社の鳥居をくぐることができた。

そのまま本殿前までダッシュ。お賽銭を入れ、神社の神様に心の中で事情を説明する。それからくるっと踵を返し、本殿前の階段を駆け降りた途端、涙が溢れてきたのだった。


 こんな風に無理矢理捕まえることが正しいのかわからない、、、

 猫にとっての幸せがわからない、、、

 あの子達が幸せであってほしい、、

 私はどうしたらいいんですか、、、?


いつの間にか、私は心の中で神様に話しかけていた。その時、神様が私の頭を撫でながら、”うんうん、わかるよ”って言ってくれたように感じた。
もちろんこれは全部感覚的なもの。でもそれで、少し救われた気持ちになったのも事実だった。

それから私は涙をゴシゴシと手で拭い、また駐車場へと走り出した。すぐに戻ってまたできることをしなきゃいけない。そうして私は、また車を走らせて来た道を戻ったのだった。


帰宅後、私が出る前に連絡をしたあのママさんからメールが届いていたのに気付いた。猫の捜索活動や保護活動をしてらっしゃる団体の情報だった。
昨夜シェルの体に触れる所までいったのに逃がしてしまった私にとって、団体の情報はとても心強く感じ、私はすぐに電話を入れた。

「昼間は別件でちょっといけないんですけど、夜の8時ならお伺いすることができます!」

電話の向こうで、団体の方は元気な声でそう仰った。それを聞いて私は驚いた。まさか当日来てくれるとは!
そして夜8時きっかりに、本当にその団体の方は隣の県から捕獲器を積んだ車を飛ばしてやってきて下さった。

その方はショートカットの似合う、まだとてもお若い方。こんなに若いのに夜昼関係なく保護活動をされていることに頭が下がった。

その後その方と一緒にシェルの目撃のあった場所や最後に見た場所などを歩いて確認しながら、捕獲器を置くのにベストな場所を探した。この時には3人のご近所ママさんが応援に駆けつけてくださった。
その他にも懐中電灯を手に、『私も猫を飼っているから。とても他人事とは思えない。』と夜寒い中探してくださった方々が何人もいた。

本当に私は足をどちらに向けても寝ることができなくなってしまった。そうだ、もう立って寝るしかない。


最終的に捕獲器の場所は、昨夜シェルがいた付近がいいだろうと、捜索の手伝いをしてくださったママさんのお宅に置かせてもらうことになった。

「捕獲器に入ったことのない子だったら捕まえられる可能性は高いですよ。」

そんな言葉を残して、団体の方はまた隣の県へと帰っていった。

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その夜は捕獲器に希望を託し、そこで解散となったが、私はまだやることが残っていた。猫を長年飼っているベテラン飼い主さんにお湯でふやかした餌を撒くと良い、という情報を教えてもらったからだった。

家に帰ると、私はお湯を沸かしその中にたくさん餌を入れた。餌は実は昨夜も撒いていたのだが、匂いの面でご近所さんに迷惑がかかるかもしれないと思い、控えめにしか撒いていなかった。
が、その夜はご近所さんに心の中で謝りながらたっぷりと家の周囲にふやかした餌を撒いた。猫砂もまた撒いた。

そして最後に、玄関スロープからその脇に位置するベランダの窓まで誘導するように、チュールで道を描いた。そしてベランダのドアをほんの少し開けた状態で、シャッターを猫がギリギリ通れるくらいの隙間だけ開け、降ろしておいた。こうしておけば万が一シェルが匂いにつられて帰ってきた時に家の中に入って来られる。

そして最後の仕上げに、ベランダのすぐ内側とリビングの真ん中に猫の餌を置いておいた。ただそんな状態だと、子猫の黒豆までが外に出る危険性があったため、その日黒豆は娘の部屋に入れておいた。


一応そんなことはしてみたものの、私は捕獲器に期待していた。どうか明日の朝までにシェルがその中に入っていますように。そう祈りながら、私はようやく眠りについたのだった。


そして翌朝。

私は黒豆の鳴き声で目を覚ました。携帯を見るとまだ朝の6時。連日の捜索活動で子供達は疲れている。今日は日曜日だ、もう少し寝かしてやりたい。

”黒豆、そんなに鳴くと子供達が起きてしまうよ。”

そう思いながら、私は黒豆をなだめるため自室から出た。


ーーと。
そこにシェルがいた。


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「、、シェル、、!!」

大声をあげたかったが、絶対に驚かせてはいけないと、私はなんとか声を抑えて娘の部屋のドアを開けた。黒豆はドアのすぐ向こう側にいて、シェルは黒豆の方へと近寄っていった。私は素早くシェルを娘の部屋に押し込むと、ドアを閉めて大きな声で言った。

「シェルが帰ってきた!いい?今絶対にドアを開けたらダメ!下のドア閉めてくるから!」

そいういうと、私はバタバタと階段をかけ降り、ドアを閉め鍵をかけた。それからもう一度、しっかり鍵がかかっているかを確認し、再び2階へと駆け上がった。


それからはもう、お祭り騒ぎだった。

なんとまあ、こんな結末になるなんて!!
捕獲器の中ではなく、2階の廊下でシェルにまた会えるなんて、誰が想像しただろう?

シェルはとても疲れた様子で、たくさんご飯を食べてから、すぐに眠りに落ちた。

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それから長い間、私は携帯と睨めっこだった。たくさんの人にシェルが見つかったことの報告とお礼のメールを送り続けた。

一番最初に連絡したのは、あのとてもとても親身になって手伝って下さったママさん。ママさんは、捕獲機は空っぽだったのに私から見つかったと喜びのメールがあったので、最初は何のことか分からず、何度もメールを読み返してようやく理解したと後から教えてくれた。

そして、車を飛ばして捕獲器を持って来て下さった団体の方にもメールで報告をした。その団体の方は驚いて、”こんな展開初めてです。ブログに書いてもいいですか”と仰った。もちろん私は了承した。


実はその日は地域の秋祭りが行われる日で、私は一日中お手伝いのボランティアをすることになっていた。見つかったと聞いてご近所のお子さんが作ってくれた『猫見つかりました。ありがとう。』の張り紙を会場に貼らせてもらった。会場では、本当にたくさんの人が声をかけて下さった。

「えっ、見つかったの?」

「よかった!!」

「自分で帰って来たなんて!」

人の温かさとありがたさを実感し続けた日だった。


そして夕方家に帰ると、子供から「何か宅配が来た。」と報告を受けた。
玄関の隅に置かれた小さい段ボール。中には”猫、探してます”のチラシが500枚。

綺麗に重ねられた500枚の紙の束を見ながら、私は小さくため息を吐いた。これを使わずに済んで、本当によかった。


その夜布団に入って、私は考えた。シェルが戻って来たわけを。

この時期にしては寒い日が続いていたから、それがよかったのかもしれなかった。寒いと暖かい家に入りたいと思うだろうから。

それに、シェルはコオロギを1匹連れて帰って来ていた。それでお腹を満たそうとしたんだろうか。ともかく空腹だったシェルは餌につられて家の中に入って来たのは間違いない。お店が少ない地域というのもよかったのだろう。

それにもう一つ、黒豆の存在だ。通常猫は生まれて数ヶ月で親離れすると聞いた。でも、シェルが餌を食べてから家の外にすぐ出ないで2階に上がって来たのは、黒豆がいたからに違いなかった。それに黒豆の鳴き声がなければ、私はシェルの存在に気づくことはなかっただろう。

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そう考えると、多くのことが重なって重なってシェルは帰って来たのだと思った。あれから1年以上経ったけど、今もシェルは我が家で暮らしている。シェルよりも大きくなった黒豆とその後やってきた小さいレモンと一緒に。


それでもまだ私は、猫たちがこれで幸せか明確な答えは出せないでいる。

”猫を放し飼いにできるような田舎へ移住できないものかしら?”

なんて考えたり、たくさんの人に猫の幸せについて質問したりした。

そしてたくさんの人から慰めの言葉をもらった。


だけど、今の環境で最大限愛を持って接すること。
結局はそれが大事なのかもしれない。

、、、どう、君たち。それであってるかな?


いつか教えてくれるとママは嬉しいよ。


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