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いつかはロイヤルストレートフラッシュ

これすっごい情けない皮算用的な話なんですけど、と断った上で。

もし自分がライターも編集者もせずにべとまるをずっとやり続けていたら、それはそれでなにかなったのかなと思う。良い話も悪い話もひっくるめて日本とベトナムは当時から急接近しているし、在住日本人ブロガーもずいぶん増えた。もしあのまま、毎日とは言わないまでも、毎週更新していたら…。

そんなIFを考えてみるが、ただの妄想で、露ほども後悔なんてしてなくて、後悔の「こ」の字も頭をよぎったことはないとは断言しておきたい。これまでにいろんなところで書かせてもらったお蔭でたくさんの勉強をさせてもらったし、そして今は編集者として世界各地のライターの方と仕事させてもらっていて、土地の知識、編集、ふたつの意味でも勉強させてもらっている。

2011年、ベトナム以降の自分のメインの仕事(肩書)を振り返ってみると、ブロガーが3年、ライターが3年、編集者が1年半、だと思っていて、どれも「ベトナムと海外の文化」という根っこの興味からは外れていないんだけど、そのやり方という意味では、コロコロと変わっているようにも見える。これを自分は、「やりたいこと」と「やれること」が常にズレているのかもと思った。それは言い換えれば「供給」と「需要」であり、需要に応えられるレベルに達したあたりで違うことを供給したがる。供給じゃないな、自己満足を軸として動いているからだ。期待に応えることに興味がない。でも、それこそが、「稼げるかどうか」というところにつながっていくのかも…。

でも、ムダって訳じゃない。ブロガーをしていたからライターになり、ライターをしていたから編集者になったので、流れには必然性があった。ドラクエでたとえると、あのまま僧侶を続けていればザオリク覚えていたかもしれないけど、メガザル覚えたいから賢者になるためいったん魔法使い目指します~!みたいな話かもしれん。そんなんいちいち考えてきた訳じゃないが。

もし「3年」が自分にとっての区切りなのであれば、あと一年半編集者を経験したのであれば、その先はどうなっているのだろうか。昨今の年金問題にも煽られて、人並みに将来が不安になっている(俺を直接知らない人ほど、そんなこと思ってなさそうな人間だと思うかもしれないが)。そろそろ「やりたいこと」と「やれること」を合致させて、稼がないとなぁと思ってる。

今まで手にしたカードで、ロイヤルストレートフラッシュを出したい。

ぜんぶうまい棒につぎこみます