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リスナーはラジオ番組で何人の人格に出会っているのか

※昔、どこの学会に提出するわけでもないのですが、ちょっとラジオと闘病に関して、論文を書いたことがあって、それを残しておきたいと思います。
 
 
要旨
 
5年前から、筆者は病気療養をしていて孤独な状態が続き、体だけでなく、心の能力もダメージを受け、人間関係を維持するコミュニケーション能力、認知能力も低下して数年が経った。
そんな時に、SNSではある一定の線から改善が進まなかったのだが、リハビリのためにラジオを聞いて投稿しはじめたら、コミュニケーション能力の改善が進み始めた。
筆者は声の形で多様な人格に触れている事がコミュニケーション能力を上げるのではないかと、仮説を立てた。
まずは、ラジオ番組を聞いるとき、いったい何人の人のメッセージを声で聞いている事になるのか、調査法を検討。
実際に放送に出演している人数と、読まれている投稿数をカウントして分析、考察した。
合わせて文字によるSNSでのやり取りと、声によるラジオでのやり取りは、どう違うのかについても、考察した。
 
■1.きっかけ・背景
 
◆1―1.病気と孤独
 
私事で恐縮だが、私は数年間、難しい病気の療養をしていて、ダメージを受けた事は多岐にわたる。大きかったのは、感覚過敏、筋肉や関節の激痛とこわばり、異常な疲労、会話や思考能力、感情のコントロール力の低下、注意障害などだった。
このような時、基本は痛み止めと睡眠薬を使って、夜は眠り、軽い運動を繰り返すという治療を受けるのだが、社会復帰のためには、問題が山積みであった。
強い鎮痛剤で痛みを和らげようとすれば、副作用で動けなくなる、あるいは思考能力の低下や認知障害が起きる。音に対して過敏になっているので、会話などが厳しい。その他、長く立っていられない、座っていられないほどの疲労など、いくつもの困難があった。
その中でも深刻だったのは、孤独だった。医師以外の安定した人間関係が無くなってしまったのだ。
「実感の無い言葉は人の心を打たない」というが、何年も病気を患って、できる作業が減った上に、行動範囲が狭くなると、とにかく実感を持って話せる話題が無くなってくる。実感がある話題は、病気や苦痛の話ばかりになった。
 電話で定期的にやり取りしてくれる友人はいたが、本当の気持ちを話すと、過剰に心配をかけてしまう。また、シリアス過ぎる話題に困っているのが見て取れた。それで、あまり実際に自分の困っている気持ちは話さないで、天候の話など無難な話をするようになった。
 個人的な話をキャッチボールできる相手がいなくなってしまっていた。
 
◆1-2.孤独と健康
 
孤独が健康を損なうリスクを増やすという事について、いろいろな事が言われている。
例えば、孤独は(SNSの人間関係は含めていない)1日15本タバコを吸うのと同じくらい健康に悪いという(※)。
それをもとに、孤独なお年寄りに対して「健康維持のために、毎日、違う人3人と会話してください」と目安を指導する健康アドバイザーもいる。
 
※UCLAカルフォルニア大学ロサンゼルス校が案出した孤独基準をもとに、保険会社Cignoが2018年5月にアメリカにおいて約2万人に行った調査結果の分析による。
 
◆1-3.病気からの回復に必要な人間関係
 
 私の場合は、事情を理解して電話で定期的に雑談のリハビリにつきあってくれる友人がいた。しかし、それだけでは、社会復帰にまでは、繋げられないでいた。
新しい人間関係を作れるくらいのコミュニケーション能力が無ければ、外の世界で居場所を作る事は難しい。
 
一人でできる肉体的なリハビリはなんとかできるようにはなった。しかし、それだけではコミュニケーションや人間関係のリハビリはできない。
生きている事は、工場の流れ作業のような反復作業だけではない。
相手の人格や状況に応じて、タイミングを測った言葉を返し、また相手のフィードバックで、人間関係を作り深めていく能力が、回復できてこなければ社会復帰は難しい。
 
一般的に意義深い社会的交流が人々の気分を向上させ、健康の維持や回復に役立つのではないかという事は、ほとんどの人が感じている事である。
 
そして自分の孤独な状態を考えたとき、この状況は体の健康にも非常に良くないと思われた。相手を把握し、反応を返す身体的な能力の低下だけではなく、話題の持ち合わせや、ものの感じ方などの、心の多様性もどんどん失われて貧困になっていくのを感じた。
一番回復の助けになるのは、自分の状態に合わせて、柔軟に交流してくれる人間関係をリアルで得る事だが、現実的にそれを新しく得るのは難しくその代わりになるものが必要だった。
 
◆1-4.本とネット
 
 体力や思考能力が落ちていても、少しずつなら文章を読む事もできたので、本やネットの文章を読む事は重要な情報源であり、リハビリであった。
 しかし、本や文章はこちらの働きかけで、反応が変わったりするわけではない。生きている者との関係性とは違う。
SNS上の匿名の人間関係も支えにはなったが、情報の内容が断片的であり、病気に関する事しか、自分の話題や感覚の持ち合わせが無くなっていて、アクセスできる人間関係が非常に限定されたものになってしまった。
医療関係者や病気の経験者とのSNSコミュニティで、病気の知識や辛さに関するシェアはできても、それ以外の分野において人間関係を広げていく能力にまでは繋げられないまま約3年経過した。
 
◆1-5.ラジオと参加人格メッセージ(PPMV)
 
そんな時、あるラジオ番組を聞いていて、投稿しているうちに、自分の心に良い影響が起きているのに気がついた。体の回復も起きて、病気以外の話題や感じている事を話して、そのチャンネルで人間関係を作れるようになってきた。
それは、何だろうと考えてみた。もちろん、薬物療法や運動療法などが効いてきたなど、複合的な要因であろうが、明らかに人間関係の技術に向上が見られた。
 
ラジオで提供される話題で、自分の話せる事柄の数が増えたということもあるのだが、どうもそれだけではない気がした。
そのうち、番組の中に様々な背景の「人格(本人がそこにいるわけではなくて、ラジオの声だけから想像する人としてのまとまりなので、こう表現している)」と出会う体験をしていて、その膨大な「人格」との出会いが、閉じていた感覚のチャンネルを増やし、自分の心を広げてくれているのではないかと感じた。
 
パーソナリティ、アンカー、ゲスト、コーナー担当者の「人格」が番組に参加している。
一つの番組に参加意識をもった人たち(作品の朗読引用、あるいは外部で演じられた登場人物は、番組への参加意識は持っていないので除外する)が、テーマに沿って、直接声で会話する。だがそれだけではない。
番組によっては、リスナーに投稿が許されている場合がある。そして、採用されれば、そのメッセージをパーソナリティやアンカーが雰囲気を込めて読み上げ、それも含めた会話も持たれる。これはリスナーが聞いている自分も参加意識を持てるという事に繋がる。
 
SNSもラジオ同様、時間と物理的距離を越える大きな強みがあるが、相手の人としてのまとまり(人格)を感じにくく、時間的なけじめのないコミュニケーションになる場合がある。
ラジオの場合は、番組としての決まったテーマや時間の枠組みがある事で、自由度は減るが、その分、内容としてのまとまりがあり、声によるメッセージのやり取りで人格をイメージしてリスナーは聴くことができて、参加意識を持てる。
 
そんな中で、番組の出演者同士やリスナー同士の人格と人格が触れ合うような複雑なやり取りがされていると思われる。
 
SNSやラジオ番組、対面でのパーティなど、その場のコミュニティに参加意識のある人格の事をここでは、”Participating Personality”略してPPと呼ぶ事にする。
声によって、その場に参加する意志のある人のメッセージ
を「声による参加人格メッセージ」“Participating Personality Message by Voice”
PPMVと呼ぶ事にする。
(これを書いていると、なんだか、ピコ太郎氏の音楽が頭で鳴っている)
これは、パーソナリティや、アンカーなど、番組出演者の直接の声のメッセージと、採用され、パーソナリティなどに読み上げられたメッセージの投稿者も含まれる。
ここでは番組出演者の人格の事は、本人PPと呼ぶ事にし、読み上げられる投稿から浮かぶ人格の事を、投稿PPと呼ぶ事にする。
 
◆1-6.SNSの参加人格メッセージ(PPMT)と心理的投影
 
SNS上の人間関係は、電話やラジオ番組上のメッセージのやり取りとは媒体が違う。基本は「文字による参加人格メッセージ」“Participating Personality Message by Typing characters”である。これをPPMTと呼ぶ事にする。
 
SNS上のコミュニティは、タイピング文字のメッセージが媒体であり、そのメッセージは平板化・断片化されがちになる。そのような媒体で、匿名や対面で会ったことの無い人とシリアスな心情のやり取りをした時、心理的な投影が起こると思われる。
それは、相手のわからない部分に対して、自分の見たいもの、感じたいものを想像する程度が、アンバランスになりやすい状態である。
感情が不安定な時に文字媒体のコミュニケーションをするとき、それは、より大きくなる。
誰かに、感情的になっているときに、手紙やメールを送ったあと、大きな後悔をした経験を読者はお持ちではないだろうか。
ほかにも、不安感が強い人が、SNSで交流した時に、相手から返事が来ないのは、自分が悪い事をしたのだろうか、あるいは相手が悪意を持っているのだろうかと、妄想が大きくなるような事がある。
慢性的な問題を抱えている人ほどSNSは自分と相手との心の境界線が、あいまいになりやすい。心の距離が取りやすそうに見えて、案外難しい面がある。匿名で文字によるコミュニケーションだから安心というわけではなく、かえってトラブルが多くなる事もある。
つまり、SNSはタイピング文字といった非常に情報量の制約がありタイムラグが生じやすい媒体である。それをメインにして、複雑な感情を乗せて交流をするのは、人間関係の中で起こる、意味の受け取りや時間的な行き違いの程度が、対面でやり取りした時よりも、はるかに大きくなってしまう危険を孕んでいると思われる。
 
◆1-7.PPMVとPPMTの比較
 
それに対してPPMVは、声の調子やスピード、やり取りの間(ま)などで、PPMTより情報量が多く、投影による行き違いの入る余地が減る。また、声のやり取りであるので、対面での人間関係に近いコミュニケーションモデルになるのではないか。
それから、ラジオ番組の異質な所は、テレビや雑誌のメディアよりも、投稿を紹介する機会を多く設けている事である。つまり、採用されるかどうかはともかく、安全に自分の感じている事を伝える相手や時間や場所、つまり参加意識を持てる時間や場所になりうる。個人的には、番組自体が持っている雰囲気もまた、人格のようなまとまりのある何かがあると、私は思っている。
 
放送中の会話の流れに合う場合は投稿が、取り上げてもらえる可能性すらある。これは感じた事をノートに書き込む、どうしようもない思いを海に向かって叫ぶなどの行為とは違う側面である。
複合的な要因であると考えられるが、自分の人間関係を作る能力の回復のため、ラジオ番組を聞き投稿する事は、とても役に立ったように思われた。
とかくバラバラで無責任になりがちなSNS上のメッセージに比べて、声を通じた人格的なまとまりを感じられる交流であった。
ただ、このようなラジオ番組で、リスナーが触れる事のできる人格の量や質を検証したいのだが、そのための調査法について、あまり方法が無いように思った。
これらを測定ができれば、メディア作品や番組ごとに調査比較をして、また合わせて視聴者に調査を行えば、ラジオ番組の参加人格たちが視聴者にどんな健康的な影響を及ぼしているのか、検証する目安になるのではないかと思った。
 
■2.目的
 
長々と背景を述べたが、このような理由で、あるラジオ番組のPPMVのカウントを実際に行い、その量や測り方その課題などについて考察したい。
 
■3.方法
 
今回は、NHKラジオ、すっぴん!という番組で、PPMVを出している人数が、どのくらいいるのか、一週間分、延べ人数でカウントした。
 まず、パーソナリティ、アンカー、ゲスト、コーナー担当者の合計数つまり本人PPをカウントした。
次に、採用されている投稿の総数、つまり投稿PPを集計した。
メール、ツイッター、手紙、FAX、まとまったエピソードも、一言だけのコメントも、参加意識のあるメッセージを発した人数は、全て述べ人数でカウントし、内訳もチェックした。
しかし、大喜利はその人の生活エピソードやメッセージというよりは、純粋に笑わせるための創作作品なので除いた。
 ついで、番組の投稿数の多いリスナーが、どのような背景を持っているのか考える一助として、投稿数の多いリスナーが住んでいる地域をラジオネームごとに、地図上に分類記録してみた(付録)。
 
■4.結果
 
RAWデータ
 
◆2019年7月15日(月曜日)
 
パーソナリティ
アンカー
コーナー担当者
 
本人PP3
 
投稿のメッセージ39通
(FAX1通、メール23通、ツィッター15通)
 
投稿PP39
 
合計PP42
 
 
◆2019年7月16日(火曜日)
 
パーソナリティ
アンカー
ゲスト2人
ゲストへの応援メッセージ
コーナー担当者
 
本人PP6
 
投稿メッセージ28通
(メール28通)
投稿PP28
 
合計PP34
 
◆2019年7月17日(水曜日)
 
パーソナリティ
アンカー
ゲスト
 
本人PP3
 
投稿メッセージ33通
(メール30通、ツィッター3通)
 
投稿PP33
 
合計PP36
 
◆2019年7月18日(木曜日)
 
パーソナリティ
アンカー
ゲスト2人
コーナー担当者1人
 
本人PP5
 
投稿メッセージ56通
うち21通が大喜利作品
 
投稿PP35通
(メール32通、ツィッター3通)
 
合計PP40
 
◆2019日7月19日(金曜日)
 
パーソナリティ
アンカー
ゲスト
コーナー担当者1人
 
本人PP4
 
投稿メッセージ
19通
 
投稿PP19
(メール16通、ツィッター3通)
 
合計PP23

 
整理すると

  

参加人格の数


投稿媒体の内訳


 
■4.考察
 
 私の病気が酷い時は、声で個人的なメッセージを交わせる人は、1日当たり同居の家族1人だった。
 どんなに頑張って、病院に行ってみても、医師と看護師とリハビリの職員と会計の人、4人と治療に関する会話くらいだった。
 それに対して、表1にあるように、このラジオ番組を聞いていると、自分が参加意識を持てる3時間半あまりの枠組みで、平均35.6人もの個性のある人格に声の形で触れている事がわかった。
SNSの文字によるPPと耳によるPPとは、まったく違う。文字は情報と言えるが、肉声は情報という言葉で処理しきれないほど、様々な生々しい感情や人格が入ってきていると思われる。
 絶えず変化し、消えていく声を認識し、1日当たり約35人分の個性と関係性を理解、把握し続ける。大げさに言えば、毎日のように35人も参加するパーティに行くなど、通常はありえない生活である。
 ただ、筆者がPPMTを悪者のようにばかり言ってきたように感じるかもしれないが、1日平均31.2人もの投稿数を集め、放送で流せるように構成を組み込むためには、表2にあるようにFAXや手紙だけでは、物理的に無理で電子メールとツィッターの存在は欠かせない。
 PPMTとPPMVが、両輪になって、これだけ多くの総PPが登場するラジオ放送という事が可能だという事も忘れてはならないと思う。
 
 いろいろな背景の人と会って話をすると、一般的に人間関係の能力が増える。
ラジオで扱われる、雑談やコーナーでの会話、投稿のメッセージやエピソードは、対面の人間関係とは違う。
しかし、番組に参加意識を持った、人々の生活に直接根ざした声であり、このような多様な個性に、時間の枠組みの中で繰り返し、声の形で出会うので、自分の中で固まってしまった感覚について組み換えが起こって、感覚のチャンネルが増える。その結果として自分と感覚の離れた人間と人間関係を結ぶ話題と感覚の持ち合わせが増える助けになるのではないか。
 
■5.展望
 
 背景の項目で書いた事の繰り返しになるが、一つの番組のみのカウントではなく、違うメディや番組でのカウントやそれらの視聴者の生活や健康の変化などの調査を行い、比較研究を行うなどに応用できるかもしれない。
 どんな人が聞いて、どんな影響を受けているのか、整理するために、PPや本人PP、投稿PPあるいはPPMVやPPMTの数、そこでやり取りされる時間や枠組みなどを記録し、比較していったら、どのような構成が視聴者が元気になる助けになるのか。もっと幅広く検証できる可能性があると思う。
 また、番組の参加意識人格の「数」だけでなく、「性質」についても調査方法を開発できれば、もっと多面的に影響を検証できるようになるかもしれない。
 
■参考文献
 
◎キンバリー・ヤング著 インターネット中毒 1998年
◎シェリー・タークス著 接続された心 ~インターネット時代のアイデンティティー~ 1998年
◎樋口進著 心と体を蝕む「ネット依存」から子どもたちをどう守るのか 2017年
 
■謝辞
 
私の病気がもっとも酷い時期、2017年10月頃、初めて安定して聞き始めたNHKのラジオ番組「ごごラジ!」の当時アンカーであった神門光太朗氏(この方は、私の投稿を初めて採用してくださって、面白そうに読んでくださった)に感謝している。ラジオに私が関心を持つ最初のきっかけを作ってくださった方である。
またほかの各曜日のパーソナリティの方々、とくに高橋久美子氏、聴覚過敏に苦しんでいるとき、明るく温かいマイペースな伊予弁の声で、病後初めて聞いていて神経の痛みに響いてこない声だった。
 
また、すっぴん!では、前月曜パーソナリティの宮沢章夫氏や現火曜パーソナリティのダイヤモンド・ユカイ氏の話が空中分解しそうな展開で(番組上では、非常に大変だったと思うのだが)、大いに笑いを与え、私にリラックスし自分なりに生きるという事を思い出させてくださった。
 
そして、いろいろな話を聞く機会を与えてくださっている全国のリスナー(地図に落としてみれば、私が聞けた範囲で印象に残った方だけでも、これだけ膨大な数と様々な地域の方)、と
今回の夏休みの宿題のきっかけを作ってくださった放送回の、サンキュー・タツオ氏と藤井彩子氏、並びに番組スタッフの方たちに深い感謝を述べたいと思う。

 

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