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その小さい字に負けたので

文章を書き始めた時をはっきり覚えている。
小学3年生の頃だ。

作文の授業。みんなは原稿用紙1枚やっとのところだった。自分は、特に躓くことなく、スラスラと原稿用紙3枚分の作文を完成させた。内容は抽象的な表現を長々書いているだけスカスカなものだったので特に褒められなかった。

当時の担任の先生は贔屓が露骨で、私は明らかに嫌われていた。みんなが静まらないのを静止しようと大きな声で「みんな!しずかにして!」と言うと、「あんたが一番うるさいのよ!」と先生にヒステリックに怒られた。本当に小学生の頃のわたしは引きが悪く、いつも贔屓の激しい先生に当たり、嫌われた。人と出会う運が本当になかったのだと思う。また運が悪いのが、自分と仲良しの子が先生のお気に入りの生徒なのだ。その度に比べられ、わたしと仲がいいことを揶揄した。

仲良しの子は成績優秀でいつも作文コンクールに選ばれた。みなコソコソと「でた、ひいきだ。」と言った。わたしもそう思った。でもその子の作文を読むと起承転結がはっきりと書かれており、明らかにみんなより抜きんでていた。わたしは、原稿用紙3枚書いただけで満足していたが、自分の内容のしょぼさに絶望した。

そこで、わたしはなにを考えたのか、「どれだけ長い文章が書けるか」に挑戦し始める。なぜ文章の内容を良くしようとせず、そっちの思考になるのか、馬鹿丸出しである。

小学4年生になり、作文の授業があると躍起になった。なにか簡単な感想文も原稿用紙20枚は書いた。内容は相変わらずスカスカなのだが、クラスでは一番長編の作文になった。

しかし、すぐに刺客が現れる。家族で中国へ駐在していたが、日本に帰ってきたもえちゃんである。中国の学校に行っていたこともあり、学習内容がかなり進んでいた為、とにかく勉強ができた。そんなもえちゃんは、作文も得意だった。「クラスで一番長編の作文を書く」唯一の自慢がすぐに脅かされてしまう。

ひとたび作文の授業があると、2人して休み時間も、放課後になっても作文を書き続けた。なんとなく周りも応援してくれていたような気がする。書いても書いてももえちゃんに追いつかれる、追い越される。24枚書いたところでわたしはもうなにも浮かばなくなってしまった。もえちゃんはまだ書いていた。秒殺。わたしの唯一の自慢はすぐにねじ伏せられてしまった。もえちゃんは、その26枚の大作を先生に褒めていた。
わたしは褒められなかった。

自分で捻りだした生存戦略が、ペリー黒船のごとく現れた新星により潰された。もえちゃんはほかの勉強もできるんだから、いいじゃないか。わたしにはこれしかないのに。あと字がめちゃくちゃ小さくて、それもイラっとした。当時字をめちゃくちゃ小さく書くのが流行った。もえちゃんはその流行のパイオニアでもあったのだ。

わたしは、絶対に文字を小さく書かないと心に決める。そして、文字が異常に小さい女を警戒するようになった。完全に偏見だとすぐには気づいたものの、小さい字をみるといつももえちゃんのことを思い出す。

もえちゃんは確か、高校も頭のいいところに行った。男の子にもモテていたし、きっとわたしの人格では味わえないような正当な道で正当な幸せになっているんだろうと思う。それもまた偏見なんだろうけれど。

その後もわたしはブログや受験の小論文、演劇の脚本などで文章を書き続けた。一番最初に「これだ」と手応えを感じたのは文章だった。けれども、今まで形を変えて書き続けてもなににもなっていない。きっともえちゃんは、何者かになっているんだろう。人種の違いか?つくりの違いか?先生に嫌われていたからか?関係ないのはわかっているのに、他人のせいにしたくなる。そういう精神が、自分を信じきれずに招いた結果なのかもしれない。

もえちゃん、まだ字は小さいですか?

我々も後々、老眼になると思うので大きく字を書いたほうがいいと思いますよ。

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