私が想いを書く理由

早いもので、noteを始めてから9ヶ月が経とうとしている。
月1更新を目標に頑張っているのだが、ある程度の記事数が溜まってきたので最近仲の良い友人に公開することが増えた。

すると決まってこう訊かれる。
「どうして始めようと思ったの?」と。



理由はいろいろあるので第一声に詰まるのだが、一番最初に上がってくるものとしては、「一番最初にあげた記事を、どこかの媒体に残したいと思ったから」だ。


実はこの記事、構想6年半だったりする。(コロナ禍のツアーがあってようやく書けた作品だったので)
今ならもう少しうまく書けるような気はするが、当時は私の全てを詰め込んだので、投稿ボタンを押した後はいったん燃え尽きた。

しかしその一回では終わらず、私はその後も記事をあげ続けている。友人からの問いを受け、そういやなんで書き続けてるんだろうなぁと考えたが、出てきた理由は「Twitterに書ききれないくらい言語化したいことがたくさんあるから」だった。
そしてこの「思いを言語化する」ということが、今、自分が生きるためにすごく必要になっている。


まず今担当している仕事。以前はスピード重視の業務だったので外部との連絡手段は主に電話だったが、今の業務は電話では相手に伝わらない案件が多く、言った言わないの論争になることがあるため連絡手段が主にメールとなっている。
そうすると嫌でも伝えたいことを文字に表さなければならない。そして私は「その業務を知らない人が読んでも理解できる文章を作る」ことをモットーにしていたので、繰り返すうちに物事を論理立てて文字にする力が育まれた。それもあってか時と場合によっては文面が長くなるのもしばしばだ。(出来るだけ短くしたいとは思ってるのだが)。その結果noteで長文を書くのに抵抗が無くなっていったのかもしれない。
あとは年々記憶が保持できなくなっているので、備忘録的にメールを打って同僚に共有することも増えた。これは同僚に代わりに覚えておいてほしいという意味合いも含んでいるが笑


また、夫との共同生活でも必要だと実感している。これは相手が一度受け止める姿勢を持ってくれていることが前提になってしまうが、例えば自宅で「今日めちゃくちゃイライラしてるな」と感じ、夫に強く当たってしまいそうな予感がした時、「今日こういう理由でイライラしてるからちょっとほっといてほしい」と言葉にするようにしている。夫には少々酷な気もするが自分がまず楽になるし、その後揉めることが少ない。なんか分からないけどイライラされてたら向こうはいい気持ちにはならないだろう。また、理由が言語化できない時も「なんか分からんけど今日はイライラしてる」と伝えるようにしている。
昔は何か悩んでいる様子の時、何も聞かずにすっとお茶を出してくれるような男性が理想だと周りに言っていた。しかし最終的に夫婦といっても赤の他人、何を考えているのかは結局のところ本人にしか分からない。そうなるとやはり言葉を尽くして相手に伝えるしかないのだ。


趣味については、その時感じたことを忘れないようにメモしているという感覚だ。ライブ映像のようにパッケージ化しておけばまた思い出すことができる。
また、ライブであれば過去の自分が感じたことがその後に行った公演で感じたこととリンクしていたりすることもある。アーティストの活動はひとつの公演ごとに切れているわけではなく、全てはつながってるんだな、と実感することができている。

そしてこれまではTwitterの文字数制限の中で、いかに想いを伝えられるか、と楽しみ方をしていたのだが、上述の経験からだんだん文字数を気にせず言葉を尽くして想いを伝えたいという気持ちにシフトして行った。そうして今に至っている。

今は自分の想いを自分の言葉にすることがすごく楽しいし、これをすることで趣味以外の自分の生活もうまく回っている気がする。どこまで続けられるかは分からないけど、最近は「とりあえずやってみよう」という気持ちなので、ひとまず飽きるまで取り組んでみようと思う。

今回は片手間で書いているからか取り止めのない文章になっているので、この辺で。




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