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鳥と庭とカナヘビと

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なんといってもキジバトが大好き。キジバトの声を聞きながら暮らしています。つぎはメジロ。そのつぎはスズメとエナガです。
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庭に咲く三寸菖蒲。毎年咲いて何年になるのか。近所のお子さんが弟を連れて遊びにやってきた。庭の石から顔を出すトカゲを探し、はしゃいで帰る。母は小さなお客様にしどろもどろ。買い物ついで、近所の畑でいただいたサラダ菜にドレッシングと胡麻をかけ、おいしくいただきました。美しい初夏の日。

朝から強風。空がゴーゴー唸る。槇をちょっと整えて、水やり。ヒメツツジが満開。去年よりひとまわり大きくなったトカゲが石の陰から顔を出す。庭は春爛漫。今日も庭を見ながら家事ケア仕事の一日がはじまる。駅ビルにあるサービスセンターに図書館の本を返しに行かなくては。

庭に面した廊下にちいさなテーブルを3つ置き、パソコンと資料を乗せている。家事とケアと仕事と、となるとこの設えでいい。窓の向こう。丸々としたキジバトが一羽。翼をひろげ、来たよと教える。庭の隅々までわかっている。ブロック塀の上をこちらを見ながら我が物顔に歩く様子はまるで猫である。

2年ほど郷土史に触れて、文字通り地に足がついた感覚がある。さもありなん。郷土史はなにを読んでも土の話がつぎからつぎ。まさに故郷の土の歴史。つられてはじめた庭の畑も楽しい。新しい資料をぼちぼち読む。今日の雨は雪になりそうに寒かった。鳥も来ない。鉢植えの白いマーガレットに春を感じる。

遅咲きの白梅が咲き始めた。去年は梅の実が沢山なったから今年は休みかな。パン屋の帰り、つるありインゲンの種を買ってきた。庭の世話は奥深い。とても慣れるどころではない。宇宙の神秘を感じることさえ、しょっちゅうある。カレル・チャペックの園芸を思い出すようだ。

雪でやられた庭の槇をどうしよう。金具探してできるかな。植木やさんに頼むかな。雪から救い出した水仙を切って細長い花瓶に挿した。強い香りが広がる。原稿は出した。連載も長くなった。これからどうなることやら。幕末期、船旅の手紙を読む。デッキから星を見上げて星を読み、星を語る。美しい⭐︎

朝方何人雪掻きに出るかなあと家の前の通りを眺める。雪だるまひとつと、雪に足をとられた車が一台。スクワットよろしく雪掻き。庭にまわると、水仙はすべてつぶれ果て、槇の支えが折れていた。夜中、屋根からドカンドカンと雪塊が落ちていたあれだ。夜の庭に出て水仙を切り花にしとけばよかった。

雨まじり。庭の木瓜を毎日つつき放題の元気なメジロ。朝から姿を見ない。どこかで丸まっているのやら。母は拡大鏡を片手にエッセイを読み、わたしは仕掛り中の原稿と格闘。いつもなにかしら壁につきあたる。日暮れて道遠し。ため息をついて庭をみると、木瓜の蕾に小鳥の群れが降り立っていた。

夜中に何度か起きる母に合わせて、わたしも何度か起きる。昨夜のゆず湯のせいか、深く眠れた。明け方前に起きたとき、ついでに着替え、コーヒーをいれ、読み差しの資料に目を通す。ニューネン時代のゴッホの手紙もいくつか。鳥が鳴き始めるまで夜明け前のひととき。ひとりだけの時間を味わう。

遅れてたねを蒔いたシュンギクの本葉が出てきた🌱。コマツナ、ほうれん草、シュンギク。三種とも間引き、甘く柔らかい摘みたてランチサラダ🌱。母のケア。ひとの言葉が助けになるとき、ぐらりと揺れるとき。モノサシはない。風にまかせてのびのび行こう。ケアの日々も畑のように育ってほしい🌱。

ゆるっとケア一週間

80代母と二人暮らし。自分の半端なモノサシを母にあてないようにしよう、あてたところでどうしようもないと気づいて一週間。ここまでくるのにざっと5年。気づくのが遅い。 庭の隅で畑の土を作りながらふと浮かんだ。ゆるっとケアで行こう。自分のモノサシを母にあてない。ゆるく暮らそう。それできっと母もわたしも楽になれる。ゆるやかに自由になれる。畑の柔らかい土をいじりながら感じた。 いままで母との際限のないやりとりのなかで眩暈を感じ、気が遠くなることがたびたびあった。ときには日に何度もあ

それとは気づかず母にモノサシをあてていた。モノサシを変えては失敗を繰り返した。モノサシなくていい。落ち残った木瓜の葉から花が咲き、メジロがやってくる。いつもはつがいなのに5羽もいる。他所でも夏に葉が落ちたのだろうか。早速花をつつきにやってくる鳥たち。母は顔ほころび喜んでいる。

母の急な入院があったときのこと。短期記憶が混乱し、急な環境変化に適応できず医療者泣かせ。まさかいきなり退院になるとは夢にもおもわず面会に出かけようとしたとき、庭に広げた簾でカナヘビが日向ぼっこしてました。うん、一応保護色。よく遊ぶね。あのときゆるっとした。あれからゆるっとケア。